今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
チョコレートアイスクリームをのせたメロンと穂乃花が焼いてくれたパンをすべてトースターでリベイクして食べてから、安寿と航志朗は近くの植物園に散歩に出かけた。安寿が行きたいと言い出したのだ。広い園内は平日のためか、ほとんど貸し切りの状態だった。一度だけ、敬仁より少し月齢が上の赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながら、仲良さそうに手をつないで歩いている夫婦とすれ違った。航志朗はその赤ちゃんの顔を見てから、安寿に向かってにっこりと微笑みかけた。思わず安寿は胸がどきっとした。
(もしかして、航志朗さん、赤ちゃんがほしいのかな)
安寿は下を向いて思った。
(でも、今、ママになったら、私は大学に行けなくなってしまう。一人で生きていくために、たくさん学ばなくてはいけないのに)
ときおり名前のわからない野鳥が甲高く鳴く声が聞こえる。安寿と航志朗はただひたすら園内を歩き回った。巨大なシイの木の横を通り過ぎてコナラの林に入る。見上げると茶色く熟しかけた細長いどんぐりがたくさん実っている。樹々の枝葉のすきまから柔らかく降りそそぐ午後の木漏れ日がふたりを照らす。手をつないでひとつになったふたりの影を見て、ふと安寿は思った。
(航志朗さんと初めての夜を過ごして、私は何か変わったのかな。ぜんぜんわからない。今はただ、彼がどうしようもなく愛おしいだけ……)
航志朗を見上げて安寿はつないだ手の力を強めた。
途中で安寿の身体が心配になった航志朗は言いづらそうに尋ねた。
「安寿、こんなに歩いても大丈夫なのか? 本当は横になって安静にしていたほうがいいんじゃないのか」
顔を赤くした安寿は仏頂面になって声を荒げた。
「もう大丈夫です!」
「まだ怒っているのか。そうだよな、俺がすべて悪かった。本当にすまなかった、安寿」
急に安寿は立ち止まって言った。
「航志朗さんは、なんにも悪くありません!」
「いや、俺が悪い。君にきちんとアンのことを説明しなかったから」
「違います。私の語学力が足りないんです!」
「いや、そういうことじゃないだろ……」
「そういうことです! 私は何もできないし、いろいろなことが足りないんです。航志朗さんは、こんな私にはもったいないんです!」
そう言ってうつむいた安寿は泣きそうになった。
「は? また何言ってんだよ、安寿」
いたたまれなくなった安寿は、いきなり航志朗の手を離して林の小道を走り出した。ふたりの重なった影が離れた。走って行く安寿がひるがえす白いリネンワンピースの裾に木漏れ日が絶え間なく流れていく。陽の光に照らされたワンピースは透けて安寿の身体の線を浮かび上がらせる。あわてて航志朗は全速力で追いかけた。すぐに追いついて腕の中に安寿を捕まえた。息を切らした安寿は下を向いた。航志朗はかがんで安寿をきつく抱きしめて言った。
「安寿、今の俺には君しかいない。君だけなんだ。俺を信じてほしい」
安寿は身体に回された航志朗の腕を強く握りしめた。
(私は彼を信じている。でも、自分を私は信じられない)
「安寿、そろそろ帰ろうか」
安寿はうなずいた。またふたりは手をつないだ。
ずっとうつむいたままで歩く安寿を航志朗はなすすべもなく見守っていた。植物園を出ると、安寿はふと顔を上げて航志朗に尋ねた。
「航志朗さん、今夜の夕食はどうしますか?」
少し安堵して航志朗は答えた。
「そうだな、おでんがいいな。前につくってくれた時に俺一人で食べたから、ずっと君と一緒に食べたかったんだ」
その言葉に安寿は胸がしめつけられて泣き出しそうになるのを我慢した。安寿は航志朗の手の感触を意識した。いつも通りのひんやりとした冷たい手だ。
(私、彼のことを温めてあげられないんだ)
安寿は底のない無力感にさいなまれた。
帰りがけに近所のスーパーマーケットで一緒に買い物をしながら、安寿はこっそり航志朗を見上げて思った。
(もうどうしたらいいのかわからないほど、航志朗さんが好きで好きでたまらない。彼の子どもを一人で産んで、一人で育てる覚悟だってできている。でも、やっぱり今は、私、ママにはなれない)
スーパーマーケットを出ると、いきなり安寿は航志朗の肩につかまって背伸びをして耳打ちした。航志朗は何事かとどきっとした。
「航志朗さん、お願いがあります。あの、私、無計画な妊娠はしたくないんです。だから、避妊しましょう」
