今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 航志朗は安寿をしっかりと抱き上げると、安寿の部屋のベッドに運んだ。部屋はベッドサイドライトが灯っていて、すでに暖められていた。

 咲が温かいおにぎりと熱いほうじ茶とミネラルウォーターのボトルを持ってやって来た。礼を言うと、あっという間に航志朗はおにぎりを平らげた。航志朗にとって子どもの頃から慣れ親しんだ咲のおにぎりの味だ。ほうじ茶を啜りながら、航志朗は目を細めて咲を見た。咲は航志朗を見て目を潤ませた。

 伊藤が航志朗の布団を運んで来た。目を合わせた咲と伊藤が部屋を静かに出て行った。

 航志朗は毛布を肩に掛けて、目を閉じたままの安寿を見守った。

 世にいう時間という概念から外れた空間に身を置いた航志朗は、ふと安寿の目覚まし時計を見た。とうに日付が変わって午前三時になっている。

 その時、身動きをした安寿が薄く目を開けてつぶやいた。

 「航志朗さん……」

 航志朗は大声をあげて安寿の名前を叫びたくなる衝動をなんとか抑えて小声で言った。

 「安寿、本当にすまなかった。君を一人にしてしまって……」

 微かに安寿は笑みを浮かべた。

 「そうだ、安寿。喉が渇いたんじゃないか。水を飲むか?」

 安寿は目でうなずいた。

 航志朗はミネラルウォーターのボトルのふたを開けてグラスに注いでから、安寿を抱き上げて水を飲ませた。ごくごくと喉を鳴らして安寿は水を飲んだ。

 航志朗は安寿をゆっくりとベッドに横たえた。安寿は深く息を吸って目を閉じた。そして、掛け布団の中からほんの少し手を出した。しっかりと航志朗が安寿の手を両手で握りしめると、安寿は航志朗の手を布団の中に引くようなしぐさをした。表情をゆるめた航志朗は安寿の掛けた布団の中に入り、横になって腕の中に安寿を抱きしめた。安寿は航志朗の胸にしがみついて穏やかな寝息をたてはじめた。

 やっと航志朗は安寿の柔らかい温もりと匂いを感じて安堵した。眠った安寿のまるで何事もなかったかのようなあどけない顔が目の前にある。航志朗は胸をきつくしめつけられて、抑える間もなく涙を流した。安寿に許してもらえたと心から強く感じたのだ。

 急に航志朗は眠くなってきた。まだ安寿の体調は予断を許さないはずだ。ずっと見守っていなければならない。だが、航志朗は目を閉じて眠りに落ちた。その胸に安寿のすべての存在を抱きながら。

 安寿はずっと夢を見ていた。航志朗と手をつないで空を飛ぶ夢だった。背中に翼はなくても、空を自由に飛べた。その軽やかな楽しさに安寿は心から満たされた。

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