今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
安寿と航志朗を乗せたレンタカーは熊本市内を出て白い橋を渡り、海沿いの道を走って行く。安寿は航志朗を見てどきどきしていた。ハンドルを握った航志朗はサングラスをしている。初めて見る航志朗の姿だ。航志朗は手を伸ばしてドリンクホルダーからアイスコーヒーの入った大きめのペーパーカップを取ってリッドに口をつけた。頬を赤らめた安寿はうつむきながら小声で言った。
「航志朗さん、サングラスがお似合いですね。あの、とてもかっこいいです」
安寿にいきなりほめられて、航志朗はむせて咳込んだ。
「大丈夫ですか!」
あわてて安寿はショルダーバッグの中からタオルハンカチを取り出して航志朗に差し出した。航志朗はそれを受け取ると口に当てて言った。
「だ、大丈夫。ありがとう、安寿」
またゲホゲホと航志朗は咳をした。
盛夏の強烈な日射しを反射して輝く青い海には、大小さまざまな島が浮かんでいる。子どもように安寿ははしゃいで歓声をあげた。
「航志朗さん、見て! 海、海!」
くすっと笑って航志朗はサングラスの下の目を細めて言った。
「サーリストメリだな」
「『サーリストメリ』?」
「フィンランド語で『多島海』、たくさんの島がある海域っていう意味だ。英語では『アーキペラゴ』って言うこともある」
「そうなんですか……」と答えて安寿は心から感心した。
(本当に航志朗さんは博識なのね。あっ、彼って博士だった! そういえば……)
安寿は尊敬のまなざしで航志朗の横顔を見つめた。その視線に気がつくと航志朗は少々鼻の下をのばした。
その時、安寿のお腹が鳴った。安寿は赤くなって腹を両手で押さえた。今朝の朝食は大翔の実家で莉子と大翔と一緒にとった。それはまだ暗い午前四時すぎだった。京都駅から始発に乗って熊本に向かう安寿のために、大翔の母が早起きして京風のうどんをつくってくれた。うどんには可愛らしい手毬の形をした麩がのっていた。
「安寿、後部座席に駅前のベーカリーで買った軽食が置いてある。もうすぐ正午だ。先に食べたら?」
すかさず安寿は言い返した。
「もちろん、私、航志朗さんに食べさせてあげますね!」
顔を赤くして航志朗は安寿を見た。安寿は満足そうに笑った。
(なんだろう、この感じ……。安寿は俺のことが本当に好きみたいだな)
たまらない気持ちで航志朗はまた安寿を見た。安寿は後部座席から紙袋を取って中に入っていたサンドイッチの包装を開いている。安寿はサンドイッチをひと口大にちぎると、航志朗の口の前に運んで甘い声で言った。
「はい、航志朗さん、お口を開けてくださいね」
口を開けようとしたその時、海水浴場の公営駐車場が見えた。航志朗はハンドルを切って広い駐車場に入った。穴場なのか日中でいちばん暑い時間帯のためなのか、他に車は三台しか停まっていない。車を駐車するとすぐさま二人分のシートベルトとサングラスを外して、航志朗は安寿をきつく抱きしめた。手にちぎったサンドイッチを持ったままの安寿は恥ずかしくて手をばたばたさせた。航志朗は「安寿、君にまた会えて本当に嬉しいよ」と言って微笑んでから軽くキスした。そして、安寿の指ごとサンドイッチを口に入れた。
ふたりは公営駐車場で軽い昼食をとった。直射日光がじりじりと車を照らしている。エアコンを最大限につけていても車内の気温は上昇している。それだけではない。ふたりの間の体感気温は急激に上がるいっぽうだ。航志朗から注がれる熱い視線にいたたまれずに安寿が口を開いた。
「海に行きましょうよ、航志朗さん! 私、海に来るの久しぶりなんです」
麦わら帽子を被って安寿は車の外に出て走り出した。あわてて航志朗もその後を追う。岩場がそのほとんどを占める海水浴場だ。足元を見ると驚くほどに海水の透明度が高い。すぐに安寿は靴下を脱ぎレギンスをまくり上げて海に足を浸けた。安寿は「気持ちいい!」と愉しそうに大声をあげた。波の音が耳の中に心地よく溶けていく。寄って来たかと思ったら、やがて離れて行ってしまう波は、まるで私たちのようだと安寿はひそかに切なく想った。
航志朗が安寿のところにやって来ると、突然、安寿は叫んだ。
「たいへん! 日焼けしちゃう」
すぐに安寿は両手を航志朗の着ているシャツの中に突っ込んだ。くすぐったくて、航志朗は身体をよじらせながら訊いた。
「安寿、どうしたんだ?」
航志朗の影に隠れるようにして安寿は言った。
「華鶴さんに言われたんです。日焼けしないようにって」
すぐに航志朗は理解した。
「ああ、君は画家のモデルだからな」
安寿は航志朗のシャツの下の少し汗ばんだ素肌に触れている。そっと安寿は航志朗の腰に腕を回して抱きついた。愛おしそうに安寿を見下ろして航志朗は言った。
「安寿、車に戻ろうか」
