今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 海辺に面した森のなかに、ルリと五嶋が滞在しているこじんまりとした赤い屋根のコテージがあった。車の音に気づいたルリがグレーのウールのストールを羽織って外に出て来た。車を降りた航志朗は深々とルリにお辞儀をして言った。

 「ルリさん、ごぶさたしております。このたびは急な訪問を快諾していただきまして、誠にありがとうございます」

 ルリは穏やかに微笑を浮かべて言った。

 「いずれあなたが私を一人で尋ねて来るのは予めわかっていたわ。それなのにごめんなさいね。こんなにも遠くまでいらしていただいて」

 「いえ。……あの、ルリさん!」

 話を切り出そうとした航志朗をやんわりと静止して、ルリは航志朗の背中に優しく手を置いて言った。

 「さあ、長い話になるわ。ここでは凍えてしまう。家の中に入りましょう、航志朗さん」

 ルリはコテージに航志朗を招き入れた。温かい室内には使い込まれた家具が置いてあり、懐かしい感じがした。窓辺のチェストの上には日本画の画材が積み重なって置いてあって、数枚の描きかけの絵が見えた。テーブルの上にはこんもりとクッキーが山をなして置いてある。手作りのようだ。五嶋が紅茶を淹れはじめた。ルリが立ったままの航志朗にテーブルの席に座るようにうながした。航志朗が着席すると、クッキーを勧めながらルリが言った。

 「このクッキー、昨日、お隣に住んでいるヘルミに日本の身内が訪ねて来るって話したら、今朝、彼女が焼いて持って来てくださったの。ここに来たばかりの頃にヘルミにお近づきのごあいさつにとコスモスの花の絵を描いて贈ったんだけど、とても喜んでくださってね、それからとても仲よくしてくださるのよ。ありがたいわね、遠い日本から来た見ず知らずの私たちに」

 航志朗はクッキーを手に取って口に入れた。砂糖そのものを口にしたくらい甘いが、今の航志朗にとっては何よりの栄養補給になる。紅茶をひと口飲んで呼吸を整えると、強い口調で航志朗は切り出した。

 「ルリさん、安寿の父親のことですが」

 ルリは落ち着いていとも簡潔に言った。

 「安寿さんの父親は、私の兄の古閑康生です」

 「それは確かなんですか?」

 「ええ、真実です。亡くなる直前に、兄本人から直接聞きました。それにしかるべきところに依頼して調査もしました」

 「どこで、ふたりは知り合ったんですか? 安寿の父親と母親は」

 「大学で准教授をしていた兄の教え子でした。……白戸愛さんは」

 「どうして子どもを授かったのに、ふたりは別れてしまったのですか?」

 「それは、彼女が兄を愛していなかったから」

 航志朗はすべての言葉を失った。

 (「愛していなかった」って、いったいどういうことなんだ……)

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