今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
一回乗り換えて三十分ほどで目的地に到着した。安寿はどこに行くのか航志朗から知らされていない。地上に出てから五分ほど歩いたところに建つデザイン性のある外観のビルの七階にその店はあった。
エレベーターを降りると、フロアを囲んだ壁そのものがひとつの美しいアート作品であるかのように見える空間が広がっていた。ゆったりとした静謐な店内には、樹々が植えられているようにワンピースが並び、飴色のアンティーク家具のシェルフにはシンプルなデザインの柔らかな白の食器が数点並べられていた。食器もアンティークなのかもしれない。他に余計なものは置かれていない。おそらくブティックなのだろうが、なんの店なのか全然わからない。
航志朗が店内を熱心に見回している安寿を見て、目を細めて言った。
「安寿、君が着てみたいと思う服を好きに選ぶといい」
安寿は航志朗を見上げて、やっと気がついた。
「ここって……」
「そう。君が好きな服のブランドの本店だよ」
「すてき……。美術館みたい」
「そうだな。服がアート作品みたいだ」
安寿は下を向いた。オーク材のヘリンボーン張りの床に目を走らせながら思った。
(きっと、ものすごく高価な服だ。絶対に買ってもらうなんてできない)
それでも安寿は並んでいるワンピースをどうしても見たくなった。航志朗は安寿の手を取って店内を回り出した。見るからにおしゃれなショップスタッフが柔らかい笑顔を向けてきた。他に客はいない。安寿がオリーブグリーンのワンピースの生地のシダ植物のような葉の繊細な刺繍のデザインに見入ると、スタッフは「岸さま、どうぞご遠慮なくお手に取ってご覧くださいませ」と快活な声をかけた。
(手に取るなんて、とてもできない)と内心思った安寿の目の前で、ひょいと航志朗はワンピースを取って安寿の身体にあてた。
「うん。これ、いいんじゃないか。試着してみれば、安寿?」
あわてて安寿は言った。
「あの、ひととおり見せていただいてもいいですか?」
うなずいて航志朗は同意した。ふと気づいて安寿は航志朗に尋ねた。
「あの店員さん、『岸さま』って……」
こともなげに航志朗が答えた。
「ああ、午前中、貸し切りにしてもらったんだ」
「か、貸し切り……」
「そう。その方が、君がゆっくり服を見られるかなと思って」
(それって、何か買わなくちゃいけないんじゃないの……)
胸の内で安寿はあせった。あわてて店内を見回すと、並んだワンピースと同じ生地で作られた小さな手提げバッグが壁に掛けられているのが目に入った。他にもいろいろな生地のミニバッグが、色とりどりの花が咲いているように飾ってある。はぎれで作られたエコバッグだ。先程見たオリーブグリーンのワンピースと同じ生地のバッグを手に取って、安寿は素早くプライスタグを見た。高いには高いが、何とか自分の財布の中身で買える値段だった。頭のなかで安寿は考えた。
(これを買えば、大丈夫かな……)
離れたところにいた航志朗が両手にワンピースを持って安寿のそばにやって来た。明るいイエローとオレンジ色のワンピースだ。
「安寿、君はいつも地味な服ばかり着ているから、たまにはこういうのもいいんじゃないか?」
安寿は仏頂面をして言った。
「私は地味な色が好きなんです!」
スタッフがくすっと笑った声が聞こえて、安寿は赤くなった。
航志朗は久しぶりの安寿の可愛らしい仏頂面を見て心から安堵した。急に安寿を愛おしく思う気持ちがあふれ出してきて航志朗は思った。
(安寿のためなら、この店の服を全部買いしめてもいい!)
エレベーターを降りると、フロアを囲んだ壁そのものがひとつの美しいアート作品であるかのように見える空間が広がっていた。ゆったりとした静謐な店内には、樹々が植えられているようにワンピースが並び、飴色のアンティーク家具のシェルフにはシンプルなデザインの柔らかな白の食器が数点並べられていた。食器もアンティークなのかもしれない。他に余計なものは置かれていない。おそらくブティックなのだろうが、なんの店なのか全然わからない。
航志朗が店内を熱心に見回している安寿を見て、目を細めて言った。
「安寿、君が着てみたいと思う服を好きに選ぶといい」
安寿は航志朗を見上げて、やっと気がついた。
「ここって……」
「そう。君が好きな服のブランドの本店だよ」
「すてき……。美術館みたい」
「そうだな。服がアート作品みたいだ」
安寿は下を向いた。オーク材のヘリンボーン張りの床に目を走らせながら思った。
(きっと、ものすごく高価な服だ。絶対に買ってもらうなんてできない)
それでも安寿は並んでいるワンピースをどうしても見たくなった。航志朗は安寿の手を取って店内を回り出した。見るからにおしゃれなショップスタッフが柔らかい笑顔を向けてきた。他に客はいない。安寿がオリーブグリーンのワンピースの生地のシダ植物のような葉の繊細な刺繍のデザインに見入ると、スタッフは「岸さま、どうぞご遠慮なくお手に取ってご覧くださいませ」と快活な声をかけた。
(手に取るなんて、とてもできない)と内心思った安寿の目の前で、ひょいと航志朗はワンピースを取って安寿の身体にあてた。
「うん。これ、いいんじゃないか。試着してみれば、安寿?」
あわてて安寿は言った。
「あの、ひととおり見せていただいてもいいですか?」
うなずいて航志朗は同意した。ふと気づいて安寿は航志朗に尋ねた。
「あの店員さん、『岸さま』って……」
こともなげに航志朗が答えた。
「ああ、午前中、貸し切りにしてもらったんだ」
「か、貸し切り……」
「そう。その方が、君がゆっくり服を見られるかなと思って」
(それって、何か買わなくちゃいけないんじゃないの……)
胸の内で安寿はあせった。あわてて店内を見回すと、並んだワンピースと同じ生地で作られた小さな手提げバッグが壁に掛けられているのが目に入った。他にもいろいろな生地のミニバッグが、色とりどりの花が咲いているように飾ってある。はぎれで作られたエコバッグだ。先程見たオリーブグリーンのワンピースと同じ生地のバッグを手に取って、安寿は素早くプライスタグを見た。高いには高いが、何とか自分の財布の中身で買える値段だった。頭のなかで安寿は考えた。
(これを買えば、大丈夫かな……)
離れたところにいた航志朗が両手にワンピースを持って安寿のそばにやって来た。明るいイエローとオレンジ色のワンピースだ。
「安寿、君はいつも地味な服ばかり着ているから、たまにはこういうのもいいんじゃないか?」
安寿は仏頂面をして言った。
「私は地味な色が好きなんです!」
スタッフがくすっと笑った声が聞こえて、安寿は赤くなった。
航志朗は久しぶりの安寿の可愛らしい仏頂面を見て心から安堵した。急に安寿を愛おしく思う気持ちがあふれ出してきて航志朗は思った。
(安寿のためなら、この店の服を全部買いしめてもいい!)