今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる

第１６章 目を閉じて

第１節

　清華美術大学一年次の後期が始まった。大教室の窓際のいつもの席に座った安寿は頰づえをついて空を眺めていた。絵に描きたいとはとうてい思えないありふれた曇り空だ。

　今朝になってやっと生理が始まってほっとしたのと同時に残念な気持ちになった自分に安寿は驚いた。航志朗と別れたのは三日前のことだというのに、もう会いたくて会いたくて仕方がない。自分を落ち着かせるように何度も安寿は深いため息をついた。

　「安寿ちゃん、久しぶりー！」

　後ろからふわっと抱きしめられて明るい声をかけられた。莉子だ。

　顔をほころばせた安寿は莉子の柔らかい腕を両手で握って振り返って言った。

　「莉子ちゃん、久しぶりだね。大翔くんも」

　莉子の後ろには大翔が立っている。大翔はずいぶんと日焼けをしている。

　「久しぶり、安寿さん」

　大翔は安寿をひと目見るなり胸がどきっとした。

　あと五分で一限の講義が始まる。三人は講義机に並んで座った。いつも通り莉子が真ん中だ。莉子が紙袋を安寿に手渡しながら言った。

　「安寿ちゃん、これ、京都のお土産なの。お義母さんのおすすめのお菓子よ」

　お義母さんとは、もちろん大翔の母のことだ。

　「こんなにたくさん！　ありがとう」

　安寿は紙袋の中から二つの菓子折りと和紙で包まれた小包を丁寧に取り出した。思わず安寿は菓子折りの賞味期限を確認してしまった。ひとつは三か月間で、もうひとつは二週間だった。小包には京友禅で仕立てられた美しい巾着袋が入っていた。

　「それね、お義母さんの手作りなの。ほら、安寿ちゃんとおそろいなんだ」

　莉子がバッグから色違いの巾着袋を取り出して見せた。

　安寿もトートバッグの中から北海道土産の菓子折りを取り出して莉子に渡して、「大翔くんと一緒に食べてね」と言い添えた。

　「ありがとう！　安寿ちゃん」

　嬉しそうに菓子折りを莉子は大翔に見せた。大翔も莉子ごしに礼を言った。

　にこにこしながら莉子が尋ねた。

　「もちろん、岸さんと一緒に北海道に行ったんでしょ、安寿ちゃん？」

　安寿は頰を赤らめてうなずいた。唐突に莉子は安寿の顔をじいっとのぞき込むと、安寿の右耳を両方の手のひらで包んでささやいた。安寿は胸がどぎまぎした。

　「ねえ、安寿ちゃん。岸さんと、……でしょ？」

　聞き耳を立てていた大翔がさっと顔を赤らめた。大翔はとても莉子には言えないことをひそかに思った。

　（そうか、そういうことか。安寿さん、なんか急にめっちゃ色っぽくなったっていうか。ああ、蒼……）

　小声で安寿は恥ずかしそうに莉子に報告した。

　「あのね、莉子ちゃん。シンガポールに航志朗さんの彼女がいるっていうの、私の誤解だったの」

　「やっぱりね」という顔をして莉子は心から嬉しそうに微笑んだ。腕を組んだ大翔はうんうんと力強くうなずいた。

　（莉子から聞いていたけど、僕も安寿さんの誤解だって思っていた。絶対に岸さんはそういう男じゃないって）