今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
その日最後の客を見送ってから画廊の施錠をすると、華鶴は黙って五階に上がって行った。伊藤が運転する車で安寿と岸は帰途に着いた。
岸家では咲が熱々の水炊きを用意して待っていた。さっそく安寿と岸は食卓についた。咲が斜め切りにした長ねぎを卓上コンロにかけられた土鍋に入れながら安寿に言った。
「鶏モモ肉の入った水炊きは、だんなさまの大好物なんですよ。でも、子どもの頃の航志朗坊っちゃんは水炊きがお嫌いで、お出しするといつもがっくりと肩を落としていらっしゃいましたっけ……」
くすっと咲は口に手を当てて思い出し笑いをした。
水炊きの湯気を見ながら安寿は思った。
(航志朗さん、パリでどんな食事をしているんだろう)
風呂から出た後もお腹がぽかぽかと温かい。ここ数日間で、ずいぶんと気温が下がった。向こう三か月の天気予報では、今年の冬は全国的に厳しい寒さになりそうだと報じられていた。厚手のパジャマを着てベッドに腰掛けた安寿はスマートフォンをじっと見つめた。画面表示は午後九時になっている。予想通りメロディーが鳴り始めた。航志朗からだ。
『安寿、今日も元気だったか?』
航志朗の定番になったセリフが耳に入ってきた。
思わず安寿はため息をついた。二か月前にパリに行ってから、毎晩のように航志朗が電話をしてくるようになった。初めのうちはものすごく嬉しくて毎晩楽しみにしていたのだが、だんだん申しわけなくなってきた。航志朗は多忙な仕事の合間のランチタイムに時間をつくって毎日連絡してくれる。
ふと安寿は思い出して尋ねた。
「航志朗さんは、パリでどんなお食事をされているんですか?」
『ん? 何を食べているんだ、俺は。今、目の前にあるのは、いつものブラッスリー定番のランチセットのクロックムッシュとサーモンのタルタルで、それにフライドポテトが添えられてある。今夜の夕食はなんだったんだ、安寿?』
「……鶏モモ肉の水炊きです」
思わず安寿は吹き出しそうになったが我慢した。
『おっ、いいなあ、水炊き。俺も君と一緒に鍋をつつきたかったな』
予想外の航志朗の反応に眉間にしわを寄せた安寿は首をかしげた。
『パリはここのところずっと曇り空で、ものすごく寒いんだ。安寿、ここに来て身も心も凍えた俺を温めてくれよ』
その甘い言葉に安寿は頬を赤らめながら思った。
(今、航志朗さんはフランス語で考えているんだ、きっと)
それからしばらくたわいもない会話をして、安寿はスマートフォンをベッドの上に置いた。うつむいた安寿の顔には微笑みがあふれ出ていた。航志朗からの国際電話のおかげで、お腹だけではなく心も温まった。
(早くクリスマスが来ないかな……)
枕を手に取って安寿は胸に抱きしめた。だが、すぐに気を取り直して、安寿は父が使っていた画筆を握って大きなキャンバスに向かった。白い油絵具を筆先にのせて風に乗るように描き出す。──白い翼の絵を。
(私、航志朗さんが言っていたような翼が欲しい。もし私に白い大きな翼があったら、今すぐにでも飛んでいきたい。……彼のところへ)
岸家では咲が熱々の水炊きを用意して待っていた。さっそく安寿と岸は食卓についた。咲が斜め切りにした長ねぎを卓上コンロにかけられた土鍋に入れながら安寿に言った。
「鶏モモ肉の入った水炊きは、だんなさまの大好物なんですよ。でも、子どもの頃の航志朗坊っちゃんは水炊きがお嫌いで、お出しするといつもがっくりと肩を落としていらっしゃいましたっけ……」
くすっと咲は口に手を当てて思い出し笑いをした。
水炊きの湯気を見ながら安寿は思った。
(航志朗さん、パリでどんな食事をしているんだろう)
風呂から出た後もお腹がぽかぽかと温かい。ここ数日間で、ずいぶんと気温が下がった。向こう三か月の天気予報では、今年の冬は全国的に厳しい寒さになりそうだと報じられていた。厚手のパジャマを着てベッドに腰掛けた安寿はスマートフォンをじっと見つめた。画面表示は午後九時になっている。予想通りメロディーが鳴り始めた。航志朗からだ。
『安寿、今日も元気だったか?』
航志朗の定番になったセリフが耳に入ってきた。
思わず安寿はため息をついた。二か月前にパリに行ってから、毎晩のように航志朗が電話をしてくるようになった。初めのうちはものすごく嬉しくて毎晩楽しみにしていたのだが、だんだん申しわけなくなってきた。航志朗は多忙な仕事の合間のランチタイムに時間をつくって毎日連絡してくれる。
ふと安寿は思い出して尋ねた。
「航志朗さんは、パリでどんなお食事をされているんですか?」
『ん? 何を食べているんだ、俺は。今、目の前にあるのは、いつものブラッスリー定番のランチセットのクロックムッシュとサーモンのタルタルで、それにフライドポテトが添えられてある。今夜の夕食はなんだったんだ、安寿?』
「……鶏モモ肉の水炊きです」
思わず安寿は吹き出しそうになったが我慢した。
『おっ、いいなあ、水炊き。俺も君と一緒に鍋をつつきたかったな』
予想外の航志朗の反応に眉間にしわを寄せた安寿は首をかしげた。
『パリはここのところずっと曇り空で、ものすごく寒いんだ。安寿、ここに来て身も心も凍えた俺を温めてくれよ』
その甘い言葉に安寿は頬を赤らめながら思った。
(今、航志朗さんはフランス語で考えているんだ、きっと)
それからしばらくたわいもない会話をして、安寿はスマートフォンをベッドの上に置いた。うつむいた安寿の顔には微笑みがあふれ出ていた。航志朗からの国際電話のおかげで、お腹だけではなく心も温まった。
(早くクリスマスが来ないかな……)
枕を手に取って安寿は胸に抱きしめた。だが、すぐに気を取り直して、安寿は父が使っていた画筆を握って大きなキャンバスに向かった。白い油絵具を筆先にのせて風に乗るように描き出す。──白い翼の絵を。
(私、航志朗さんが言っていたような翼が欲しい。もし私に白い大きな翼があったら、今すぐにでも飛んでいきたい。……彼のところへ)