今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 風呂から上がった航志朗は、フィンランドの免税店のショッピングバッグとパリの老舗画材店の紙袋を手に持って安寿の部屋に向かった。先に風呂に入った安寿がいるはずだ。

 ノックをせずに安寿の部屋のドアを開けると、ガウンを羽織ったパジャマ姿の安寿がベッドに座ってうつむいていた。航志朗はショッピングバッグと紙袋を安寿の横に置いて明るい口調で言った。

 「フィンランドとパリの土産だよ。君のために買ってきた。開けてごらん、安寿」

 うつむいたままで安寿は首を振った。航志朗は安寿の手を握って優しく誘った。

 「じゃあ、寒いから一緒にベッドに入って眠ろうか、安寿」

 安寿は目を閉じて静かに言った。

 「もう一緒には眠れません。私たちは離婚するんですから」

 急に声を荒げて航志朗が怒鳴った。

 「俺は、絶対に君と離婚しない!」

 安寿が肩を大きく跳ね上げたのを見て、あわてて航志朗は謝った。

 「ごめん、安寿。怒鳴ったりして。君はつらい想いをして疲れているんだ。とにかく早く休もう」

 いつもの航志朗の分の布団は敷かれていない。安寿のベッドだけだ。航志朗はそれに構わずに安寿のベッドに敷かれた布団をめくって、安寿と一緒に入ろうとした。安寿は航志朗の腕をすり抜けてベッドから立ち上がって言った。

 「岸さん、私たちは一緒に眠れません。離婚するんですから」

 目を合わせない安寿の両肩を力を強く込めてつかんで、航志朗はすがるように言った。

 「さっきから、岸さん、岸さんって、どうしたんだよ、安寿。どうして俺の名前を呼んでくれないんだ?」

 安寿は同じ言葉をまたくり返して言いかけた。

 「私たちは……」

 いきなり荒々しく布団を蹴飛ばして、肩を怒らせた航志朗は大きな音を立ててドアを開閉し、安寿の部屋を出て行った。

 一人になった安寿は下を向いた。

 客間に行った航志朗は、押し入れの中から布団を引っぱり出して大雑把に敷いた。しまいっぱなしの布団は冷たく湿った感じがしてカビ臭い匂いがするような気がするが、仕方なく航志朗は頭から布団を被った。

 先ほど思わず感情が高ぶって、安寿に荒っぽい態度をとってしまったことをひどく後悔した。それと同時に、何度も安寿に「岸さん」と呼ばれたことが、胸のなかををひどくかきむしる。寒いのか胸が苦しいのか、それとも両方なのかわからないが、航志朗は布団の中でのたうち回った。たちまち息が苦しくなって、布団から顔を出して外の空気を吸った。

 (やっぱり、安寿のところに戻って謝ろう)

 毛布を被って震えながら、また航志朗は安寿の部屋に行った。だが、部屋のドアを開けようとしたが開かない。内側から鍵がかかっている。

 航志朗はドアをこぶしでたたいた。

 「安寿、さっきはすまなかった。君にきちんと謝りたい。中に入れてくれ!」

 しばらく待ったが、ドアは開かなかった。

 (もしかして、もう眠ってしまったのかもしれない)

 そう自分に言い聞かせて航志朗は打ちひしがれながら客間に戻った。すでに疲れきっていた航志朗はそのまま布団に入ると、いやおうなく深い眠りに落ちていった。

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