今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
その時、蔵の外から声がした。
「あら皆さま、ここにいらっしゃったのね」
アカネだった。アカネは一同の視線を浴びてにっこりと微笑んだ。急に無表情になったルリは妹に向かって事務的に言った。
「アカネさん、岸ご夫妻を送ってさしあげて」
ルリは蔵の敷居をまたいで振り返って言った。
「今宵はありがとうございました。それではおやすみなさい」
背を向けてルリは安寿と航志朗の前から去って行った。ルリの頭上の真っ暗な夜空には、たくさんの星が輝いているのが見えた。
スニーカーに履き替えた安寿は懐中電灯を手に持った航志朗と手をつないで森の小道を別荘に向かって下りて行った。アカネが夫の車で別荘まで送ると申し出たが、ふたりは丁重に断った。
道の途中で安寿は航志朗に頼んで懐中電灯を持ってルリハコベが咲いていた辺りを照らした。だが、そこには何も見当たらなかった。
別荘の庭に出ると懐中電灯を消して、ふたりは澄み渡った夜空を見上げた。目を細めて航志朗が言った。
「『夏の大三角』が見える。天の川も微かに見えるな」
「はい。ベガとアルタイル、それから……」
「はくちょう座のデネブだ。十字に見えるだろ、『北十字』と呼ばれている」
「ベガは七夕の織姫さまで、アルタイルは彦星さまですよね」
暗闇の中で航志朗はうなずいた。
その瞬間、安寿の全身をひどい寒気が襲った。不意に航志朗の左腕にしがみついて、安寿は切羽詰まったように言った。
「航志朗さん、早く別荘の中に入りましょう!」
航志朗は胸をどきっとさせた。航志朗は安寿の肩に手を回して、安寿の冷えた耳に口を近づけて甘くささやいた。
「安寿、星空の下の君は一段ときれいだよ」
何も言わずに安寿は航志朗の身体に抱きついた。航志朗はにんまりと笑みをこぼした。
別荘の玄関に入ると、いきなり安寿は航志朗に背中を向けて懇願するように言った。
「航志朗さん、このドレスのファスナーを下ろしていただけますか」
「え?」
思わず航志朗は赤くなった。身体じゅうをうずかせながら航志朗はゆっくりと安寿がまとったドレスのファスナーを下ろした。安寿の背中がむき出しになった。
(背中ならいいよな……)
たまらずに航志朗は安寿の背中に口づけようとした。すると、航志朗の目の前で安寿はドレスを全部脱いでキャミソール姿になった。
「あ、安寿……」
あまりの艶めかしさに航志朗は息を呑んだ。航志朗は安寿を抱きすくめようと手を伸ばした。だが、安寿は脱いだドレスを航志朗に手渡すと、口を両手で押さえてトイレに駆け込んで行った。
「ん?」
ドレスを抱えて航志朗は首を傾けた。すぐにトイレの中から安寿が苦しそうにえずく音が聞こえてきた。航志朗は顔色を変えて、急いでトイレに向かった。
トイレのドアを航志朗は何度も叩いた。
「安寿! どうした?」
返事はない。
「入るぞ!」と航志朗は怒鳴ってトイレのドアを開けた。そこには真っ青な顔をした安寿がうずくまっていた。航志朗はタキシードのジャケットを脱いで安寿をくるむと、安寿を抱き上げてソファに連れて行った。ぐったりと安寿はソファの背もたれに寄りかかった。そっと航志朗は呼びかけた。
「安寿……」
うっすらと安寿は目を開けると航志朗にかすれた声で言った。
「……お水を、……ください」
「わかった。すぐに持って来る!」
航志朗はキッチンに向かって駆け出した。航志朗は冷蔵庫の中からミネラルウォーターのボトルを取り出すとグラスに注いで安寿に持って行った。安寿の身体を支えながら航志朗はグラスを安寿の口に傾けた。安寿はゆっくりと水を飲んでから言った。
「急に気持ちが悪くなって吐きそうになりました。でも、もう大丈夫です」
「そうか、……よかった」
そうつぶやくと航志朗はほっと肩を落とした。
ベッドの上で航志朗は安寿の背中を見つめていた。パジャマに着替えた安寿はベッドに横になるとすぐに寝息をたてはじめた。今夜は安寿に触れたくても触れられない。ベッドに腰掛けた航志朗は、窓から入って来るわずかに潮の香りが混じった微風を感じながら腕を組んで思った。
