今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 何回も記念写真を撮った後、安寿と航志朗は手をつないで裏の森に向かった。

 航志朗は繊細な刺繍がほどこされたベールを被った安寿を見つめて、六年前、父のアトリエで安寿を見つけたあの始まりの時を思い出して歓喜で胸がいっぱいになった。

 安寿はベールに丁寧に手刺繍された花や木の葉のボタニカル模様が柔らかい春の陽ざしに照らされて光り輝くのを見つめて、どうしようもなく胸がしめつけられた。

 ふと安寿は思いついて航志朗に言い出した。

 「航志朗さん、私、このベールの手刺繍って、恵真おばあさまの実のお母さまが縫ったものだと思う」

 航志朗は曾祖父の手帳を思い浮かべた。確かに「父が昔パリで買い求めた」と恵真の遺した文章に書かれてあったが、頭のかたすみでわずかに疑問を感じてはいた。

 「どうしてそう思うんだ、安寿?」

 「なんとなく、……直感です」

 「直感か。もしかしたら、曾祖父と恵真おばあさまが日本へ渡航する前に、曾祖父が恵真おばあさまの祖母から形見として手渡されたのかもしれない。小さく折りたたんだベールなら、戦時下の税関も容易に通れただろうから」

 「恵真おばあさまの本当のお母さんの形見……」

 「恵真おばあさまの実の母親は、恵真おばあさまを出産した時に亡くなったそうだ」

 そのベールに覆われた中で安寿は深くうつむいた。航志朗は安寿の頭を感慨深げに優しくなでた。

 春の草花が可憐に咲く森の小道を歩いて行くと、あの夜以来の池のほとりにたどり着いた。目の前に広がる池は静まり返っていた。以前とまったく変わらずに灰色の水面をたたえている。安寿は白いレースの手袋を脱いで池の水に触ったが、温かくはなかった。

 航志朗がウエディングドレス姿の安寿を愛おしそうに見つめて言った。

 「安寿、今、ここで、二人だけの結婚式を挙げよう」

 「どんなことをするんですか、航志朗さん?」

 「もちろん、ここで永遠の愛を互いに誓い合って、熱いキスを交わす」

 航志朗は安寿が被ったベールをあげた。安寿は微笑んで航志朗を見上げた。安寿の手を両手でしっかりと握って航志朗は言いきった。

 「安寿。一生、君を心から愛すると、今、ここで、俺は君に誓う」

 肩をすくめて申しわけなさそうに航志朗を見て安寿が言った。

 「あの、航志朗さん。私、永遠の愛なんて誓えない」

 「ん?」

 一瞬で航志朗は固まった。

 「今は、私、航志朗さんのことを心から愛しています。でも、今以降はわからない。だから、誓うなんてできません。だって、あなたにうそをつくことになるでしょう」

 「安寿……」

 航志朗は安寿をきつく抱きしめた。

 「おいおい、やっと君と一緒にいられる幸せをつかんだ俺を不安にさせるなよ、安寿」

 「別に航志朗さんを不安になんかさせていません。私の本当の気持ちを言っただけです」

 航志朗はがくっと肩を落として思った。

 (やれやれ、俺は安寿を一生追いかけて生きていくんだな。まあ、そのほうがこれから面白い人生を送れるな、……たぶん)

 突然、安寿は背伸びをして航志朗の首に両腕を回すと、思いきり航志朗にキスした。航志朗は大きく目を見開いて驚いたが、すぐに安寿を受けとめて唇を強く押しつけ返した。

 天から降り注ぐ陽の光を反射してきらきら輝く池のほとりで、安寿と航志朗はきつく抱き合った。互いの身体の奥が急激に熱くなってくるのを感じる。唇を開いてふたりは深く口づけし合った。息を荒げた航志朗はウエディングドレスの上から安寿の身体をまさぐった。

 「安寿、俺はもう我慢できない」

 「航志朗さん、……私も」

 安寿は大きな樫の木の根元に腰を下ろしてウエディングドレスの裾を大胆にまくり上げた。水色のリボンがあしらわれた白いレースのフレアパンツが航志朗の目に飛び込んでくる。顔を赤らめてあわてふためきながら航志朗が言った。

 「だめだ、安寿。せっかくのウエディングドレスが汚れてしまうだろ」

 にっこりと安寿は微笑んだ。

 「いいでしょう? だって、一度しか着ないんだもの」

 「でも、やっぱり今はだめだ、安寿。ここじゃ避妊ができないだろ」

 また安寿は微笑んだ。

 「それはもう必要ないでしょう、航志朗さん?」

 航志朗は安寿の手を取って自分の胸に押し当てて言った。

 「ものすごくどきどきしてる。久しぶりだから」

 「うん、私も。一年ぶりだもの。……来て、航志朗さん」
 
 ふたりは静かな池のほとりで抱き合った。

 航志朗は自分の胸にしがみついている安寿の被ったベールに桜の花びらがついていることに気がついた。ふたりは薄桃色の花びらを見て微笑み合った。航志朗は桜の花びらをそっと指先でつまみ安寿の手のひらにのせて息を吹きかけると、また愛おしそうに安寿に唇を重ねた。

 桜の花びらは舞い上がって池の水面に浮かんだ。そして、池の中に沈んで見えなくなった。

 ひそかに安寿は航志朗の腕の中で思った。

 (私、あの彼のことを知っている。いずれ彼は私たちのところにやって来る……)

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