今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
いきなり真夏の強烈な日射しが安寿を照らした。そのまぶしさに安寿は目を細めて手を額にかざした。
(……ここはどこ?)
下を見ると膝まで水に浸かっている。青く光る水はその下の地面が呼吸をしているかのように波打っている。安寿は海のなかに立っていた。見覚えのある入り江だ。遠目に小さな島々がたくさん見える。辺りを見回して安寿は気づいた。
(ここは、あの熊本の海だ……)
波打ち際を見て航志朗と熱く口づけし合った時のことを思い出した。周りを見ても航志朗の姿はない。立っていられなくなるほど胸が苦しくなるが、涙を生成する水分はもはや安寿の身体のなかにはない。安寿はネイビーのワンピースの胸元をきつく握りしめた。そして、安寿は気づいた。砂浜にしゃがんで膝を抱えてうつむいている女がいる。その女の長い黒髪が海からの潮風に柔らかくなびいている。
安寿は眉をひそめてつぶやいた。
「ママ……」
安寿は愛にゆっくりと近づいた。だんだんと近づくにつれて愛がすすり泣いている声が耳に入ってくる。安寿は愛の隣に静かに座ってそっと問いかけた。
「ママ、……泣いてるの?」
ずっと愛は両肩を震わせて膝を抱えて下を向いている。
「ママ、何か哀しいことがあったの? もしかして、ひどいことをされたの? ……あのひとに」
手を伸ばして安寿は愛の肩に触れようとしたが、安寿の手は空を切った。目を見はった安寿はたまらずに愛を腕の中に抱きしめようとしたが、目の前に見える愛の身体は次元が違うところにいるかのように虚空そのものだ。どうしようもないほどに胸の奥底が苦しくなって、安寿は思いきり顔をゆがめて叫んだ。
「ママ! どうして私を産んだの? 愛してもいないひとの子どもを……」
その時、愛が涙で濡れた顔を上げた。思いがけず愛は幸せそうに微笑んでいた。手を下腹に当てて優しくなでながら愛は言った。
「私、とても嬉しい。だって、心から愛するひとの子どもがここに来たんだもの」
安寿は目を大きく見開いて母の顔を見た。
「そう、私が心から愛する宗嗣さんの子どもよ。私を抱いたのは古閑先生だけど、この子は宗嗣さんの子どもよ。そう想うのは、私の自由でしょ。私はそう決めたの」
かすれた声で安寿はつぶやいた。
「間違っている。ママ、それは間違っているよ。ママは、岸先生も、古閑康生さんも傷つけているのがわからないの……」
愛には安寿の言葉が聞こえていない。愛は立ち上がってまた自分の下腹を愛おしそうになでると古閑家の別荘への階段を軽い足取りで上って行った。
一人になった安寿は白い砂浜の上に座った。まばゆい太陽の光が天空から安寿を温かく包んだ。青く光る海はただ安寿の目の前に悠然と存在している。安寿は両方の手のひらを目の前に差し出して見入った。いつ何時注がれたのかわからない陽光を受けて、安寿の手のひらは一見すると弱々しいが、よく見ると力強く虹色に輝いている。
「なんて美しい色なの……」
立ち上がって安寿は果てしなく広がる青空を仰ぎ見た。
「この世界は、……美しい」
心の奥底から安寿は思った。
(私は、私。もう誰の子どもであってもいい。今、私はここにいる。私はこの手で、私の絵を描く。ただ、それだけでいい)
ゆっくりと安寿は潤んだ目を閉じた。安寿のひと筋の涙が頬を伝って、地面にこぼれ落ちた。
(……ここはどこ?)
下を見ると膝まで水に浸かっている。青く光る水はその下の地面が呼吸をしているかのように波打っている。安寿は海のなかに立っていた。見覚えのある入り江だ。遠目に小さな島々がたくさん見える。辺りを見回して安寿は気づいた。
(ここは、あの熊本の海だ……)
波打ち際を見て航志朗と熱く口づけし合った時のことを思い出した。周りを見ても航志朗の姿はない。立っていられなくなるほど胸が苦しくなるが、涙を生成する水分はもはや安寿の身体のなかにはない。安寿はネイビーのワンピースの胸元をきつく握りしめた。そして、安寿は気づいた。砂浜にしゃがんで膝を抱えてうつむいている女がいる。その女の長い黒髪が海からの潮風に柔らかくなびいている。
安寿は眉をひそめてつぶやいた。
「ママ……」
安寿は愛にゆっくりと近づいた。だんだんと近づくにつれて愛がすすり泣いている声が耳に入ってくる。安寿は愛の隣に静かに座ってそっと問いかけた。
「ママ、……泣いてるの?」
ずっと愛は両肩を震わせて膝を抱えて下を向いている。
「ママ、何か哀しいことがあったの? もしかして、ひどいことをされたの? ……あのひとに」
手を伸ばして安寿は愛の肩に触れようとしたが、安寿の手は空を切った。目を見はった安寿はたまらずに愛を腕の中に抱きしめようとしたが、目の前に見える愛の身体は次元が違うところにいるかのように虚空そのものだ。どうしようもないほどに胸の奥底が苦しくなって、安寿は思いきり顔をゆがめて叫んだ。
「ママ! どうして私を産んだの? 愛してもいないひとの子どもを……」
その時、愛が涙で濡れた顔を上げた。思いがけず愛は幸せそうに微笑んでいた。手を下腹に当てて優しくなでながら愛は言った。
「私、とても嬉しい。だって、心から愛するひとの子どもがここに来たんだもの」
安寿は目を大きく見開いて母の顔を見た。
「そう、私が心から愛する宗嗣さんの子どもよ。私を抱いたのは古閑先生だけど、この子は宗嗣さんの子どもよ。そう想うのは、私の自由でしょ。私はそう決めたの」
かすれた声で安寿はつぶやいた。
「間違っている。ママ、それは間違っているよ。ママは、岸先生も、古閑康生さんも傷つけているのがわからないの……」
愛には安寿の言葉が聞こえていない。愛は立ち上がってまた自分の下腹を愛おしそうになでると古閑家の別荘への階段を軽い足取りで上って行った。
一人になった安寿は白い砂浜の上に座った。まばゆい太陽の光が天空から安寿を温かく包んだ。青く光る海はただ安寿の目の前に悠然と存在している。安寿は両方の手のひらを目の前に差し出して見入った。いつ何時注がれたのかわからない陽光を受けて、安寿の手のひらは一見すると弱々しいが、よく見ると力強く虹色に輝いている。
「なんて美しい色なの……」
立ち上がって安寿は果てしなく広がる青空を仰ぎ見た。
「この世界は、……美しい」
心の奥底から安寿は思った。
(私は、私。もう誰の子どもであってもいい。今、私はここにいる。私はこの手で、私の絵を描く。ただ、それだけでいい)
ゆっくりと安寿は潤んだ目を閉じた。安寿のひと筋の涙が頬を伝って、地面にこぼれ落ちた。