今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
交代で入浴してから、クリスマスイブの夕食の席に向かい合って座った。安寿も航志朗もパジャマの上にセーターを着ている。レモンをしぼった炭酸水で乾杯してから夕食をとった。せっかくのクリスマスディナーだが、安寿のつれない態度に落ち込んだ航志朗は食欲がわいてこない。ディナースプーンが進まない航志朗に安寿が心配そうに尋ねた。
「航志朗さん、大丈夫ですか?」
苦笑いしながら航志朗が答えた。
「あんまり大丈夫じゃないな」
「疲れているのかも。早く寝たほうがいいですね」
「……ケーキは食べる」
安寿は肩をすくめてチョコレートケーキをキッチンから持って来た。すでにたっぷりと生クリームがかかっていて、その上にイチゴとラズベリーが並んでいる。安寿がナイフで切り分けようとすると、航志朗が小さな子どものように言った。
「俺、そのままで食べたい」
安寿はうなずいてフォークを航志朗に手渡そうとしたが、航志朗は受け取らない。しばらく元気のない航志朗の姿を見つめた安寿は、航志朗の隣に座るとスマートフォンの動画サイトを開いてクリスマスソングを再生した。そして、フォークを持ってチョコレートケーキを航志朗の口の前に運んだ。
「はい、あーんしてください、航志朗さん」
「安寿……」
おとなしく航志朗は口を開けた。にっこり笑った安寿はチョコレートケーキを航志朗の口の中に入れた。またすぐに航志朗は口を開けた。それから何回も安寿は航志朗の口にケーキを運んだ。
チョコレートケーキを平らげたふたりは、洗面台の前で一緒に並んで歯みがきをした。航志朗は左手を安寿の腰に回した。安寿は鏡に映る自分たちの姿を見つめた。満足そうな航志朗が自分の隣に立って歯ブラシを動かしている。
(本当の夫婦みたい……)
そう心から安寿は思った。安寿は航志朗を見上げると急に胸がどきどきしはじめた。
(本当の夫婦だったら、クリスマスイブの夜に何をするんだろう)
その情景が脳裏に浮かんで安寿は顔を赤らめた。交互に口をゆすぐと、航志朗が安寿の手を握って言った。
「まだ早いけど、ベッドに行こうか、安寿」
安寿はうなずいた。ふたりは一つのベッドの上で横になった。ふたりの距離は微妙に離れている。おずおずと航志朗は安寿の手を握った。安寿は航志朗の横顔を見つめた。航志朗も安寿を見つめ返した。
申しわけなさそうに航志朗が言った。
「安寿、ごめん。クリスマスプレゼントを用意するのを忘れた」
「そんな謝らないでください。私、もうクリスマスプレゼントをもらうような歳ではありませんし、あんなにたくさんのバラをプレゼントしてくれたじゃないですか。それに……」
「それに?」
「それに、一緒にいてくれるだけで、私はじゅうぶん嬉しいです」
「安寿……」
「航志朗さん。私こそ、あなたにクリスマスプレゼントを用意していなくて、ごめんなさい」
しばらく沈黙してから航志朗が言った。
「じゃあ、今、君にクリスマスプレゼントをもらおうかな」
胸をどきっとさせて安寿は尋ねた。
「何がいいですか?」
「もちろん、俺は君のすべてが欲しい」
ふたりは見つめ合った。微かに表情を曇らせて安寿は瞳を揺らした。航志朗は思わずストレートに言ってしまった自分の言葉を後悔して謝罪した。
「ご、ごめん! 安寿」
突然、安寿は航志朗に全身で抱きついた。驚いた航志朗は目を大きく見開いた。
「謝らないでください。私が悪いのに」
「君が悪いんじゃない。皓貴さんが……」
あわてて航志朗は口をつぐんだ。あの夜以来、安寿も航志朗も黒川の名前は一度も口に出していない。
苦しそうな表情で安寿は吐き捨てるように言った。
「あのひとは全然関係ない。私が愚かなだけ」
航志朗は安寿をきつく抱きしめて大声で叫んだ。
「安寿、君は愚かなんかじゃない!」
目に涙を浮かべながら、安寿は航志朗にそっと唇を重ねた。航志朗は胸の鼓動が早まった。だが、すぐに安寿は唇を離してつらそうに言った。
「本当にごめんなさい、航志朗さん。私、これ以上、……どうしてもできないの」
「安寿、謝らなくていい。俺は君が元気になるまで待てるから大丈夫だ」
安寿は航志朗にきつくしがみついた。
「航志朗さん、私、怖いの。本当にいろいろなことが……」
「大丈夫だよ、安寿。君は一人じゃない。ずっと俺が君と一緒にいる」
航志朗の腕の中で首を振りながら安寿はひそかに思った。
(航志朗さん、岸先生のあの絵が完成したら、私たちは別れなければならないのよ……)
きつくふたりは抱き合った。そりに乗ったサンタクロースの姿さえ見えない真っ暗闇のなかで、ただ互いの存在だけを感じる。安寿にとって、今のこのひとときだけがすべてだ。航志朗と一緒に過ごせるタイムリミットが刻々と近づいてくる音を背中に感じる。もうどこにも逃れられない。安寿は暗い闇の底にじわじわと沈んでいくような予感がした。
