今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
ソファの横に置いたバックパックから容は桐の小箱を取り出して、丁重に航志朗に手渡した。
「ありがとう。容が用意してくれたんだね」
容は航志朗に控えめにうなずいた。
黙ってふたりを見つめていた安寿に航志朗が箱を渡して言った。
「安寿、開けてごらん」
安寿は丁寧に箱を開けて黄色い布に包まれたガラス瓶を取り出した。一瞬で安寿はガラス瓶の中身に目がとらわれた。安寿はいっさいの言葉を失くした。そのこの世のものとは思えないほどの美しい色彩に安寿は身も心も揺るがせられた。安寿を見て、航志朗と容は目を合わせて微笑んだ。
しばらく三人は優しい静けさに包まれた。やがて、穏やかに航志朗が安寿に語りかけた。
「安寿、君が求めていた色だろ?」
目を潤ませて安寿は航志朗の肩に顔を寄せた。航志朗は安寿の髪を優しくなでた。
目の前の安寿と航志朗の姿を容は顔を紅潮させながら見つめていた。容の目にはふたりが真珠のように透き通った白い光に包まれているように見えた。ふたりの関係をうらやむような重たい気持ちにはまったくならない。ただその純粋な光に心を大きく動かされた。
今、心の目で容は感じる。
(安寿さんと航志朗さんは、本当に心から愛し合っている……)
祖母から授かった自分の務めは果たしたと容は自覚した。容はそっと立ち上がってふたりに告げた。
「そろそろ、僕、東京に帰りますね。おふたりともありがとうございました」
あわてて立ち上がった安寿が容の腕をつかんで言った。
「だめです、容さん! せっかくいらしてくださったんですから、今日はここに泊まっていってください!」
ぎょっとした表情で航志朗は安寿を見た。
(安寿、二人きりの時間がさらに短くなってしまうじゃないか……)
苦笑いしながら容が言った。
「安寿さん、ありがとうございます。でも、僕、日帰りのつもりでこっちに来たんで着替えとか持って来ていないし、ほら、今、大型の台風が九州に近づいているじゃないですか。今日中に飛行機に乗らないと、東京に帰れなくなってしまうんで」
微かな不安に駆られて安寿は容に訊いた。
「台風?」
安寿が航志朗を見上げると、航志朗も首を傾けた。
「ニュースをぜんぜん見ていないからな。台風が来ているのか、容?」
「ええ。明日の夜中には九州に上陸するらしいですよ」
安寿と航志朗は顔を見合わせた。安寿は窓の外を見たが、海の上の空は穏やかに晴れ渡っている。
「でも、やっぱり泊まって行ってください、容さん。航志朗さんも言っていたじゃないですか。『今度、三人で一緒に食事でもしようか』って」
(あ、確かに言った……)
観念した航志朗も容を誘った。
「泊って行けよ、容。着替えなんて近くのコンビニとかで買えるだろ?」
「はあ。じゃあ、お言葉に甘えて……」
バルコニーに出た安寿はラピスラズリの岩絵具が入ったガラス瓶を陽の光に当てて見た。きらきらと黄金色に輝く粒が見える。航志朗と容は車で買い物に出かけた。肩を並べたふたりの後ろ姿は、本当の兄弟のように見えた。
航志朗と容が帰宅すると、ふたりはすぐに水着に着替えて海へと出かけて行った。容は航志朗に水着も買ってもらったようだ。タオルケットを膝に掛けた安寿はソファに座って居眠りをしていた。ふと目覚めると窓の外の陽が傾いてきたが、まだ航志朗と容は海から帰って来ない。久しぶりに幼なじみと会って積もる話があるか、男同士で童心に帰って海で遊んでいるのかもしれない。ダイニングテーブルの上に置きっぱなしのレジ袋を開けてみると、カレールーの箱が入っていた。
(今夜の夕食は、カレーがいいのね)
キッチンに立って安寿はチキンカレーをつくり始めた。
(宮崎県産の地鶏のカレーだなんて、なんて贅沢なの……)
「ただいま、安寿。おっ、カレーつくってくれているのか」
バスタオルを肩に掛けて航志朗と容が海から帰って来た。
安寿は微笑みながら言った。
「おかえりなさい。お風呂を用意してありますので、よかったらどうぞ」
目尻を下げてエプロン姿の安寿を見た容がにやにやして言った。
「いいなあ、航志朗さんは。僕も早く結婚したくなってきましたよ」
「それよりも早く新しい彼女を見つけろよ、容。ほら、次、次!」
航志朗に背中をたたかれて容は苦笑いした。
(……新しい彼女?)