安寿はうなずいた。砂をはらって裸足のままでスニーカーを履いて、安寿は脱いだ靴下を手に持って車に戻った。航志朗はミネラルウォーターを安寿に飲ませてから、自分も飲んだ。無言でふたりは見つめ合った。航志朗は助手席に身を乗り出して安寿を抱きしめた。そして、ゆっくりと半分目を開けたままで安寿に唇を重ねる。ふたりは真っ青な海の前で抱き合った。
「航志朗さん、サングラスがお似合いですね。あの、とてもかっこいいです」
安寿にいきなりほめられて、航志朗はむせて咳込んだ。
「大丈夫ですか!」
あわてて安寿はショルダーバッグの中からタオルハンカチを取り出して航志朗に差し出した。航志朗はそれを受け取ると口に当てて言った。
「だ、大丈夫。ありがとう、安寿」
またゲホゲホと航志朗は咳をした。
盛夏の強烈な日射しを反射して輝く青い海には、大小さまざまな島が浮かんでいる。子どもように安寿ははしゃいで歓声をあげた。
「航志朗さん、見て! 海、海!」
くすっと笑って航志朗はサングラスの下の目を細めて言った。
「サーリストメリだな」
「『サーリストメリ』?」
「フィンランド語で『多島海』、たくさんの島がある海域っていう意味だ。英語では『アーキペラゴ』って言うこともある」
「そうなんですか……」と答えて安寿は心から感心した。
(本当に航志朗さんは博識なのね。あっ、彼って博士だった! そういえば……)
安寿は尊敬のまなざしで航志朗の横顔を見つめた。その視線に気がつくと航志朗は少々鼻の下をのばした。
その時、安寿のお腹が鳴った。安寿は赤くなって腹を両手で押さえた。今朝の朝食は大翔の実家で莉子と大翔と一緒にとった。それはまだ暗い午前四時すぎだった。京都駅から始発に乗って熊本に向かう安寿のために、大翔の母が早起きして京風のうどんをつくってくれた。うどんには可愛らしい手毬の形をした麩がのっていた。
「安寿、後部座席に駅前のベーカリーで買った軽食が置いてある。もうすぐ正午だ。先に食べたら?」
すかさず安寿は言い返した。
「もちろん、私、航志朗さんに食べさせてあげますね!」
顔を赤くして航志朗は安寿を見た。安寿は満足そうに笑った。
(なんだろう、この感じ……。安寿は俺のことが本当に好きみたいだな)
たまらない気持ちで航志朗はまた安寿を見た。安寿は後部座席から紙袋を取って中に入っていたサンドイッチの包装を開いている。安寿はサンドイッチをひと口大にちぎると、航志朗の口の前に運んで甘い声で言った。
「はい、航志朗さん、お口を開けてくださいね」
口を開けようとしたその時、海水浴場の公営駐車場が見えた。航志朗はハンドルを切って広い駐車場に入った。穴場なのか日中でいちばん暑い時間帯のためなのか、他に車は三台しか停まっていない。車を駐車するとすぐさま二人分のシートベルトとサングラスを外して、航志朗は安寿をきつく抱きしめた。手にちぎったサンドイッチを持ったままの安寿は恥ずかしくて手をばたばたさせた。航志朗は「安寿、君にまた会えて本当に嬉しいよ」と言って微笑んでから軽くキスした。そして、安寿の指ごとサンドイッチを口に入れた。
ふたりは公営駐車場で軽い昼食をとった。直射日光がじりじりと車を照らしている。エアコンを最大限につけていても車内の気温は上昇している。それだけではない。ふたりの間の体感気温は急激に上がるいっぽうだ。航志朗から注がれる熱い視線にいたたまれずに安寿が口を開いた。
「海に行きましょうよ、航志朗さん! 私、海に来るの久しぶりなんです」
麦わら帽子を被って安寿は車の外に出て走り出した。あわてて航志朗もその後を追う。岩場がそのほとんどを占める海水浴場だ。足元を見ると驚くほどに海水の透明度が高い。すぐに安寿は靴下を脱ぎレギンスをまくり上げて海に足を浸けた。安寿は「気持ちいい!」と愉しそうに大声をあげた。波の音が耳の中に心地よく溶けていく。寄って来たかと思ったら、やがて離れて行ってしまう波は、まるで私たちのようだと安寿はひそかに切なく想った。
航志朗が安寿のところにやって来ると、突然、安寿は叫んだ。
「たいへん! 日焼けしちゃう」
すぐに安寿は両手を航志朗の着ているシャツの中に突っ込んだ。くすぐったくて、航志朗は身体をよじらせながら訊いた。
「安寿、どうしたんだ?」
航志朗の影に隠れるようにして安寿は言った。
「華鶴さんに言われたんです。日焼けしないようにって」
すぐに航志朗は理解した。
「ああ、君は画家のモデルだからな」
安寿は航志朗のシャツの下の少し汗ばんだ素肌に触れている。そっと安寿は航志朗の腰に腕を回して抱きついた。愛おしそうに安寿を見下ろして航志朗は言った。
「安寿、車に戻ろうか」
安寿はうなずいた。砂をはらって裸足のままでスニーカーを履いて、安寿は脱いだ靴下を手に持って車に戻った。航志朗はミネラルウォーターを安寿に飲ませてから、自分も飲んだ。無言でふたりは見つめ合った。航志朗は助手席に身を乗り出して安寿を抱きしめた。そして、ゆっくりと半分目を開けたままで安寿に唇を重ねる。ふたりは真っ青な海の前で抱き合った。