今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 安寿と航志朗は遅い昼食をとった。まだ安寿は長襦袢のままだ。咲に手渡された重箱の中には、心を込めて炊かれた赤飯が詰めてあった。

 ごま塩をふりかけた赤飯を食べながら航志朗が言った。

 「安寿、これから誕生日プレゼントを買いに出かけよう。それから、夕食はレストランで食べてこようか。何かほしいものはないのか。なんでも好きなものを言ってくれ。俺は君の望みはすべてかなえたい」

 しばらく安寿はうつむいて何かを考えていた。そして、思いきったように顔を上げて安寿が言った。

 「あの、航志朗さん……」

 優しく微笑みながら、航志朗が訊いた。

 「ん? なんだ、安寿」

 「私、お墓参りに行きたいです」

 落ち着いた表情で航志朗はうなずいた。

 「わかった。今すぐ行こう。暗くなる前に」

 ワンピースに着替えた安寿と航志朗を乗せた車は高速道路に入り、白戸家の墓がある墓地に向かった。航志朗は安寿に何も訊かずに運転した。航志朗はカーナビゲーションさえも使わなかった。前回と同じく、ふたりはインターチェンジを降りたところにあるショッピングモールの花屋で仏花を買い求めて、途中のコンビニエンスストアで墓参りセットを購入した。唯一、前回と違うのは、安寿が左足を引きずらずに歩いていることだ。

 時刻は午後六時前だった。周辺は薄暗くなってきている。当然、寺の駐車場には一台の乗用車も止まっていない。隣の幼稚園も道をへだてた小学校もまるで打ち捨てられた廃墟のように閑散としている。仏花を胸に抱えた安寿の手をしっかりと握って、まったく迷わずに航志朗は白戸家の墓に向かった。驚きっぱなしの安寿は、先を行く航志朗の後ろ姿をまじまじと見つめた。

 安寿と航志朗は丁寧に墓石を掃除してから仏花と線香を供えて、並んで目を閉じて手を合わせた。

 胸の内で航志朗は安寿の母に尋ねた。

 (愛さん、安寿に父が描いたあなたの絵のことを話してもいいですか?)

 そして、胸が苦しくなるのを感じながら航志朗はまた尋ねた。

 (愛さん、安寿の父親は誰なんですか? もちろん私の父ではないですよね)

 たまらずに目を開けて、航志朗は安寿の姿を見つめた。安寿は固く目を閉じて手を合わせている。

 (愛さん。安寿のおじいさん、おばあさん。これから何が起ころうとも、私は安寿を守ります。全身全霊をかけて……)

 突然、航志朗は安寿を横から抱きしめた。閉じた安寿の目から涙がこぼれ落ちた。

 すでに車の外は真っ暗だ。険しい表情で運転しながら、航志朗は助手席に座った安寿の姿を見つめた。ティッシュケースを握りしめて、安寿は涙をぬぐっている。安寿はまっすぐに前を見据えたままだ。暗い車内では安寿の表情がよく見えない。顔をしかめた航志朗は、ハンドルを握り直して前を向いた。

 (二十歳の誕生日だっていうのに、ずっと泣いている。俺は、彼女のためにどうしたらいいんだ……)

 その時、ふと思い出したように安寿が語り始めた。

 「航志朗さん、私、ママが亡くなった時に自分と約束したんです。誰の前でも絶対に泣かないって。ずっと、私、恵ちゃんの前でも泣くのを我慢してきた。心配させたくなかったから。でも、東京に引っ越してきてから、団地の家に一人でいる時によく泣いていたんです。自分でも泣く理由がよくわからなかった。ただ涙が出てきたんです。一人で泣きながら、私は絵を描いていた。そう、覚えてる。画用紙に落ちた涙で、あの頃の私の絵はところどころにじんでいた」

 「そうだったのか……」

 航志朗は胸が痛くてたまらない。ハンドルを握った航志朗の手は、今、安寿を抱きしめることができない。

 「でも、ある日、私にひとすじの光が降りて来たんです」

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