不意の安寿の「お願い」にうろたえつつも、航志朗は承諾した。
「わかった。君はまだ学生だからな」
航志朗は安寿を駐車場で待たせて隣のドラッグストアに向かった。足早に歩きながら航志朗は思った。
(正直なところ残念な気持ちもするけど、俺たちが子どもを迎えるのは、今はまだ早いのかもしれない)
(もしかして、航志朗さん、赤ちゃんがほしいのかな)
安寿は下を向いて思った。
(でも、今、ママになったら、私は大学に行けなくなってしまう。一人で生きていくために、たくさん学ばなくてはいけないのに)
ときおり名前のわからない野鳥が甲高く鳴く声が聞こえる。安寿と航志朗はただひたすら園内を歩き回った。巨大なシイの木の横を通り過ぎてコナラの林に入る。見上げると茶色く熟しかけた細長いどんぐりがたくさん実っている。樹々の枝葉のすきまから柔らかく降りそそぐ午後の木漏れ日がふたりを照らす。手をつないでひとつになったふたりの影を見て、ふと安寿は思った。
(航志朗さんと初めての夜を過ごして、私は何か変わったのかな。ぜんぜんわからない。今はただ、彼がどうしようもなく愛おしいだけ……)
航志朗を見上げて安寿はつないだ手の力を強めた。
途中で安寿の身体が心配になった航志朗は言いづらそうに尋ねた。
「安寿、こんなに歩いても大丈夫なのか? 本当は横になって安静にしていたほうがいいんじゃないのか」
顔を赤くした安寿は仏頂面になって声を荒げた。
「もう大丈夫です!」
「まだ怒っているのか。そうだよな、俺がすべて悪かった。本当にすまなかった、安寿」
急に安寿は立ち止まって言った。
「航志朗さんは、なんにも悪くありません!」
「いや、俺が悪い。君にきちんとアンのことを説明しなかったから」
「違います。私の語学力が足りないんです!」
「いや、そういうことじゃないだろ……」
「そういうことです! 私は何もできないし、いろいろなことが足りないんです。航志朗さんは、こんな私にはもったいないんです!」
そう言ってうつむいた安寿は泣きそうになった。
「は? また何言ってんだよ、安寿」
いたたまれなくなった安寿は、いきなり航志朗の手を離して林の小道を走り出した。ふたりの重なった影が離れた。走って行く安寿がひるがえす白いリネンワンピースの裾に木漏れ日が絶え間なく流れていく。陽の光に照らされたワンピースは透けて安寿の身体の線を浮かび上がらせる。あわてて航志朗は全速力で追いかけた。すぐに追いついて腕の中に安寿を捕まえた。息を切らした安寿は下を向いた。航志朗はかがんで安寿をきつく抱きしめて言った。
「安寿、今の俺には君しかいない。君だけなんだ。俺を信じてほしい」
安寿は身体に回された航志朗の腕を強く握りしめた。
(私は彼を信じている。でも、自分を私は信じられない)
「安寿、そろそろ帰ろうか」
安寿はうなずいた。またふたりは手をつないだ。
ずっとうつむいたままで歩く安寿を航志朗はなすすべもなく見守っていた。植物園を出ると、安寿はふと顔を上げて航志朗に尋ねた。
「航志朗さん、今夜の夕食はどうしますか?」
少し安堵して航志朗は答えた。
「そうだな、おでんがいいな。前につくってくれた時に俺一人で食べたから、ずっと君と一緒に食べたかったんだ」
その言葉に安寿は胸がしめつけられて泣き出しそうになるのを我慢した。安寿は航志朗の手の感触を意識した。いつも通りのひんやりとした冷たい手だ。
(私、彼のことを温めてあげられないんだ)
安寿は底のない無力感にさいなまれた。
帰りがけに近所のスーパーマーケットで一緒に買い物をしながら、安寿はこっそり航志朗を見上げて思った。
(もうどうしたらいいのかわからないほど、航志朗さんが好きで好きでたまらない。彼の子どもを一人で産んで、一人で育てる覚悟だってできている。でも、やっぱり今は、私、ママにはなれない)
スーパーマーケットを出ると、いきなり安寿は航志朗の肩につかまって背伸びをして耳打ちした。航志朗は何事かとどきっとした。
「航志朗さん、お願いがあります。あの、私、無計画な妊娠はしたくないんです。だから、避妊しましょう」
不意の安寿の「お願い」にうろたえつつも、航志朗は承諾した。
「わかった。君はまだ学生だからな」
航志朗は安寿を駐車場で待たせて隣のドラッグストアに向かった。足早に歩きながら航志朗は思った。
(正直なところ残念な気持ちもするけど、俺たちが子どもを迎えるのは、今はまだ早いのかもしれない)