航志朗と容に背中を向けてトマトを包丁で切りながら安寿は聞き耳を立てていた。悪意のない航志朗のひとことに安寿の胸はちくっと痛んだ。
(私と離婚したら、きっと彼にはすぐに新しい彼女ができるんだろうな。あんなに素敵で優しい男性なんだもの)
安寿はカレーの入った鍋を必要以上に力を込めてかき混ぜた。
(離婚しても、一生、私は彼以外の男性を愛せない。絶対に)
きつく目を閉じて安寿はレードルの取っ手を握りしめたままうつむいた。そこへ風呂上がりの航志朗が隣にやって来て、安寿の顎をつかんで引き寄せた。航志朗の顔が近づいてきてキスされそうになる。あわてて安寿は言った。
「航志朗さん、だめ! 容さんがいらっしゃるんですよ」
「今は大丈夫だ。彼は風呂に入っているから」
安寿と航志朗は抱き合って唇を重ねた。生理中でも身体の奥がとろけてくる。その初めての感覚に安寿はどうしようもなく身体を揺らした。じりじりとこがれるように安寿の背中をなでて腰を押しつけると、航志朗は残念そうにささやいた。
「当分の間、おあずけだな」
安寿は頬を赤らめて航志朗の胸に顔をうずめた。
その時、外から風がうなる音が聞こえてきた。樹々が風にあおられて擦れた葉がざわざわと不安げな音を立てる。思わず安寿と航志朗は顔を見合わせた。
「ありがとう。容が用意してくれたんだね」
容は航志朗に控えめにうなずいた。
黙ってふたりを見つめていた安寿に航志朗が箱を渡して言った。
「安寿、開けてごらん」
安寿は丁寧に箱を開けて黄色い布に包まれたガラス瓶を取り出した。一瞬で安寿はガラス瓶の中身に目がとらわれた。安寿はいっさいの言葉を失くした。そのこの世のものとは思えないほどの美しい色彩に安寿は身も心も揺るがせられた。安寿を見て、航志朗と容は目を合わせて微笑んだ。
しばらく三人は優しい静けさに包まれた。やがて、穏やかに航志朗が安寿に語りかけた。
「安寿、君が求めていた色だろ?」
目を潤ませて安寿は航志朗の肩に顔を寄せた。航志朗は安寿の髪を優しくなでた。
目の前の安寿と航志朗の姿を容は顔を紅潮させながら見つめていた。容の目にはふたりが真珠のように透き通った白い光に包まれているように見えた。ふたりの関係をうらやむような重たい気持ちにはまったくならない。ただその純粋な光に心を大きく動かされた。
今、心の目で容は感じる。
(安寿さんと航志朗さんは、本当に心から愛し合っている……)
祖母から授かった自分の務めは果たしたと容は自覚した。容はそっと立ち上がってふたりに告げた。
「そろそろ、僕、東京に帰りますね。おふたりともありがとうございました」
あわてて立ち上がった安寿が容の腕をつかんで言った。
「だめです、容さん! せっかくいらしてくださったんですから、今日はここに泊まっていってください!」
ぎょっとした表情で航志朗は安寿を見た。
(安寿、二人きりの時間がさらに短くなってしまうじゃないか……)
苦笑いしながら容が言った。
「安寿さん、ありがとうございます。でも、僕、日帰りのつもりでこっちに来たんで着替えとか持って来ていないし、ほら、今、大型の台風が九州に近づいているじゃないですか。今日中に飛行機に乗らないと、東京に帰れなくなってしまうんで」
微かな不安に駆られて安寿は容に訊いた。
「台風?」
安寿が航志朗を見上げると、航志朗も首を傾けた。
