今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
安寿と航志朗は熊本駅から午後十二時二十一分発の九州新幹線に乗った。熊本駅の土産店で指折り数えて考えてから、安寿はたくさんの菓子折りを買い求めた。博多駅で東海道新幹線に乗り換えて、ふたりは一路東京に向かった。
東京駅まで約五時間かかる車内でふたりは身を寄せ合っていた。航志朗はしばらくスマートフォンを操作するとコーヒーを飲んでいたにもかかわらず、安寿に寄り掛かって眠ってしまった。安寿は黒革のショルダーバッグの中からガラス瓶を取り出した。中には、まだ瑠璃色の天然岩絵具が残っている。安寿は少し傾いてきた陽にガラス瓶の中身を透かした。美しい青紫色が安寿の瞳と心を満たした。
航志朗が身体を動かして安寿の腰に手を回した。安寿は航志朗の寝顔を間近に見て、あることに気づいた。胸を詰まらせながら安寿は心のなかで数えた。
(航志朗さんと一緒にいられるのは、あと五日間しかない)
航志朗のまっすぐな黒髪に顔をうずめる。愛おしい航志朗の匂いがする。
(彼と一か月も一緒にいられるなんて夢のようだと思ったけれど、もうすぐその夢は覚めてしまうんだ……)
「安寿、……安寿」
名前を呼ばれて安寿は目を開けた。いつしか安寿は航志朗の肩に寄り掛かって眠っていた。
「もうすぐ品川駅だ。そろそろ到着する」
安寿は両目を航志朗の肩に擦りつけてから顔を上げてぼんやりと航志朗を見つめた。航志朗はくすっと笑って安寿の髪をなでた。
「よく眠っていたな、安寿」
「私、いつのまにか眠ってしまったんですね。今夜の夕食に何をつくろうかと考えていたはずなのに、……忘れちゃった」
そう言うと安寿は首をかしげた。
肩を震わせて航志朗は笑って言った。
「安寿。本当にたまらないほど、君は可愛いな」
ふたりを乗せた東海道新幹線は東京駅に到着した。車窓から昨年の夏に乗った北海道新幹線が見えた。ラベンダー色の車体の帯が目に入る。もう一年も会っていない恵たちの顔が安寿の脳裏にふと浮かんだ。
(敬仁くん、大きくなったんだろうな。この前の恵ちゃんのメールには「歩きはじめてから、ますます目が離せなくなって、ものすごく大変よ!」って、書いてあったっけ)
ホームに降り立つと、なぜか航志朗は駅の売店で弁当やチョコレートやドリンクを手早く買い込んだ。不思議に思いながら安寿は航志朗に言った。
「航志朗さん。私、夕食をつくるつもりだったのに」
あわてたように航志朗が大声で言った。
「急げ、安寿! あと五分しかない」
「えっ? どういうことですか」
「また乗り換える」
「……タクシーですか?」
にやっと航志朗は笑って言った。
「これから、北海道新幹線に乗り換える」
「ええっ!」
「これから、恵さんたちに会いに行こう、安寿!」
じわっと安寿は目を潤ませた。
航志朗は安寿の手を引っぱって走り出すと、北海道新幹線に乗り込んだ。肩で息を弾ませてゆったりと並んだグリーン車の座席に再び座った。何か言いたげな安寿に先回りして航志朗が言った。
「もちろん恵さんには連絡してある。『明日、安寿とそちらにうかがいます』って」
すかさず大声を出して安寿は訊いた。
「いったい、いつ連絡したんですか!」
「さっき、君がぐっすりと眠っていた間に」
ぽかんと安寿は口を開けた。こらえきれずに航志朗は吹き出した。
「新函館北斗駅に着くのは、十一時半すぎだ。駅前のホテルを予約してあるから、今夜はホテルに泊まろう」
そう言うと機嫌よさそうに航志朗はチョコレートをぽいと口に入れた。
まったく予測できない航志朗の行動力に心の底から呆れつつも感心した安寿は、座席に深く腰掛けてつぶやいた。
「もう、航志朗さんったら、いつも突然なんだから……」
北海道新幹線が東京駅から発車した。グリーン車の乗客はまばらだ。航志朗は辺りを見回してから、いきなり安寿に覆いかぶさってキスした。それはダークチョコレートのほろ苦い味がした。まだ今年の夏の旅は終わらない。心から嬉しくなった安寿は航志朗の腕に手をからませて、航志朗の琥珀色の瞳を見つめて言った。
「航志朗さん、ありがとう!」
にっこりと安寿と航志朗は微笑み合った。
