今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 安寿と航志朗の三回目の結婚記念日がやって来た。安寿の二十一回目の誕生日には帰国できなかったが、航志朗はその一週間後の結婚記念日の当日の朝にパリから帰って来た。

 安寿は前日から航志朗のマンションで彼の帰りを待っていた。午前六時すぎにタクシーでマンションに着いた航志朗は、インターホンを鳴らさずに静かにリビングルームの中に入った。二階のベッドルームで眠っていると思っていた安寿が毛布にくるまりソファのアームに寄りかかって目を閉じていた。ソファの前にしゃがんだ航志朗は安寿の黒髪に手を触れながら、声を絞り出して彼女の名前を呼んだ。

 「安寿……」

 安寿は目を閉じたままだ。早朝の柔らかい光に照らされた安寿は心が震えるほどにあどけない姿だが、ふと航志朗は微かな違和感を持った。安寿の毛布を握りしめた左手の結婚指輪が鈍く光る。眉間にしわを寄せて航志朗は横たわった安寿の姿を凝視した。

 (安寿、少し痩せたみたいだな。なんだか顔色もよくない気がする……)

 ゆっくりと安寿が目を覚ました。きつく胸がしめつけられるほどの可愛らしい笑顔で安寿は航志朗に微笑んだ。あまりの愛おしさに全身が貫かれて航志朗は言葉をなくした。身体を起こした安寿はソファに座ったまま両手を広げて言った。

 「航志朗さん、おかえりなさい」

 「ただいま、……安寿」

 航志朗は腕の中に安寿を抱きしめた。安寿のこのうえなく温かい身体を胸に感じて、心を震わせながら航志朗は思った。

 (俺は絶対に君を離さない。……誰がなんと言おうとも)

 安寿と航志朗は昨晩安寿がつくっておいたシチューを温め直して朝食をとった。丸いスープスプーンを置いて安寿が顔を上げると、目の前に航志朗の照れくさそうな笑顔がある。安寿は朝日に照らされた航志朗の金色に輝く琥珀色の瞳を見つめた。

 (今、私の目の前に航志朗さんがいる)

 安寿は愛おしさにあふれたそのまなざしを航志朗に向けて思った。

 (結婚記念日も、もう三回目。でも、あと一回で最後になるんだ……)

 「航志朗さん、お誕生日おめでとうございます。あとでバースデーケーキを焼きますね」

 「ありがとう、安寿。二十代最後の誕生日なんだよな、俺……」

 心なしか航志朗は苦笑を浮かべた。

 朝食を食べ終わると、またふたりはソファに座って一緒に毛布にくるまって抱き合った。互いの瞳を見つめ合いながら何度も唇を重ねる。身体を重ねようとするが、互いの温もりにだんだんまぶたが重くなってくる。やがて、抱き合ったままふたりは眠り込んでしまった。

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