今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
白戸家の墓がある市内には高速道路を使って一時間ほどで到着した。高速道路を降りた出口の近くに大型のショッピングモールがあったので、安寿を車の中で待たせて航志朗は花屋に仏花を買いに行った。ほどなくして航志朗は、ホワイトとグリーンでまとめられたシンプルな花束とアレンジメントを二つ抱えてきて、助手席の安寿に手渡した。
「安寿、この花束は天国にいる君のご家族に。それから、このアレンジメントは君に」
「えっ? 私にもですか」
安寿は大きく目を見開いた。
航志朗は車のエンジンをかけながら言った。
「部屋に飾っておくといい。生花が君のけがを早く治してくれる」
「ありがとうございます……」
心のなかが温かい気持ちにゆっくりと満たされていくのを安寿は心地よく感じた。
墓地に向かう途中のコンビニエンスストアで、航志朗はろうそくと線香とマッチがセットになった墓参りセットを店員から訊いて購入した。本当に日本のコンビニエンスストアは気が利きすぎるほど便利だと航志朗は思った。
途中の川沿いに新緑の桜の木が並んでいる風景が航志朗の目に入った。橋を渡りながら眼下に広がる葉桜を見て、航志朗が目を細めて言った。
「この辺りは桜の名所なのか? 桜の花が咲く季節は見ごたえがあるんだろうな」
安寿は久しぶりにその桜並木を見た。川のすぐそばの住宅地に安寿が子どもの頃を過ごした祖父母の家があった。桜並木がある川土手は幼い安寿の遊び場だった。桜の薄桃色の花びらは、安寿に母の面影をいやおうなく思い出させる。目を固く閉じて安寿は口元をわずかにゆがめた。その安寿の素振りを見て航志朗は顔をしかめた。
やがて、寺の敷地内に入った。駐車場の隣には幼稚園があるが、日曜日なので閑散としていた。また、通りをへだてて公立小学校があった。広い校庭では少年野球チームがだらだらと練習をしていた。安寿は小学三年生まであの小学校に通っていたと無表情で言った。
(さっきの桜並木にも、あの小学校にも、楽しい思い出があるというわけじゃないんだな)と航志朗は安寿のことを思いやった。
(いろいろつらい想いをしてきたんだろうな。俺の想像が及ばないくらいに……)
それほど広くないこじんまりとした墓地だった。ふたりの他には誰もいない。航志朗が備えつけの手桶に水を入れてから、ひしゃくを取ってその中に入れた。久しぶりの墓参りだったので安寿は少し迷い、やっと白戸家の墓を見つけた。
「あれ?」と安寿はつぶやいた。
「ん? どうした」
きれいに掃除された白戸家の墓には新鮮な生花が供えられていて、短くなった線香からはまだ薄い煙が出ていた。それを見てすぐに安寿は理解した。
(恵ちゃんたちが来ていたんだ)
航志朗もその様子に得心した。
「俺たちと考えることが同じだな」と航志朗は言って、ひしゃくを安寿に手渡した。
安寿と航志朗は仏花と線香を供えて並んで手を合わせた。安寿はなんとなく後ろめたい気持ちがして、すぐに目を開けてしまった。隣の航志朗を見ると、航志朗はずいぶん長い間目を閉じて手を合わせていた。
(何をお祈りしているのかな?)と安寿は思った。
墓地の通路を左足を引きずりながら歩く安寿の後ろをついて行きながら、航志朗は切なく思っていた。
(今日はぜんぜん俺に触れてくれないんだな……)
航志朗は白戸家の墓を振り返ってまた祈った。
(今度お参りさせていただく時は、必ず安寿さんと手をつないで来ます。どうか、私たちを見守っていてください)
そんな航志朗の想いを知ってか知らずか、新緑の風が航志朗の頬を優しくなでた。
駐車してある車に戻ると航志朗は安寿に尋ねた。
「恵さんに連絡しなくていいのか? まだ近くにいるかもしれない」
安寿はきっぱりと言った。
「連絡するつもりはありません」
(恵ちゃんは渡辺さんのところに行ったんだもの……)
「それじゃあ、ここは君が子どもの頃住んでいた町だろ。久しぶりに行きたいところはないのか? 前に住んでいた家を見に行くとか」
「ありません。祖父母の家はずっと前に取り壊されたと聞いていますし、ここはもう私にとっては過去の町なので」
「……そうか、わかった」
(その気持ち、……痛いほどわかるよ)
航志朗は十五歳の時に家を出た時の自分を思い出していた。今はどんどん過去になっていく。その流れは止められない。今、ここに存在することを全うするのなら、過ぎ去った過去を振り返る暇はない。その過去がつらかったのならなおさらだ。
その時、航志朗のお腹が鳴った。それにつられて安寿のお腹も鳴った。時計を見ると、正午すぎになっている。そういえば、さっき正午を知らせるサイレンが鳴っていたことを安寿は思い出した。久しぶりに聞いたこの町特有のメロディーだった。