夏の夜空の下で、幾多の見知らぬ人びとを照らす家々の窓からの明かりが車窓の外を流れて行くのを、安寿はなぜか懐かしく思った。手をつないで寄り掛かり合った安寿と航志朗を乗せた新幹線は、北へとまっすぐに向かって行った。
東京駅まで約五時間かかる車内でふたりは身を寄せ合っていた。航志朗はしばらくスマートフォンを操作するとコーヒーを飲んでいたにもかかわらず、安寿に寄り掛かって眠ってしまった。安寿は黒革のショルダーバッグの中からガラス瓶を取り出した。中には、まだ瑠璃色の天然岩絵具が残っている。安寿は少し傾いてきた陽にガラス瓶の中身を透かした。美しい青紫色が安寿の瞳と心を満たした。
航志朗が身体を動かして安寿の腰に手を回した。安寿は航志朗の寝顔を間近に見て、あることに気づいた。胸を詰まらせながら安寿は心のなかで数えた。
(航志朗さんと一緒にいられるのは、あと五日間しかない)
航志朗のまっすぐな黒髪に顔をうずめる。愛おしい航志朗の匂いがする。
(彼と一か月も一緒にいられるなんて夢のようだと思ったけれど、もうすぐその夢は覚めてしまうんだ……)
「安寿、……安寿」
名前を呼ばれて安寿は目を開けた。いつしか安寿は航志朗の肩に寄り掛かって眠っていた。
「もうすぐ品川駅だ。そろそろ到着する」
安寿は両目を航志朗の肩に擦りつけてから顔を上げてぼんやりと航志朗を見つめた。航志朗はくすっと笑って安寿の髪をなでた。
「よく眠っていたな、安寿」
「私、いつのまにか眠ってしまったんですね。今夜の夕食に何をつくろうかと考えていたはずなのに、……忘れちゃった」
そう言うと安寿は首をかしげた。
肩を震わせて航志朗は笑って言った。
「安寿。本当にたまらないほど、君は可愛いな」
ふたりを乗せた東海道新幹線は東京駅に到着した。車窓から昨年の夏に乗った北海道新幹線が見えた。ラベンダー色の車体の帯が目に入る。もう一年も会っていない恵たちの顔が安寿の脳裏にふと浮かんだ。
(敬仁くん、大きくなったんだろうな。この前の恵ちゃんのメールには「歩きはじめてから、ますます目が離せなくなって、ものすごく大変よ!」って、書いてあったっけ)
ホームに降り立つと、なぜか航志朗は駅の売店で弁当やチョコレートやドリンクを手早く買い込んだ。不思議に思いながら安寿は航志朗に言った。
「航志朗さん。私、夕食をつくるつもりだったのに」
あわてたように航志朗が大声で言った。
「急げ、安寿! あと五分しかない」
「えっ? どういうことですか」
「また乗り換える」
「……タクシーですか?」
にやっと航志朗は笑って言った。
「これから、北海道新幹線に乗り換える」
「ええっ!」
「これから、恵さんたちに会いに行こう、安寿!」
じわっと安寿は目を潤ませた。
航志朗は安寿の手を引っぱって走り出すと、北海道新幹線に乗り込んだ。肩で息を弾ませてゆったりと並んだグリーン車の座席に再び座った。何か言いたげな安寿に先回りして航志朗が言った。
「もちろん恵さんには連絡してある。『明日、安寿とそちらにうかがいます』って」
すかさず大声を出して安寿は訊いた。
「いったい、いつ連絡したんですか!」
「さっき、君がぐっすりと眠っていた間に」
ぽかんと安寿は口を開けた。こらえきれずに航志朗は吹き出した。
「新函館北斗駅に着くのは、十一時半すぎだ。駅前のホテルを予約してあるから、今夜はホテルに泊まろう」
そう言うと機嫌よさそうに航志朗はチョコレートをぽいと口に入れた。
まったく予測できない航志朗の行動力に心の底から呆れつつも感心した安寿は、座席に深く腰掛けてつぶやいた。
「もう、航志朗さんったら、いつも突然なんだから……」
北海道新幹線が東京駅から発車した。グリーン車の乗客はまばらだ。航志朗は辺りを見回してから、いきなり安寿に覆いかぶさってキスした。それはダークチョコレートのほろ苦い味がした。まだ今年の夏の旅は終わらない。心から嬉しくなった安寿は航志朗の腕に手をからませて、航志朗の琥珀色の瞳を見つめて言った。
「航志朗さん、ありがとう!」
にっこりと安寿と航志朗は微笑み合った。
夏の夜空の下で、幾多の見知らぬ人びとを照らす家々の窓からの明かりが車窓の外を流れて行くのを、安寿はなぜか懐かしく思った。手をつないで寄り掛かり合った安寿と航志朗を乗せた新幹線は、北へとまっすぐに向かって行った。