(きっと、私にはもう暖かい春はやって来ない。とても寒くて長い長い冬に閉じ込められるから……)
「航志朗さん、大丈夫ですか?」
苦笑いしながら航志朗が答えた。
「あんまり大丈夫じゃないな」
「疲れているのかも。早く寝たほうがいいですね」
「……ケーキは食べる」
安寿は肩をすくめてチョコレートケーキをキッチンから持って来た。すでにたっぷりと生クリームがかかっていて、その上にイチゴとラズベリーが並んでいる。安寿がナイフで切り分けようとすると、航志朗が小さな子どものように言った。
「俺、そのままで食べたい」
安寿はうなずいてフォークを航志朗に手渡そうとしたが、航志朗は受け取らない。しばらく元気のない航志朗の姿を見つめた安寿は、航志朗の隣に座るとスマートフォンの動画サイトを開いてクリスマスソングを再生した。そして、フォークを持ってチョコレートケーキを航志朗の口の前に運んだ。
「はい、あーんしてください、航志朗さん」
「安寿……」
おとなしく航志朗は口を開けた。にっこり笑った安寿はチョコレートケーキを航志朗の口の中に入れた。またすぐに航志朗は口を開けた。それから何回も安寿は航志朗の口にケーキを運んだ。
チョコレートケーキを平らげたふたりは、洗面台の前で一緒に並んで歯みがきをした。航志朗は左手を安寿の腰に回した。安寿は鏡に映る自分たちの姿を見つめた。満足そうな航志朗が自分の隣に立って歯ブラシを動かしている。
(本当の夫婦みたい……)
そう心から安寿は思った。安寿は航志朗を見上げると急に胸がどきどきしはじめた。
(本当の夫婦だったら、クリスマスイブの夜に何をするんだろう)
その情景が脳裏に浮かんで安寿は顔を赤らめた。交互に口をゆすぐと、航志朗が安寿の手を握って言った。
「まだ早いけど、ベッドに行こうか、安寿」
安寿はうなずいた。ふたりは一つのベッドの上で横になった。ふたりの距離は微妙に離れている。おずおずと航志朗は安寿の手を握った。安寿は航志朗の横顔を見つめた。航志朗も安寿を見つめ返した。
申しわけなさそうに航志朗が言った。
「安寿、ごめん。クリスマスプレゼントを用意するのを忘れた」
「そんな謝らないでください。私、もうクリスマスプレゼントをもらうような歳ではありませんし、あんなにたくさんのバラをプレゼントしてくれたじゃないですか。それに……」
「それに?」
「それに、一緒にいてくれるだけで、私はじゅうぶん嬉しいです」
「安寿……」
「航志朗さん。私こそ、あなたにクリスマスプレゼントを用意していなくて、ごめんなさい」
しばらく沈黙してから航志朗が言った。
「じゃあ、今、君にクリスマスプレゼントをもらおうかな」
胸をどきっとさせて安寿は尋ねた。
「何がいいですか?」
「もちろん、俺は君のすべてが欲しい」
ふたりは見つめ合った。微かに表情を曇らせて安寿は瞳を揺らした。航志朗は思わずストレートに言ってしまった自分の言葉を後悔して謝罪した。
「ご、ごめん! 安寿」
突然、安寿は航志朗に全身で抱きついた。驚いた航志朗は目を大きく見開いた。
「謝らないでください。私が悪いのに」
「君が悪いんじゃない。皓貴さんが……」
あわてて航志朗は口をつぐんだ。あの夜以来、安寿も航志朗も黒川の名前は一度も口に出していない。
苦しそうな表情で安寿は吐き捨てるように言った。
「あのひとは全然関係ない。私が愚かなだけ」
航志朗は安寿をきつく抱きしめて大声で叫んだ。
「安寿、君は愚かなんかじゃない!」
目に涙を浮かべながら、安寿は航志朗にそっと唇を重ねた。航志朗は胸の鼓動が早まった。だが、すぐに安寿は唇を離してつらそうに言った。
「本当にごめんなさい、航志朗さん。私、これ以上、……どうしてもできないの」
「安寿、謝らなくていい。俺は君が元気になるまで待てるから大丈夫だ」
安寿は航志朗にきつくしがみついた。
「航志朗さん、私、怖いの。本当にいろいろなことが……」
「大丈夫だよ、安寿。君は一人じゃない。ずっと俺が君と一緒にいる」
航志朗の腕の中で首を振りながら安寿はひそかに思った。
(航志朗さん、岸先生のあの絵が完成したら、私たちは別れなければならないのよ……)
きつくふたりは抱き合った。そりに乗ったサンタクロースの姿さえ見えない真っ暗闇のなかで、ただ互いの存在だけを感じる。安寿にとって、今のこのひとときだけがすべてだ。航志朗と一緒に過ごせるタイムリミットが刻々と近づいてくる音を背中に感じる。もうどこにも逃れられない。安寿は暗い闇の底にじわじわと沈んでいくような予感がした。
(きっと、私にはもう暖かい春はやって来ない。とても寒くて長い長い冬に閉じ込められるから……)