今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
第21章 最後の試練
第1節
黒川家から戻って来て一週間が経過した。一日中、安寿はパジャマを着たままソファの上に座っていた。顔色を青白くして安寿は憔悴しきっていた。目を開けてはいるが、その焦点の合っていない瞳は何も見ていない。というよりも、目の前の現実を見ることを拒否しているかのようだ。
ときおり、安寿はまぶたで目を覆って、つかのまの眠りに落ちた。だが、すぐに目を覚ますと、呼吸を荒くして激しく頭を横に振った。顔を曇らせて航志朗は安寿を強く抱きしめた。ずっと安寿の背中をさすってなんとか落ち着かせようとする。だんだん身体の力が抜けてきて、安寿はまたうとうとし始める。
常に航志朗は安寿の隣に寄り添って見守っていた。食事の時間になると、安寿の様子を見はからってキッチンに立った。食材はネットスーパーで適宜購入した。それでも、航志朗は伊藤夫妻に助けを求めなかった。ある想いが航志朗を突き動かしたからだ。
(今、俺は運命に試されている。安寿のそばにいる資格が、本当に俺にあるのかどうか)
毎日、朝日が昇ると「安寿、朝が来たよ」と穏やかに言って航志朗は安寿を起こした。航志朗はぼんやりとした安寿を窓辺に連れて行って一緒に日向ぼっこをした。夜になったらぐっすりと眠れるようにするためだ。
真夏の空は爽快に晴れて暑い熱気が肌に触れる。後ろから抱きしめて安寿の髪を優しくなでていると、安寿の肌が汗ばんでくるのを感じて安堵する。汗をかくのは生きている証拠だ。ずっと安寿の瞳は虚ろなままだが、確かに安寿の肌は夏の暑い陽気に反応している。
(昨年の夏は、早起きして安寿と海に行ったのか……)
ふと安寿の可愛らしい水着姿を思い出すが、過ぎ去った時間を懐かしんでも現状は何も変わらない。「朝食をつくってくる。ちょっと待ってて」と声をかけて、航志朗はキッチンに行った。手早く多めの溶き卵に薄力粉を混ぜてつくった生地にカットしたバナナを入れて、フライパンで丸く焼く。焼きあがったパンケーキをプレートにのせてたっぷりとハチミツをかけてから、新鮮なブルーベリーもこぼれ落ちるくらいに添えた。ミルクティーと一緒に、航志朗はまだ日向ぼっこをしている安寿のもとに運んだ。安寿は下を向いたままマグカップを受け取ると小さな声で言った。
「……ありがとう、航志朗さん」
一週間ぶりに聞く安寿の声だ。航志朗は目の奥がじわっとした。パンケーキをひと口大にケーキナイフでカットして安寿の口に運ぶ。視線を落としたままで安寿は口を開けてパンケーキを口にした。ハチミツが安寿の口元にたれると、とっさに航志朗はそれを舐めてとった。顔を上げた安寿が航志朗を見つめて頬を赤らめた。
一週間ぶりにふたりは目を合わせた。我慢できずに航志朗は安寿に唇を重ねた。それは一週間ぶりではなく、三か月半と一週間ぶりだ。ふたりはキスしながら陽のあたる窓辺で静かに抱き合った。やがて、そのまま安寿は航志朗に身をあずけて眠ってしまった。
航志朗は安寿を抱き上げてソファに運び、まだたたんでいなかった洗濯物の山の中からバスタオルを取り出して安寿にかけた。ずっと青白かった安寿の顔に赤みが戻ってきている。安寿の寝息が穏やかに耳に聞こえてくる。ふいに航志朗の視界がにじんだ。安寿にかけたバスタオルの端で航志朗は目をぬぐった。
残ったパンケーキを全部平らげると、ふと航志朗はずっとイーゼルに立てかけられたままの何も描かれていないキャンバスを見つめた。
ときおり、安寿はまぶたで目を覆って、つかのまの眠りに落ちた。だが、すぐに目を覚ますと、呼吸を荒くして激しく頭を横に振った。顔を曇らせて航志朗は安寿を強く抱きしめた。ずっと安寿の背中をさすってなんとか落ち着かせようとする。だんだん身体の力が抜けてきて、安寿はまたうとうとし始める。
常に航志朗は安寿の隣に寄り添って見守っていた。食事の時間になると、安寿の様子を見はからってキッチンに立った。食材はネットスーパーで適宜購入した。それでも、航志朗は伊藤夫妻に助けを求めなかった。ある想いが航志朗を突き動かしたからだ。
(今、俺は運命に試されている。安寿のそばにいる資格が、本当に俺にあるのかどうか)
毎日、朝日が昇ると「安寿、朝が来たよ」と穏やかに言って航志朗は安寿を起こした。航志朗はぼんやりとした安寿を窓辺に連れて行って一緒に日向ぼっこをした。夜になったらぐっすりと眠れるようにするためだ。
真夏の空は爽快に晴れて暑い熱気が肌に触れる。後ろから抱きしめて安寿の髪を優しくなでていると、安寿の肌が汗ばんでくるのを感じて安堵する。汗をかくのは生きている証拠だ。ずっと安寿の瞳は虚ろなままだが、確かに安寿の肌は夏の暑い陽気に反応している。
(昨年の夏は、早起きして安寿と海に行ったのか……)
ふと安寿の可愛らしい水着姿を思い出すが、過ぎ去った時間を懐かしんでも現状は何も変わらない。「朝食をつくってくる。ちょっと待ってて」と声をかけて、航志朗はキッチンに行った。手早く多めの溶き卵に薄力粉を混ぜてつくった生地にカットしたバナナを入れて、フライパンで丸く焼く。焼きあがったパンケーキをプレートにのせてたっぷりとハチミツをかけてから、新鮮なブルーベリーもこぼれ落ちるくらいに添えた。ミルクティーと一緒に、航志朗はまだ日向ぼっこをしている安寿のもとに運んだ。安寿は下を向いたままマグカップを受け取ると小さな声で言った。
「……ありがとう、航志朗さん」
一週間ぶりに聞く安寿の声だ。航志朗は目の奥がじわっとした。パンケーキをひと口大にケーキナイフでカットして安寿の口に運ぶ。視線を落としたままで安寿は口を開けてパンケーキを口にした。ハチミツが安寿の口元にたれると、とっさに航志朗はそれを舐めてとった。顔を上げた安寿が航志朗を見つめて頬を赤らめた。
一週間ぶりにふたりは目を合わせた。我慢できずに航志朗は安寿に唇を重ねた。それは一週間ぶりではなく、三か月半と一週間ぶりだ。ふたりはキスしながら陽のあたる窓辺で静かに抱き合った。やがて、そのまま安寿は航志朗に身をあずけて眠ってしまった。
航志朗は安寿を抱き上げてソファに運び、まだたたんでいなかった洗濯物の山の中からバスタオルを取り出して安寿にかけた。ずっと青白かった安寿の顔に赤みが戻ってきている。安寿の寝息が穏やかに耳に聞こえてくる。ふいに航志朗の視界がにじんだ。安寿にかけたバスタオルの端で航志朗は目をぬぐった。
残ったパンケーキを全部平らげると、ふと航志朗はずっとイーゼルに立てかけられたままの何も描かれていないキャンバスを見つめた。