「ニュースをぜんぜん見ていないからな。台風が来ているのか、容?」
「ええ。明日の夜中には九州に上陸するらしいですよ」
安寿と航志朗は顔を見合わせた。安寿は窓の外を見たが、海の上の空は穏やかに晴れ渡っている。
「でも、やっぱり泊まって行ってください、容さん。航志朗さんも言っていたじゃないですか。『今度、三人で一緒に食事でもしようか』って」
(あ、確かに言った……)
観念した航志朗も容を誘った。
「泊って行けよ、容。着替えなんて近くのコンビニとかで買えるだろ?」
「はあ。じゃあ、お言葉に甘えて……」
バルコニーに出た安寿はラピスラズリの岩絵具が入ったガラス瓶を陽の光に当てて見た。きらきらと黄金色に輝く粒が見える。航志朗と容は車で買い物に出かけた。肩を並べたふたりの後ろ姿は、本当の兄弟のように見えた。
航志朗と容が帰宅すると、ふたりはすぐに水着に着替えて海へと出かけて行った。容は航志朗に水着も買ってもらったようだ。タオルケットを膝に掛けた安寿はソファに座って居眠りをしていた。ふと目覚めると窓の外の陽が傾いてきたが、まだ航志朗と容は海から帰って来ない。久しぶりに幼なじみと会って積もる話があるか、男同士で童心に帰って海で遊んでいるのかもしれない。ダイニングテーブルの上に置きっぱなしのレジ袋を開けてみると、カレールーの箱が入っていた。
(今夜の夕食は、カレーがいいのね)
キッチンに立って安寿はチキンカレーをつくり始めた。
(宮崎県産の地鶏のカレーだなんて、なんて贅沢なの……)
「ただいま、安寿。おっ、カレーつくってくれているのか」
バスタオルを肩に掛けて航志朗と容が海から帰って来た。
安寿は微笑みながら言った。
「おかえりなさい。お風呂を用意してありますので、よかったらどうぞ」
目尻を下げてエプロン姿の安寿を見た容がにやにやして言った。
「いいなあ、航志朗さんは。僕も早く結婚したくなってきましたよ」
「それよりも早く新しい彼女を見つけろよ、容。ほら、次、次!」
航志朗に背中をたたかれて容は苦笑いした。
(……新しい彼女?)
航志朗と容に背中を向けてトマトを包丁で切りながら安寿は聞き耳を立てていた。悪意のない航志朗のひとことに安寿の胸はちくっと痛んだ。
(私と離婚したら、きっと彼にはすぐに新しい彼女ができるんだろうな。あんなに素敵で優しい男性なんだもの)
安寿はカレーの入った鍋を必要以上に力を込めてかき混ぜた。
(離婚しても、一生、私は彼以外の男性を愛せない。絶対に)
きつく目を閉じて安寿はレードルの取っ手を握りしめたままうつむいた。そこへ風呂上がりの航志朗が隣にやって来て、安寿の顎をつかんで引き寄せた。航志朗の顔が近づいてきてキスされそうになる。あわてて安寿は言った。
「航志朗さん、だめ! 容さんがいらっしゃるんですよ」
「今は大丈夫だ。彼は風呂に入っているから」
安寿と航志朗は抱き合って唇を重ねた。生理中でも身体の奥がとろけてくる。その初めての感覚に安寿はどうしようもなく身体を揺らした。じりじりとこがれるように安寿の背中をなでて腰を押しつけると、航志朗は残念そうにささやいた。
「当分の間、おあずけだな」
安寿は頬を赤らめて航志朗の胸に顔をうずめた。
その時、外から風がうなる音が聞こえてきた。樹々が風にあおられて擦れた葉がざわざわと不安げな音を立てる。思わず安寿と航志朗は顔を見合わせた。