今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
いら立った素振りで航志朗はメールを開いた。パリの国立美術館のプロジェクトチームのメンバーからだった。
メールには「コーシ、緊急会議よ! すぐにアクセスして!」と短くメッセージが書かれてあって、その下にはオンライン会議のURLが添付されていた。航志朗は時刻を見た。午前八時だ。フランスはちょうど年が明けた深夜零時だ。
(おいおい、なんだよ。こんな時間に緊急会議なんて。何かトラブルがあったのか?)
おせち料理が並んだダイニングテーブルのすみで航志朗はノートパソコンを開いた。そして、目を落としてほうじ茶を啜っている安寿に向かって言った。
「ごめん、安寿。これからパリの美術館のミーティングルームにアクセスして、緊急会議だ」
安寿は目を大きく見開いて言った。
「緊急会議ですか!」
航志朗がURLをクリックすると、すぐにつながった。いかにも怒気を含んだ風情で航志朗がフランス語で言った。
「ドミニク、いったいどうしたんだ? 緊急会議って」
突然、大合唱が航志朗の耳に飛び込んできた。
『コーシ、明けましておめでとう!』
「は? なんだって」
驚いた顔の航志朗を安寿が不思議そうに見つめた。
あふれるほどの赤ワインが注がれたグラスを片手に、ドミニクと呼ばれたブルネットの女がくすくす笑いながら言った。
『今、プロジェクトチームのメンバーで集まって、私たちの家で年越しパーティーをしているの。皆があなたの顔が見たくなったって言うから、ご招待したのよう』
明らかに酒に酔った上機嫌な口調だ。ドミニクの隣から彼女のパートナーのブノワが画面に入って来て、ドミニクと濃厚なキスをしてから航志朗に向かって手を振るとポートワインをあおった。
ドミニクもブノワもプロジェクトチームのメンバーの一員で、この新規プロジェクトで出会ってから、あっという間に恋に落ちた。
ドミニクは四十代半ばで、ブノワは航志朗と同い年だ。ドミニクは同じ美術館内の保存修復室に所属している凄腕の絵画修復師なのだが、自ら志願してこのプロジェクトに参画した。
他にも帰国せずにパリに残ったメンバーたちがグラスを片手に次々に入れ変わって画面に映り、航志朗と新年のあいさつを交わした。
メンバーたちは皆酔いが回った様子で、画面からアルコール臭が漂ってくるような錯覚を起こすほどだ。ドミニクが生ハムとトマトがのったタルティーヌにかじりつきながら言った。
『ねえ、コーシ。さっきから気になっているんだけど、その黒い箱に入っているのは何?』
「ああ、これか? 日本の正月の料理だよ」
『へえ、ちょっと見せて』
航志朗は重箱を傾けてドミニクに見せた。
ドミニクは画面に身を乗り出して言った。
『あら、可愛いわね! お菓子みたい』
興味深そうにこちら側をのぞき込んでドミニクが言った。
『コーシ、せっかくだから、あなたのアパルトマンの中を見せてくれない? あ、その前に、あなたの愛する奥さまにごあいさつさせてよ』
肩をすくませて航志朗は安寿に手招きした。航志朗から何を言われるか予想がついた安寿は大きく首を振った。
「安寿。申しわけないけど、俺の同僚にあいさつしてくれないか? ひとことでいいから」
仕方なく安寿はノートパソコンの前に来て「ボナネ」と恥ずかしそうな微笑を浮かべてあいさつすると、すぐに身を引いて下を向いた。
ドミニクは酔った赤ら顔をさらに赤らめて言った。
『なんて可愛らしいお嬢さんなの! あなたにはもったいないんじゃないの、コーシ?』
唐突にアイスランドにいるクルルの姿を思い出しながら航志朗は額に手を当てて思った。
(明日には安寿と別れなければならないのに、俺は酔っぱらい相手に正月の朝っぱらから何をやっているんだ……)
航志朗の迷惑そうな表情にまったくお構いなしでドミニクが大声で言った。
『コーシ、カメラを動かしてあなたのアパルトマンの中を見せて!』
「オッケー、ドミニク!」
投げやりな態度で航志朗はノートパソコンを持ち上げると、適当に部屋の中をカメラに映した。
その時だった。突然ドミニクが『えっ?』と小さな声をあげると、あわてたようにまくしたてた。
『ちょっとコーシ、待って! その絵って、何?』
「ん? 何って、俺の妻のアンジュが今描いている絵だけど」
『ねえ、私、酔っているのかしら? 私にはその絵が逆さまに見えるんだけど』
怪訝そうに航志朗が訊き返した。
「逆さま?」
『そう。どうして、その油絵、逆さまにイーゼルに置いてあるの?』
(どういうことだ? ドミニクの言っている意味がわからない)
『コーシ、絵を元に戻して。そして、その絵をちゃんと私に見せて』
わけがわからずに航志朗は安寿を一瞬見てから、イーゼルの上の安寿の油絵の天地を逆にして置き直した。
その瞬間、身体じゅうに衝撃が走って航志朗は驚嘆した。
(なんだよ、これ……)
メールには「コーシ、緊急会議よ! すぐにアクセスして!」と短くメッセージが書かれてあって、その下にはオンライン会議のURLが添付されていた。航志朗は時刻を見た。午前八時だ。フランスはちょうど年が明けた深夜零時だ。
(おいおい、なんだよ。こんな時間に緊急会議なんて。何かトラブルがあったのか?)