「ここに来る途中から気になっていたんだけれど、川沿いに鰻屋があるのか?」
「はい。この町では昔からある有名なお店なんですよ」
「じゃあ、安寿、これから鰻を食べに行くか!」
安寿は目をぱちくりとさせた。
「安寿、この花束は天国にいる君のご家族に。それから、このアレンジメントは君に」
「えっ? 私にもですか」
安寿は大きく目を見開いた。
航志朗は車のエンジンをかけながら言った。
「部屋に飾っておくといい。生花が君のけがを早く治してくれる」
「ありがとうございます……」
心のなかが温かい気持ちにゆっくりと満たされていくのを安寿は心地よく感じた。
墓地に向かう途中のコンビニエンスストアで、航志朗はろうそくと線香とマッチがセットになった墓参りセットを店員から訊いて購入した。本当に日本のコンビニエンスストアは気が利きすぎるほど便利だと航志朗は思った。
途中の川沿いに新緑の桜の木が並んでいる風景が航志朗の目に入った。橋を渡りながら眼下に広がる葉桜を見て、航志朗が目を細めて言った。
「この辺りは桜の名所なのか? 桜の花が咲く季節は見ごたえがあるんだろうな」
安寿は久しぶりにその桜並木を見た。川のすぐそばの住宅地に安寿が子どもの頃を過ごした祖父母の家があった。桜並木がある川土手は幼い安寿の遊び場だった。桜の薄桃色の花びらは、安寿に母の面影をいやおうなく思い出させる。目を固く閉じて安寿は口元をわずかにゆがめた。その安寿の素振りを見て航志朗は顔をしかめた。
やがて、寺の敷地内に入った。駐車場の隣には幼稚園があるが、日曜日なので閑散としていた。また、通りをへだてて公立小学校があった。広い校庭では少年野球チームがだらだらと練習をしていた。安寿は小学三年生まであの小学校に通っていたと無表情で言った。
(さっきの桜並木にも、あの小学校にも、楽しい思い出があるというわけじゃないんだな)と航志朗は安寿のことを思いやった。
(いろいろつらい想いをしてきたんだろうな。俺の想像が及ばないくらいに……)
それほど広くないこじんまりとした墓地だった。ふたりの他には誰もいない。航志朗が備えつけの手桶に水を入れてから、ひしゃくを取ってその中に入れた。久しぶりの墓参りだったので安寿は少し迷い、やっと白戸家の墓を見つけた。
「あれ?」と安寿はつぶやいた。
「ん? どうした」
きれいに掃除された白戸家の墓には新鮮な生花が供えられていて、短くなった線香からはまだ薄い煙が出ていた。それを見てすぐに安寿は理解した。
(恵ちゃんたちが来ていたんだ)
航志朗もその様子に得心した。
「俺たちと考えることが同じだな」と航志朗は言って、ひしゃくを安寿に手渡した。
安寿と航志朗は仏花と線香を供えて並んで手を合わせた。安寿はなんとなく後ろめたい気持ちがして、すぐに目を開けてしまった。隣の航志朗を見ると、航志朗はずいぶん長い間目を閉じて手を合わせていた。
(何をお祈りしているのかな?)と安寿は思った。
墓地の通路を左足を引きずりながら歩く安寿の後ろをついて行きながら、航志朗は切なく思っていた。
(今日はぜんぜん俺に触れてくれないんだな……)
航志朗は白戸家の墓を振り返ってまた祈った。
(今度お参りさせていただく時は、必ず安寿さんと手をつないで来ます。どうか、私たちを見守っていてください)
そんな航志朗の想いを知ってか知らずか、新緑の風が航志朗の頬を優しくなでた。
駐車してある車に戻ると航志朗は安寿に尋ねた。
「恵さんに連絡しなくていいのか? まだ近くにいるかもしれない」
安寿はきっぱりと言った。
「連絡するつもりはありません」
(恵ちゃんは渡辺さんのところに行ったんだもの……)
「それじゃあ、ここは君が子どもの頃住んでいた町だろ。久しぶりに行きたいところはないのか? 前に住んでいた家を見に行くとか」
「ありません。祖父母の家はずっと前に取り壊されたと聞いていますし、ここはもう私にとっては過去の町なので」
「……そうか、わかった」
(その気持ち、……痛いほどわかるよ)
航志朗は十五歳の時に家を出た時の自分を思い出していた。今はどんどん過去になっていく。その流れは止められない。今、ここに存在することを全うするのなら、過ぎ去った過去を振り返る暇はない。その過去がつらかったのならなおさらだ。
その時、航志朗のお腹が鳴った。それにつられて安寿のお腹も鳴った。時計を見ると、正午すぎになっている。そういえば、さっき正午を知らせるサイレンが鳴っていたことを安寿は思い出した。久しぶりに聞いたこの町特有のメロディーだった。
「ここに来る途中から気になっていたんだけれど、川沿いに鰻屋があるのか?」
「はい。この町では昔からある有名なお店なんですよ」
「じゃあ、安寿、これから鰻を食べに行くか!」
安寿は目をぱちくりとさせた。