今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 インターホンが鳴った。黒いスーツを着た五嶋が安寿と航志朗を迎えに来た。ふたりはうなずき合ってから立ち上がった。

 別荘の庭から暗い森へ入って、森の中の小道を三人は上へと登って行った。数日前に安寿が途中まで上がった道だ。安寿はルリハコベが咲いていた辺りをうかがったが暗くて見えなかった。懐中電灯で足元を照らした五嶋の後ろを安寿はスニーカーを履いてついて行った。安寿は両手にドレスと一緒に同梱されていた揃いのビーズ刺繍がほどこされた黒いクラッチバッグとカンフーシューズを持っている。

 航志朗も懐中電灯を持って安寿の後ろを歩いている。緊張しはじめた安寿は不安そうな表情を浮かべて振り返った。わざと航志朗はおどけた表情をして、自分の顎の下から懐中電灯を上に照らした。思わず安寿はくすっと笑ってしまった。

 森の中の小道を登りきったところにツタに覆われたアイアンの門があった。五嶋は門を開けると安寿を丁重に招き入れた。

 「到着しました。どうぞ中にお入りくださいませ、安寿さま」

 目の前には森に囲まれた広大な庭があった。庭には刈りそろえられた芝生が広がっている。天然石が敷かれたアプローチの先には、あちらこちらに柔らかな照明が灯った洋風の大きな屋敷が見えた。

 門の前で安寿はスニーカーからカンフーシューズに履き替えた。その靴も安寿の足にサイズがぴったりだった。脱いだスニーカーは五嶋が預かってくれた。それから、五嶋はしゃがんで土が付着した航志朗の革靴を丁寧に拭いた。

 ふたりは五嶋に礼を言って門を通った。古閑家の庭に足を踏み入れると、安寿は胸の鼓動がだんだんと早まってきた。緊張と不安が安寿の頭のなかにもやもやと広がってくる。

 (ここも私にとって本当に別世界。私、大丈夫かな……)

 ごく自然に航志朗は安寿の前に立ち、左腕を安寿に差し出した。安寿は右手を航志朗の左腕にそっと置いた。かがんで航志朗は安寿の耳元にささやいた。

 「大丈夫、緊張するな。俺が一緒だ、安寿」

 安寿はその懐かしい感触に心が震えた。初めて航志朗の身体に触れた時のことを思い出す。

 (あの時はまさか彼と結婚するなんて思ってもみなかった。今、私は彼の妻として、彼の仕事関係の方々との社交の場に出るんだ。彼のためにしっかりしなくちゃ!)

 五嶋の後ろをふたりはついて行った。ふと気になって航志朗が尋ねた。

 「五嶋さん。今夜の晩餐会は、何人くらいの方々がご出席されるのですか?」

 五嶋は静かに答えた。

 「全員で十二名様でございます」

 「十二名……」

 思わず安寿と航志朗は顔を見合わせた。

 (ダヴィンチの『最後の晩餐』の十二使徒と同じ人数だ……)

 屋敷の左奥には古い蔵が建っていた。その蔵が過去に存在した何かの暗い影のように見えて、安寿の背筋に冷たいものが走った。思わず安寿は航志朗の左腕にきつくしがみついた。それに気づいた航志朗は安寿を安心させるように笑いかけた。

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