(気分が悪くなるほど気を遣わせて、彼女に申しわけないことをしてしまった。それにしても、なんだが不可思議な夜だったな……)
「あら皆さま、ここにいらっしゃったのね」
アカネだった。アカネは一同の視線を浴びてにっこりと微笑んだ。急に無表情になったルリは妹に向かって事務的に言った。
「アカネさん、岸ご夫妻を送ってさしあげて」
ルリは蔵の敷居をまたいで振り返って言った。
「今宵はありがとうございました。それではおやすみなさい」
背を向けてルリは安寿と航志朗の前から去って行った。ルリの頭上の真っ暗な夜空には、たくさんの星が輝いているのが見えた。
スニーカーに履き替えた安寿は懐中電灯を手に持った航志朗と手をつないで森の小道を別荘に向かって下りて行った。アカネが夫の車で別荘まで送ると申し出たが、ふたりは丁重に断った。
道の途中で安寿は航志朗に頼んで懐中電灯を持ってルリハコベが咲いていた辺りを照らした。だが、そこには何も見当たらなかった。
別荘の庭に出ると懐中電灯を消して、ふたりは澄み渡った夜空を見上げた。目を細めて航志朗が言った。
「『夏の大三角』が見える。天の川も微かに見えるな」
「はい。ベガとアルタイル、それから……」
「はくちょう座のデネブだ。十字に見えるだろ、『北十字』と呼ばれている」
「ベガは七夕の織姫さまで、アルタイルは彦星さまですよね」
暗闇の中で航志朗はうなずいた。
その瞬間、安寿の全身をひどい寒気が襲った。不意に航志朗の左腕にしがみついて、安寿は切羽詰まったように言った。
「航志朗さん、早く別荘の中に入りましょう!」
航志朗は胸をどきっとさせた。航志朗は安寿の肩に手を回して、安寿の冷えた耳に口を近づけて甘くささやいた。
「安寿、星空の下の君は一段ときれいだよ」
何も言わずに安寿は航志朗の身体に抱きついた。航志朗はにんまりと笑みをこぼした。
別荘の玄関に入ると、いきなり安寿は航志朗に背中を向けて懇願するように言った。
「航志朗さん、このドレスのファスナーを下ろしていただけますか」
「え?」
思わず航志朗は赤くなった。身体じゅうをうずかせながら航志朗はゆっくりと安寿がまとったドレスのファスナーを下ろした。安寿の背中がむき出しになった。
(背中ならいいよな……)
たまらずに航志朗は安寿の背中に口づけようとした。すると、航志朗の目の前で安寿はドレスを全部脱いでキャミソール姿になった。
「あ、安寿……」
あまりの艶めかしさに航志朗は息を呑んだ。航志朗は安寿を抱きすくめようと手を伸ばした。だが、安寿は脱いだドレスを航志朗に手渡すと、口を両手で押さえてトイレに駆け込んで行った。
「ん?」
ドレスを抱えて航志朗は首を傾けた。すぐにトイレの中から安寿が苦しそうにえずく音が聞こえてきた。航志朗は顔色を変えて、急いでトイレに向かった。
トイレのドアを航志朗は何度も叩いた。
「安寿! どうした?」
返事はない。
「入るぞ!」と航志朗は怒鳴ってトイレのドアを開けた。そこには真っ青な顔をした安寿がうずくまっていた。航志朗はタキシードのジャケットを脱いで安寿をくるむと、安寿を抱き上げてソファに連れて行った。ぐったりと安寿はソファの背もたれに寄りかかった。そっと航志朗は呼びかけた。
「安寿……」
うっすらと安寿は目を開けると航志朗にかすれた声で言った。
「……お水を、……ください」
「わかった。すぐに持って来る!」
航志朗はキッチンに向かって駆け出した。航志朗は冷蔵庫の中からミネラルウォーターのボトルを取り出すとグラスに注いで安寿に持って行った。安寿の身体を支えながら航志朗はグラスを安寿の口に傾けた。安寿はゆっくりと水を飲んでから言った。
「急に気持ちが悪くなって吐きそうになりました。でも、もう大丈夫です」
「そうか、……よかった」
そうつぶやくと航志朗はほっと肩を落とした。
ベッドの上で航志朗は安寿の背中を見つめていた。パジャマに着替えた安寿はベッドに横になるとすぐに寝息をたてはじめた。今夜は安寿に触れたくても触れられない。ベッドに腰掛けた航志朗は、窓から入って来るわずかに潮の香りが混じった微風を感じながら腕を組んで思った。
(気分が悪くなるほど気を遣わせて、彼女に申しわけないことをしてしまった。それにしても、なんだが不可思議な夜だったな……)