今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
第9節
安寿と航志朗と容の三人が古閑家の別荘から外に出ると、予想以上の強風に身をさらした。安寿の長い黒髪が風にあおられて視界をさえぎるほどに乱れた。あわてて安寿は左手首につけてあったヘアゴムで髪を一つに結んだ。
航志朗と容は安寿の前後に立ち、安寿を守るようにして古閑邸へ続く森の中の小道を慎重に登って行った。
道の途中で迎えに来た五嶋と出くわした。安寿は五嶋の落ち着きはらった態度を見てひと安心した。道すがら五嶋は三人に状況を説明した。
「申しわけございませんが、屋敷には皆さまの他にも避難されてきたご家族が多数いらっしゃっております。中には小さなお子さまをお連れの方もいらっしゃいますので、ごゆっくりおくつろぎいただけないかと思われますが……」
航志朗が感心しながら言った。
「古閑邸は地域の方々の避難所になっているのですね?」
「はい。昔から有事の際には屋敷を開放してきました。先代は『人助けは水の循環のように当然のことだ』とよくおっしゃっていました」
それを聞いて安寿は胸をしめつけられた。
(『先代』って、ルリさんのお父さんのことね。災害の時にご自宅を提供するなんて、きっと素晴らしい方だったんだろうな)
古閑家の玄関に入ると大小様ざまなたくさんの靴が並んでいた。避難だというのに楽しそうに大声をあげてはしゃぐ子どもたちの声が上の階から聞こえてくる。
「こちらへどうぞ」
五嶋は通い慣れたルリのアトリエである奥の和室に三人を案内した。すでにそこには布団が三組用意してあった。
「襖を隔てた奥の間もございますので、どうぞご自由にお使いくださいませ」
「ありがとうございます」
三人は頭を下げた。
「ご夕食の方は用意ができましたらこちらにお運びいたします。簡素なお食事になりますが、どうかご了承くださいませ。トイレと浴室はこの奥にございますので、どうぞご遠慮なくお使いください」
旅館の仲居のような説明をすると、深々と頭を下げてから五嶋は和室を出て行った。薄暗い森のような中庭を眺めて容が控えめに小声で言った。
「なんだか避難というよりは、温泉旅館に来たようですね……」
安寿と航志朗はルリにあいさつをしてくると言って和室を出て行った。一人になった容が手持ちぶさたでスマートフォンを繰っていると、そこへステンレスポットと湯呑みを盆にのせて女の子がやって来た。容を見て表情を硬くさせた女の子は無言で和室のすみにしゃがんで盆を置いた。ふとその女の子の姿を見て容は思った。
(彼女、ルナと同じくらいの年頃かな。……あれ?)
女の子の手が小刻みに震えていることに容は気づいた。
「ありがとう」
戸惑いながら容が礼を言うと、女の子はびくっと両肩を震わせて立ち上がった。足をすくませて女の子はその場に立ち尽くした。長い沈黙がふたりを覆った。耐えきれなくなって容は声をかけた。
「ええと、君、何年生? 六年生だったら、僕の妹と同じ学年だね」
何も女の子は答えない。じっと容をつぶらな瞳で見つめている。容は胸の奥をきつくしめつけられた。そして、なんとなく何かの気配を感じて容は下に目を落とすと、女の子の足元に白い川の大きくうねるような流れを見た。
(これって……)
以前、ふとそのイメージが頭のなかに浮かんで、とっさに画筆を取った。その絵は自宅のリビングルームに飾ってある安寿が好きだと言ってくれたあの日本画のことだ。
その時、突然の雷鳴とともに大雨が降ってきた。室内が真っ暗になった。その鳴り止まない轟音に容と女の子は思わず身を寄せ合った。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんが一緒にいるからね」
容は女の子に力強い声で言った。小さく女の子はうなずいた。
航志朗と容は安寿の前後に立ち、安寿を守るようにして古閑邸へ続く森の中の小道を慎重に登って行った。
道の途中で迎えに来た五嶋と出くわした。安寿は五嶋の落ち着きはらった態度を見てひと安心した。道すがら五嶋は三人に状況を説明した。
「申しわけございませんが、屋敷には皆さまの他にも避難されてきたご家族が多数いらっしゃっております。中には小さなお子さまをお連れの方もいらっしゃいますので、ごゆっくりおくつろぎいただけないかと思われますが……」
航志朗が感心しながら言った。
「古閑邸は地域の方々の避難所になっているのですね?」
「はい。昔から有事の際には屋敷を開放してきました。先代は『人助けは水の循環のように当然のことだ』とよくおっしゃっていました」
それを聞いて安寿は胸をしめつけられた。
(『先代』って、ルリさんのお父さんのことね。災害の時にご自宅を提供するなんて、きっと素晴らしい方だったんだろうな)
古閑家の玄関に入ると大小様ざまなたくさんの靴が並んでいた。避難だというのに楽しそうに大声をあげてはしゃぐ子どもたちの声が上の階から聞こえてくる。
「こちらへどうぞ」
五嶋は通い慣れたルリのアトリエである奥の和室に三人を案内した。すでにそこには布団が三組用意してあった。
「襖を隔てた奥の間もございますので、どうぞご自由にお使いくださいませ」
「ありがとうございます」
三人は頭を下げた。
「ご夕食の方は用意ができましたらこちらにお運びいたします。簡素なお食事になりますが、どうかご了承くださいませ。トイレと浴室はこの奥にございますので、どうぞご遠慮なくお使いください」
旅館の仲居のような説明をすると、深々と頭を下げてから五嶋は和室を出て行った。薄暗い森のような中庭を眺めて容が控えめに小声で言った。
「なんだか避難というよりは、温泉旅館に来たようですね……」
安寿と航志朗はルリにあいさつをしてくると言って和室を出て行った。一人になった容が手持ちぶさたでスマートフォンを繰っていると、そこへステンレスポットと湯呑みを盆にのせて女の子がやって来た。容を見て表情を硬くさせた女の子は無言で和室のすみにしゃがんで盆を置いた。ふとその女の子の姿を見て容は思った。
(彼女、ルナと同じくらいの年頃かな。……あれ?)
女の子の手が小刻みに震えていることに容は気づいた。
「ありがとう」
戸惑いながら容が礼を言うと、女の子はびくっと両肩を震わせて立ち上がった。足をすくませて女の子はその場に立ち尽くした。長い沈黙がふたりを覆った。耐えきれなくなって容は声をかけた。
「ええと、君、何年生? 六年生だったら、僕の妹と同じ学年だね」
何も女の子は答えない。じっと容をつぶらな瞳で見つめている。容は胸の奥をきつくしめつけられた。そして、なんとなく何かの気配を感じて容は下に目を落とすと、女の子の足元に白い川の大きくうねるような流れを見た。
(これって……)
以前、ふとそのイメージが頭のなかに浮かんで、とっさに画筆を取った。その絵は自宅のリビングルームに飾ってある安寿が好きだと言ってくれたあの日本画のことだ。
その時、突然の雷鳴とともに大雨が降ってきた。室内が真っ暗になった。その鳴り止まない轟音に容と女の子は思わず身を寄せ合った。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんが一緒にいるからね」
容は女の子に力強い声で言った。小さく女の子はうなずいた。