今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
安寿と航志朗は二人きりになった。航志朗は安寿の顔を見た。安寿は無言で目を閉じて、うつむきながら微笑んでいる。泣くのを我慢しているのかもしれない。それは頼りなげで孤独な姿だった。航志朗は心が痛むのを感じながら、安寿に静かに言った。
「よかったな」
安寿は目を閉じたままうなずいた。そして、航志朗は安寿の髪を軽くなでながら言った。
「安寿、よくやったな」
安寿と航志朗は地下駐車場に降りて車に乗り込んだ。時計を見ると午後七時すぎだった。航志朗はエンジンをかけようとした手を止めて、安寿に尋ねた。
「安寿、足は大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
「婚姻届、これから、……出しに行くか?」
「夜遅くに出せるんですか?」
「ああ、夜間窓口がある」
安寿はうなずいた。
車はいったん最寄りのコンビニエンスストアの駐車場に止まった。一人で行くと安寿は言い、キオスク端末に向かって戸籍証明書を取りに行った。しばらくの間、航志朗は車の中で安寿を待っていたが、コンビニエンスストアのガラス越しに紙を持ってたたずむ安寿に気づき、あわてて車を降りて迎えに行った。
「大丈夫?」
「……はい」
そのまま安寿は左足を引きずって車に戻った。航志朗も後から車に乗り込んだ。暗い車内でふたりは沈黙した。
安寿が重い口を開いた。
「あの、岸さん。実は、私、非嫡出子なんです。父に会ったことがありませんし、父が誰なのかさえ知らないんです」と安寿は言って、自分の戸籍証明書を航志朗に手渡した。航志朗はそれをひと目見てすぐに気づいた。
(父親の欄が空欄だ……)
「初めて自分の戸籍を見ました。なんだか私は、ずっとひとりぼっちだったんだって思いました」
(母親は十三年前に亡くなっているのか……)
航志朗は言葉を無くした。本当に自分は安寿のことを何も知らない。
それから航志朗もコンビニエンスストアに行って戸籍証明書を取得した。
「君のを見せてもらったから、俺のも見てみたら」と航志朗は言って安寿に証明書を手渡してから車を発進させた。安寿は航志朗の戸籍証明書に目を落としてつぶやくように言った。
「……岸さんは、私より八歳年上なんですね」
「ああ、そうだな」
(彼女は俺の年齢も知らなかったんだな。それって、今まで俺にぜんぜん関心がなかったってことだよな……)
航志朗は肩を落として、ひそかに落ち込んだ。
その時、「あっ」と安寿は小さな声をあげた。
「ん? どうした」
「今日、岸さん、お誕生日じゃないですか!」
「あ、……そうだった。忘れてたな」
(誕生日に婚姻届を出すなんていいの?)と安寿は胸の内で思った。
(だって、離婚した後も誕生日が来るたびに、今日のことを思い出してしまうんじゃないの)
安寿は車を運転している航志朗の横顔をこっそりと盗み見た。すぐに航志朗はその視線に気づき、眉を上げて軽く笑いかけてきた。安寿は胸がどきっとしてから不思議に思った。
(どうして、私が見ていることにすぐ気がつくの?)
航志朗はどうしても思い浮かんでしまう事実を考えていた。
(すでに恵さんと渡辺さんは強い絆で結ばれていた。おそらく安寿の想像が及ばないほどに。安寿が何もしなくても、あのふたりはハッピーエンドを迎えていたんじゃないのか。わざわざ好きでもない俺と結婚しなくても……)
航志朗は右を向いてため息をついた。
「よかったな」
安寿は目を閉じたままうなずいた。そして、航志朗は安寿の髪を軽くなでながら言った。
「安寿、よくやったな」
安寿と航志朗は地下駐車場に降りて車に乗り込んだ。時計を見ると午後七時すぎだった。航志朗はエンジンをかけようとした手を止めて、安寿に尋ねた。
「安寿、足は大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
「婚姻届、これから、……出しに行くか?」
「夜遅くに出せるんですか?」
「ああ、夜間窓口がある」
安寿はうなずいた。
車はいったん最寄りのコンビニエンスストアの駐車場に止まった。一人で行くと安寿は言い、キオスク端末に向かって戸籍証明書を取りに行った。しばらくの間、航志朗は車の中で安寿を待っていたが、コンビニエンスストアのガラス越しに紙を持ってたたずむ安寿に気づき、あわてて車を降りて迎えに行った。
「大丈夫?」
「……はい」
そのまま安寿は左足を引きずって車に戻った。航志朗も後から車に乗り込んだ。暗い車内でふたりは沈黙した。
安寿が重い口を開いた。
「あの、岸さん。実は、私、非嫡出子なんです。父に会ったことがありませんし、父が誰なのかさえ知らないんです」と安寿は言って、自分の戸籍証明書を航志朗に手渡した。航志朗はそれをひと目見てすぐに気づいた。
(父親の欄が空欄だ……)
「初めて自分の戸籍を見ました。なんだか私は、ずっとひとりぼっちだったんだって思いました」
(母親は十三年前に亡くなっているのか……)
航志朗は言葉を無くした。本当に自分は安寿のことを何も知らない。
それから航志朗もコンビニエンスストアに行って戸籍証明書を取得した。
「君のを見せてもらったから、俺のも見てみたら」と航志朗は言って安寿に証明書を手渡してから車を発進させた。安寿は航志朗の戸籍証明書に目を落としてつぶやくように言った。
「……岸さんは、私より八歳年上なんですね」
「ああ、そうだな」
(彼女は俺の年齢も知らなかったんだな。それって、今まで俺にぜんぜん関心がなかったってことだよな……)
航志朗は肩を落として、ひそかに落ち込んだ。
その時、「あっ」と安寿は小さな声をあげた。
「ん? どうした」
「今日、岸さん、お誕生日じゃないですか!」
「あ、……そうだった。忘れてたな」
(誕生日に婚姻届を出すなんていいの?)と安寿は胸の内で思った。
(だって、離婚した後も誕生日が来るたびに、今日のことを思い出してしまうんじゃないの)
安寿は車を運転している航志朗の横顔をこっそりと盗み見た。すぐに航志朗はその視線に気づき、眉を上げて軽く笑いかけてきた。安寿は胸がどきっとしてから不思議に思った。
(どうして、私が見ていることにすぐ気がつくの?)
航志朗はどうしても思い浮かんでしまう事実を考えていた。
(すでに恵さんと渡辺さんは強い絆で結ばれていた。おそらく安寿の想像が及ばないほどに。安寿が何もしなくても、あのふたりはハッピーエンドを迎えていたんじゃないのか。わざわざ好きでもない俺と結婚しなくても……)
航志朗は右を向いてため息をついた。