今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
深夜にフィンランドのヘルシンキに到着した航志朗は中央駅のすぐ隣に建つホテルにチェックインした。温かい部屋に入って厚手のカーテンを開けると、うっすらと降り積もった雪が駅前広場をやけに明るく照らしていた。
航志朗は熱いシャワーを浴びて備え付けのガウンを羽織ると、ベッドの上に置いたスマートフォンを見つめた。フィンランドの現地時間は午前一時、プラス七時間時差がある日本は午前八時だ。きっと安寿は目を覚ましているだろう。スマートフォンを手に取って安寿に電話しようとしたが、航志朗は右手の人さし指をそっと下ろした。待ち受け画面には、白い翼の絵を背にした安寿が映っている。急に安寿への熱い想いが胸にこみ上げてきた航志朗はたまらなくなって画面にキスした。そして、胸の内で安寿に語りかけた。
(安寿、明日には君のところに帰るからな。あともう少しだけ待っていてくれ)
その時、安寿は岸のアトリエでスマートフォンを見つめていた。安寿が手にしたスマートフォンの画面には雪景色の裏の森が映っている。もう二度とこの目の前に広がる清浄な風景は見られない。今、この白い森を絵に描きたいと思うが、すでにモデルの衣装を身にまとっている。それに最後のモデルの仕事に全力を尽くすために、岸の作品が完成するまで自分の絵は描かないと心に決めている。
思わず安寿はスマートフォンをかざして裏の森を写真に撮った。初めて聞く予想以上に大きなシャッター音に安寿はびくっと肩を震わせた。
アトリエに音もなく岸が入って来た。少しふらついた岸は左胸を手で押さえながら安寿に近づいた。安寿は岸の琥珀色の瞳を見上げた。それは初めて会った時と変わらずに穏やかに光り、安寿を包み込んだ。気がつくと安寿は岸の腕の中にいた。しばらくそのままで岸の温もりを感じる。やがて、ゆっくりと身体を離して岸が言った。
「はじめようか……、愛」
うなずいた安寿はカウチソファの上でポーズをとった。
浅い眠りから目覚めた航志朗は、ヘルシンキ中央駅から特急列車に乗った。市内を抜けると真っ白な雪原が窓の外を流れていった。駅前のベーカリーで買った甘すぎるシナモンロールを熱い紅茶で流し込んだ。
二時間ほどでフィンランド西部のトゥルクに到着した。駅の改札で航志朗はある人物と一年五か月ぶりに再会した。
その男は大きく手を振って航志朗を笑顔で出迎えた。
「岸さん、お久しぶりです。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」
古閑ルリの夫になった五嶋衆だ。
五嶋は航志朗を助手席に乗せると車を出した。海岸線の道をひた走る。車の窓からバルト海が凍りついているのが見えた。寒々しい景色だが、時が止まったような静謐な感覚を覚える。
微笑みを浮かべたまま五嶋は何も話さなかった。頭のなかでルリと五嶋に尋ねたいことが渦を巻いていたが、航志朗も何も口に出さなかった。だが、ふたりともその沈黙をまったく苦痛に感じなかった。むしろ互いを親密に感じていた。
五嶋のハンドルを握る見るからに頑丈な手を見ながら、ふと航志朗は思った。
(もしかしたら、俺と五嶋さんは似たもの同士なのかもしれない。ずっと心から愛するひとになかなか届かない想いを抱き続けてきたという)
航志朗は熱いシャワーを浴びて備え付けのガウンを羽織ると、ベッドの上に置いたスマートフォンを見つめた。フィンランドの現地時間は午前一時、プラス七時間時差がある日本は午前八時だ。きっと安寿は目を覚ましているだろう。スマートフォンを手に取って安寿に電話しようとしたが、航志朗は右手の人さし指をそっと下ろした。待ち受け画面には、白い翼の絵を背にした安寿が映っている。急に安寿への熱い想いが胸にこみ上げてきた航志朗はたまらなくなって画面にキスした。そして、胸の内で安寿に語りかけた。
(安寿、明日には君のところに帰るからな。あともう少しだけ待っていてくれ)
その時、安寿は岸のアトリエでスマートフォンを見つめていた。安寿が手にしたスマートフォンの画面には雪景色の裏の森が映っている。もう二度とこの目の前に広がる清浄な風景は見られない。今、この白い森を絵に描きたいと思うが、すでにモデルの衣装を身にまとっている。それに最後のモデルの仕事に全力を尽くすために、岸の作品が完成するまで自分の絵は描かないと心に決めている。
思わず安寿はスマートフォンをかざして裏の森を写真に撮った。初めて聞く予想以上に大きなシャッター音に安寿はびくっと肩を震わせた。
アトリエに音もなく岸が入って来た。少しふらついた岸は左胸を手で押さえながら安寿に近づいた。安寿は岸の琥珀色の瞳を見上げた。それは初めて会った時と変わらずに穏やかに光り、安寿を包み込んだ。気がつくと安寿は岸の腕の中にいた。しばらくそのままで岸の温もりを感じる。やがて、ゆっくりと身体を離して岸が言った。
「はじめようか……、愛」
うなずいた安寿はカウチソファの上でポーズをとった。
浅い眠りから目覚めた航志朗は、ヘルシンキ中央駅から特急列車に乗った。市内を抜けると真っ白な雪原が窓の外を流れていった。駅前のベーカリーで買った甘すぎるシナモンロールを熱い紅茶で流し込んだ。
二時間ほどでフィンランド西部のトゥルクに到着した。駅の改札で航志朗はある人物と一年五か月ぶりに再会した。
その男は大きく手を振って航志朗を笑顔で出迎えた。
「岸さん、お久しぶりです。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」
古閑ルリの夫になった五嶋衆だ。
五嶋は航志朗を助手席に乗せると車を出した。海岸線の道をひた走る。車の窓からバルト海が凍りついているのが見えた。寒々しい景色だが、時が止まったような静謐な感覚を覚える。
微笑みを浮かべたまま五嶋は何も話さなかった。頭のなかでルリと五嶋に尋ねたいことが渦を巻いていたが、航志朗も何も口に出さなかった。だが、ふたりともその沈黙をまったく苦痛に感じなかった。むしろ互いを親密に感じていた。
五嶋のハンドルを握る見るからに頑丈な手を見ながら、ふと航志朗は思った。
(もしかしたら、俺と五嶋さんは似たもの同士なのかもしれない。ずっと心から愛するひとになかなか届かない想いを抱き続けてきたという)