今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 膝の上に置いた変色したページに、航志朗の目から落ちた涙が丸いしみをつくった。航志朗は次のページをめくった。そこには、日本語で書かれた美しい筆跡がつづられていた。

 さっき、私はこの日記を見つけた。お父さまの日記だ。たぶんフランス語で書かれている。もしかしたら、本当の母のことが書かれているのかもしれない。でも、私はフランス語がわからない。今、なぜ父がよく私にフランス語を習うように言っていたのかがわかった。でも、私はフランス語を学ばなかった。見知らぬ生みの母が話していた言葉を知りたくはなかったからだ。絶対に。

 その筆跡には覚えがあった。航志朗は表情をゆがめた。

 (恵真おばあさまが書いた文章だ……)

 私はもうすぐこの世を去ることを知っている。だから書き残しておこうと思う。私の本当の想いを。

 二歳だった私は父に連れられて日本にやって来た。当然、私にはその時の記憶がまったくない。子どもの頃の私は周りから奇異の目で見られた。私の日本人とは違う中途半端に茶色がかったこの髪の色と、そして、この琥珀色の瞳のせいだ。学校に行くと、同級生たちから怖がられた。「狼みたいな目だね」とよく言われた。ずっと私はこの髪の色と目の色が大嫌いだった。憎んでいたと言ってもいいかもしれない。私を育ててくれた母は、美しい黒髪と黒い瞳をしていた。年の離れた三人の兄たちもだ。兄たちは私を可愛がってくれていたように思う。でも、私は知っている。それは、私が西洋のお人形のように可愛らしかったからだ。私自身を愛してくれていたのではない。兄たちは相次いであの戦争で亡くなった。育ての母も終戦後まもなく亡くなった。私は、父と二人きりになった。
 
 戦後、父は代々岸家が所有していた東京郊外の土地に邸宅を建設した。美しい白い屋敷よりも、私は裏手にある森に夢中になった。

 私は小学校の途中で学校に行けなくなった。心臓の持病を表向きの理由に、私は学校に通うことをやめた。でも、私は学びたかった。父はそんな私に家庭教師をつけてくれた。予定がない時間に私は森に行って、池のほとりに座って一人で過ごした。あの森は私にとって大切な隠れ家みたいな場所だった。そうして、私は大人になった。

 十八歳を過ぎた頃から、私に縁談の話が次々にやって来た。私はお見合い写真を見ずに全部断った。実は、私にはずっと好きなひとがいた。父が起こした会社で父の片腕となって働いていた斎藤新之助さんだ。新之助さんは私よりも八歳年上で、私が十六歳の時に初めて出会った。新之助さんはイギリスに留学経験があって英語が堪能だった。父は心から新之助さんを信頼していた。父に頼まれて新之助さんは私に英語を教えてくれた。そして、屋敷のサロンでピアノを奏でてくれた。私もピアノを習っていた時期があったが、結局続かなかった。よく新之助さんはショパンのノクターンを弾いてくれた。私はソファに座ってピアノを弾く彼の大きな背中を見つめた。「あなたが好きです」と新之助さんに伝えられたら、どんなにいいだろうと思いながら。でも、こんな私なんかに彼がふり向いてくれるはずはない。でも、二十四歳の時、突然、私は父に提案された。「新之助くんと結婚しないか」と。ずっと私は生涯結婚するつもりはなかった。だけど相手はあの新之助さんだ。心ひそかに喜んで私は承諾した。そして、私たちは結婚した。
 
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