おせち料理が並んだダイニングテーブルのすみで航志朗はノートパソコンを開いた。そして、目を落としてほうじ茶を啜っている安寿に向かって言った。
「ごめん、安寿。これからパリの美術館のミーティングルームにアクセスして、緊急会議だ」
安寿は目を大きく見開いて言った。
「緊急会議ですか!」
航志朗がURLをクリックすると、すぐにつながった。いかにも怒気を含んだ風情で航志朗がフランス語で言った。
「ドミニク、いったいどうしたんだ? 緊急会議って」
突然、大合唱が航志朗の耳に飛び込んできた。
『コーシ、明けましておめでとう!』
「は? なんだって」
驚いた顔の航志朗を安寿が不思議そうに見つめた。
あふれるほどの赤ワインが注がれたグラスを片手に、ドミニクと呼ばれたブルネットの女がくすくす笑いながら言った。
『今、プロジェクトチームのメンバーで集まって、私たちの家で年越しパーティーをしているの。皆があなたの顔が見たくなったって言うから、ご招待したのよう』
明らかに酒に酔った上機嫌な口調だ。ドミニクの隣から彼女のパートナーのブノワが画面に入って来て、ドミニクと濃厚なキスをしてから航志朗に向かって手を振るとポートワインをあおった。
ドミニクもブノワもプロジェクトチームのメンバーの一員で、この新規プロジェクトで出会ってから、あっという間に恋に落ちた。
ドミニクは四十代半ばで、ブノワは航志朗と同い年だ。ドミニクは同じ美術館内の保存修復室に所属している凄腕の絵画修復師なのだが、自ら志願してこのプロジェクトに参画した。
他にも帰国せずにパリに残ったメンバーたちがグラスを片手に次々に入れ変わって画面に映り、航志朗と新年のあいさつを交わした。
メンバーたちは皆酔いが回った様子で、画面からアルコール臭が漂ってくるような錯覚を起こすほどだ。ドミニクが生ハムとトマトがのったタルティーヌにかじりつきながら言った。
『ねえ、コーシ。さっきから気になっているんだけど、その黒い箱に入っているのは何?』
「ああ、これか? 日本の正月の料理だよ」
『へえ、ちょっと見せて』
航志朗は重箱を傾けてドミニクに見せた。
ドミニクは画面に身を乗り出して言った。
『あら、可愛いわね! お菓子みたい』
興味深そうにこちら側をのぞき込んでドミニクが言った。
『コーシ、せっかくだから、あなたのアパルトマンの中を見せてくれない? あ、その前に、あなたの愛する奥さまにごあいさつさせてよ』
肩をすくませて航志朗は安寿に手招きした。航志朗から何を言われるか予想がついた安寿は大きく首を振った。
「安寿。申しわけないけど、俺の同僚にあいさつしてくれないか? ひとことでいいから」
仕方なく安寿はノートパソコンの前に来て「ボナネ」と恥ずかしそうな微笑を浮かべてあいさつすると、すぐに身を引いて下を向いた。
ドミニクは酔った赤ら顔をさらに赤らめて言った。
『なんて可愛らしいお嬢さんなの! あなたにはもったいないんじゃないの、コーシ?』
唐突にアイスランドにいるクルルの姿を思い出しながら航志朗は額に手を当てて思った。
(明日には安寿と別れなければならないのに、俺は酔っぱらい相手に正月の朝っぱらから何をやっているんだ……)
航志朗の迷惑そうな表情にまったくお構いなしでドミニクが大声で言った。
『コーシ、カメラを動かしてあなたのアパルトマンの中を見せて!』
「オッケー、ドミニク!」
投げやりな態度で航志朗はノートパソコンを持ち上げると、適当に部屋の中をカメラに映した。
その時だった。突然ドミニクが『えっ?』と小さな声をあげると、あわてたようにまくしたてた。
『ちょっとコーシ、待って! その絵って、何?』
「ん? 何って、俺の妻のアンジュが今描いている絵だけど」
『ねえ、私、酔っているのかしら? 私にはその絵が逆さまに見えるんだけど』
怪訝そうに航志朗が訊き返した。
「逆さま?」
『そう。どうして、その油絵、逆さまにイーゼルに置いてあるの?』
(どういうことだ? ドミニクの言っている意味がわからない)
『コーシ、絵を元に戻して。そして、その絵をちゃんと私に見せて』
わけがわからずに航志朗は安寿を一瞬見てから、イーゼルの上の安寿の油絵の天地を逆にして置き直した。
その瞬間、身体じゅうに衝撃が走って航志朗は驚嘆した。
(なんだよ、これ……)