今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 別れの時間が来た。希世子は安寿の髪をなでてから愛おしそうに安寿を胸に抱いた。希世子は安寿に内緒話をするようにささやいた。小声だがそれは力強い口調だった。

 「安寿ちゃん、たくさん、たくさん、航志朗さんと愛し合いなさい」

 安寿は思わず赤くなった。

 「結婚してからずっと毎日当たり前のように隣にいて、いつまでも一緒にいられると思っていたけれど、ある日、突然、彼は旅立ってしまったわ……」

 希世子は涙声になった。とっさに安寿は腕を回して希世子を抱きしめた。

 「でも、今、とても幸せよ、私。優仁は長年の夢がかなって恵さんと結婚したし、可愛い孫まで生まれて、おばあちゃんにもなれたしね。それから、安寿ちゃんと航志朗さんにも会えた。私の愛する家族がまた増えたわ!」

 希世子の温もりを感じながら安寿はうなずいた。

 「またいつでもふたりで来てね。もちろん、いつかお子さんも連れて来てね。その日を楽しみに待っているわ」

 希世子の肩に顔をうずめた安寿を見て、航志朗も微笑みながら希世子にうなずいた。

 渡辺の車に安寿と航志朗は乗り込んだ。ミニバンの二列目のベビーシートには、興奮ぎみで手足をばたつかせた敬仁が座っている。敬仁は安寿が縫ったオーガニックコットンのシンプルなスタイをつけている。恵はその隣に座った。そして、車はゆっくりと帯広駅に向けて出発した。希世子と土師と穂乃花が並んで大きく手を振って見送った。まだほのかに温かいパンの入った紙袋を抱えながら、いつまでも安寿は後ろを向いて手を振っていた。

 朝靄の中、広大な畑の横道を車は走って行く。注意深く敬仁を見守りながら、恵が後ろを向いて大声で言った。

 「安寿、赤ちゃんが生まれたらいつでも手伝いに行くから、遠慮なく言いなさいよ!」 

 胸をどきっとさせて、安寿は航志朗の顔をちらっとうかがった。航志朗は苦笑いしながらうなずいた。耳をそばだてて後部座席の会話を聞いていた渡辺は肩をすくめた。

 心のなかで安寿は思った。

 (もう、恵ちゃんったら! 赤ちゃんって、私、まだ大学生になったばかりなのに。そういえば、恵ちゃんに大学のことをぜんぜん訊かれなかった)

 思わず安寿は仏頂面をした。

 やがて、一行は帯広駅に到着した。安寿と恵の別れは淡々としていた。安寿は敬仁をそっと抱きしめて頬ずりをしてから渡辺と恵に礼を言うと、スーツケースを引いて航志朗と改札口に入って行った。別れ際に恵は航志朗の背中をとんとんと軽く叩いた。航志朗は恵の目を見て深くうなずいた。恵たちに手を振って背中を向けると、敬仁の泣く声がしてきた。急に胸がしめつけられて安寿は振り返った。思わず表情を崩してしまう。その安寿の肩を航志朗はしっかりと抱いた。安寿は航志朗を見上げた。航志朗の琥珀色の瞳は強い光を帯びている。その光に安寿は包み込まれるような安心感を覚えた。そして、ふたりはホームへ向かって歩いて行った。

 安寿と航志朗の姿が見えなくなるまで見送ってから、渡辺が感心したように言った。

 「あのふたりって、本当に運命のめぐりあわせを感じさせるよな」

 「そうね……」

 敬仁を見つめながら恵はうなずいた。

 「もちろん、僕たちもそうだけどね!」と渡辺はおどけたように言うと、いきなり恵の頬に音を立ててキスした。

 「ちょっと、優ちゃん! こんなところで何するの!」

 悪びれもせずに渡辺はにんまりと笑った。恵も思わずぷっと笑ってしまった。

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