今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる

第3節

 翌朝になった。開けたままの窓から部屋の中に薄明かりとともに小風が入ってきた。わずかに初秋の気配が混じった風が、涙が乾ききった安寿の頬をなでた。ソファの上でタオルケットにくるまった安寿は目を覚ました。昨夜、航志朗が眠った後、ひっそりと安寿はベッドから起きて一階に下りた。そして、ソファの上で丸まった。航志朗と一つのベッドで眠ることがどうしようもなくつらかったのだ。カーペットに落ちたスマートフォンを取り上げて見ると午前六時になっていた。

 (もうすぐ、また航志朗さんは遠くへ飛び立ってしまうんだ……)

 タオルケットをはいで安寿は窓辺に立った。窓の外を見上げるとみずみずしい水色の空が広がっていた。その色彩は航志朗に買ってもらったワンピースを思い起こさせる。あのワンピースは自室のクローゼットの奥にしまってある。真っ暗な空間に閉じ込められた袖を通す予定がまったくないあのワンピースのことを、安寿は心のなかでもの哀しく思った。

 「安寿……」

 後ろから切なげに声をかけられた。安寿が振り向くとそこに航志朗が立っていた。航志朗の姿は活力がなく明らかに打ちひしがれている。ソファに放置されたままのタオルケットを目に入れて、航志朗がかすれた声で尋ねた。
  
 「ソファで寝たのか、安寿?」

 瞳の色をわずかに曇らせただけで、安寿は何も答えなかった。航志朗はソファからタオルケットを持って来ると安寿を包み込んで抱きしめた。航志朗の腕の中で安寿は目を固く閉じて、航志朗の身体に抱きつかないように我慢した。安寿の両肩がこわばったことに航志朗は気づいた。安寿の身体から拒絶の匂いがして、航志朗は心の底から恐れおののいた。だが、努めて平静さを装って、航志朗はわざと明るい声を出して言った。

 「ソファじゃよく眠れなかっただろ。まだ眠いんじゃないか、安寿?」

 無言で下を向いたままの安寿の肩を抱いてソファに連れて行くと、航志朗は腕の中に安寿を抱き寄せて座った。ずっと安寿が身体を硬直させていることに航志朗は気づいている。しばらくの間、何も言わずに航志朗は優しく安寿の長い黒髪をなでた。それから、うつむいたままの安寿の顎をそっと持ち上げて、安寿の耳たぶに軽く口づけた。その瞬間、微かに安寿の肩が動いた。航志朗は安寿の額と頬にゆっくりと時間をかけて何回も口づけた。温かく柔らかいその甘くとろけるような感触に、だんだんと安寿は身体じゅうの力が抜けてきた。肩を落として安寿が頬を赤らめたのを見て、航志朗は胸をなでおろした。

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