今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
容がバスルームから戻って来た。
「容、何か飲むか? なんでもあるよ」
航志朗は冷蔵庫の扉を開けながら容に言った。
茶色い髪をタオルで拭きながら、容は冷蔵庫の中をのぞいて言った。
「じゃあ、僕、ビールをいただきます。安寿さんは?」
「私は、オレンジジュー……」と安寿が言いかけたそばから、航志朗が横やりを入れた。
「安寿は白湯だろ、もちろん」
むすっと安寿は仏頂面をした。
三人で一緒に夕食を食べながら、何回も航志朗は安寿に確認した。
「安寿。このカレー、生理中の君のために甘口を選んだのに、けっこうスパイシーだな。大丈夫か?」
「安寿。生理中に冷たい生野菜をそんなにもりもり食べて大丈夫なのか?」
「おいおい、安寿。オレンジジュースを二杯も飲んで大丈夫か? 生理中なのに」
容は航志朗のうざったい安寿への過保護ぶりに肩を震わせながらカレーを口に運んだ。安寿は訊かれるたびにむすっとして「大丈夫です!」と律儀に答えた。安寿の可愛らしい仏頂面を見て、容は何回もビールを吹き出しそうになった。
「おふたりとも、おやすみなさい」
最後に風呂から上がった安寿はパジャマ姿で航志朗と容に声をかけてベッドルームに向かった。ふたりはチョコレートとクラッカーをつまみながら、それぞれ炭酸水とビールを飲んで話し込んでいた。少し赤い顔をして容が航志朗に尋ねた。
「航志朗さん、安寿さんを一人にしていいんですか?」
「いいわけないだろ。もちろんすぐに彼女のところに行く。その前に、容、君に訊きたいことがあるんだ」
「はい、なんでしょう?」
「最近の安寿は日本画に傾倒しているみたいなんだけど、理由を彼女に訊いたら、君が描いた絵を見て描きたくなったって言っていたんだ」
「それ、本当ですか! 僕、とっても嬉しいなあ」
でれでれと容は口元をだらしなくゆるませた。
じろっと容を軽くにらんでから、航志朗は腕を組んで言った。
「でも、なんだか嫌な感じがするんだよな。彼女、楽しそうに絵を描いていないんだ。何かに追い立てられているみたいに、必死になって日本画を習得しようとしている」
「んー、来年、転科して黒川ゼミに入られるとかですかね。そうしたら安寿さんと一緒のゼミになれるから、僕は大歓迎ですけどね」
「……黒川ゼミだって!」
「はい。以前、鎌倉の黒川家に納品しに行った時に、安寿さんがいらっしゃいましたよ。大学でよくおふたりで話しているところを見かけますし、親しい間柄なんですよね? ご親戚なんだから」
「安寿が鎌倉の黒川家にいたのか!」
「ええ。航志朗さん、どうかされましたか?」
「いや、……なんでもない」
思わず航志朗は目の前のビールの缶を手に取ったが、すぐに思い直して元に戻した。航志朗が気まずい顔を上げると、容はうつむいてうつらうつらしている。航志朗はLDKに布団を敷いて容に寝るように勧めた。「すいません、航志朗さん」と言って容は横になるとすぐに寝息を立て始めた。
歯磨きをしてから航志朗は階段を上ってベッドルームに行った。洗面台の鏡に映った航志朗の顔は明らかに怒気を含んでいた。
ベッドの上に安寿はいなかった。暗闇に目を慣らすと、バルコニーでスケッチブックを抱えて絵を描く安寿の後ろ姿が見えた。月明かりの下で海風にあおられて安寿の長い黒髪がたなびいている。安寿は航志朗が後ろに立っていることに気づいてそのまま振り返った。青白くその身を淡く光らせて、安寿は航志朗をまっすぐに見て微笑んだ。
思わず航志朗は息を吞んだ。
(なんて美しいんだ。安寿、君は……)
航志朗は安寿に近づくと後ろから安寿を抱きしめてささやいた。
「安寿、夜風に冷えていないか?」
「大丈夫です。ありがとうございます、航志朗さん」
安寿は愛おしそうに航志朗の顔を見上げた。
航志朗は安寿のスケッチブックをのぞき込んだ。夜の多島海の上に丸い月が描かれている。
「夜の海の上に浮かぶ月か……」
月明かりの下でふたりは優しく抱き合った。今、この瞬間が永遠に続くようにと互いに心の底から願いながら。
「容、何か飲むか? なんでもあるよ」
航志朗は冷蔵庫の扉を開けながら容に言った。
茶色い髪をタオルで拭きながら、容は冷蔵庫の中をのぞいて言った。
「じゃあ、僕、ビールをいただきます。安寿さんは?」
「私は、オレンジジュー……」と安寿が言いかけたそばから、航志朗が横やりを入れた。
「安寿は白湯だろ、もちろん」
むすっと安寿は仏頂面をした。
三人で一緒に夕食を食べながら、何回も航志朗は安寿に確認した。
「安寿。このカレー、生理中の君のために甘口を選んだのに、けっこうスパイシーだな。大丈夫か?」
「安寿。生理中に冷たい生野菜をそんなにもりもり食べて大丈夫なのか?」
「おいおい、安寿。オレンジジュースを二杯も飲んで大丈夫か? 生理中なのに」
容は航志朗のうざったい安寿への過保護ぶりに肩を震わせながらカレーを口に運んだ。安寿は訊かれるたびにむすっとして「大丈夫です!」と律儀に答えた。安寿の可愛らしい仏頂面を見て、容は何回もビールを吹き出しそうになった。
「おふたりとも、おやすみなさい」
最後に風呂から上がった安寿はパジャマ姿で航志朗と容に声をかけてベッドルームに向かった。ふたりはチョコレートとクラッカーをつまみながら、それぞれ炭酸水とビールを飲んで話し込んでいた。少し赤い顔をして容が航志朗に尋ねた。
「航志朗さん、安寿さんを一人にしていいんですか?」
「いいわけないだろ。もちろんすぐに彼女のところに行く。その前に、容、君に訊きたいことがあるんだ」
「はい、なんでしょう?」
「最近の安寿は日本画に傾倒しているみたいなんだけど、理由を彼女に訊いたら、君が描いた絵を見て描きたくなったって言っていたんだ」
「それ、本当ですか! 僕、とっても嬉しいなあ」
でれでれと容は口元をだらしなくゆるませた。
じろっと容を軽くにらんでから、航志朗は腕を組んで言った。
「でも、なんだか嫌な感じがするんだよな。彼女、楽しそうに絵を描いていないんだ。何かに追い立てられているみたいに、必死になって日本画を習得しようとしている」
「んー、来年、転科して黒川ゼミに入られるとかですかね。そうしたら安寿さんと一緒のゼミになれるから、僕は大歓迎ですけどね」
「……黒川ゼミだって!」
「はい。以前、鎌倉の黒川家に納品しに行った時に、安寿さんがいらっしゃいましたよ。大学でよくおふたりで話しているところを見かけますし、親しい間柄なんですよね? ご親戚なんだから」
「安寿が鎌倉の黒川家にいたのか!」
「ええ。航志朗さん、どうかされましたか?」
「いや、……なんでもない」
思わず航志朗は目の前のビールの缶を手に取ったが、すぐに思い直して元に戻した。航志朗が気まずい顔を上げると、容はうつむいてうつらうつらしている。航志朗はLDKに布団を敷いて容に寝るように勧めた。「すいません、航志朗さん」と言って容は横になるとすぐに寝息を立て始めた。
歯磨きをしてから航志朗は階段を上ってベッドルームに行った。洗面台の鏡に映った航志朗の顔は明らかに怒気を含んでいた。
ベッドの上に安寿はいなかった。暗闇に目を慣らすと、バルコニーでスケッチブックを抱えて絵を描く安寿の後ろ姿が見えた。月明かりの下で海風にあおられて安寿の長い黒髪がたなびいている。安寿は航志朗が後ろに立っていることに気づいてそのまま振り返った。青白くその身を淡く光らせて、安寿は航志朗をまっすぐに見て微笑んだ。
思わず航志朗は息を吞んだ。
(なんて美しいんだ。安寿、君は……)
航志朗は安寿に近づくと後ろから安寿を抱きしめてささやいた。
「安寿、夜風に冷えていないか?」
「大丈夫です。ありがとうございます、航志朗さん」
安寿は愛おしそうに航志朗の顔を見上げた。
航志朗は安寿のスケッチブックをのぞき込んだ。夜の多島海の上に丸い月が描かれている。
「夜の海の上に浮かぶ月か……」
月明かりの下でふたりは優しく抱き合った。今、この瞬間が永遠に続くようにと互いに心の底から願いながら。