今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
暖かい春が来たパリのかたすみに大行列ができていた。星野蒼は、アンヌとロマンと三人でその行列に並んでいた。
列に並んでいる人びとの頭上には、満開の桜の花が咲きほこっている。蒼がパリに来て驚いたことのひとつが、意外にもパリ市内にはたくさんの桜の木が植えられているということだ。
アンヌは桜の花を目を細めて見上げている。蒼はアンヌの頬が柔らかい薄桃色に染まっていることに気づいてわずかにたじろいだが、腕組みをしてアンヌに文句を言った。
「ものすごい行列だな。その絵にたどり着くのに、いったい何時間かかるんだよ」
蒼はいら立った様子でため息をついた。蒼の左腕に手をからめたアンヌが甘えたようにゆっくりと言った。
「お願いだから、もうちょっと待って、アオイ。私、あなたと一緒に、その絵を見てみたいの」
すかさずロマンが振り返って言った。
「その絵の前に立って写真を撮ると、誰でも天使になれるんだって! 僕のスクールでものすごく話題になっているよ」
「私たちのスクールでも、話題になっているわ。そうよね、アオイ?」
「女子の間でだろ」
延々と続く大行列を見て、また蒼は深いため息をついて思った。
(安寿は、今頃、結婚式を挙げているのか。……あのひとと)
三月の初めに、突然、安寿から電話がかかってきた。正確には、あの男のスマートフォンを使って安寿は電話をしてきた。安寿の声を聞くのは、高校の卒業式以来だった。
『蒼くん?』
胸がどうしようもなく高鳴ったが、わざと蒼は素っ気なく言った。
「安寿、久しぶり。元気か?」
『うん、ありがとう。元気にしているよ。蒼くん、パリでの生活はどう?』
「まあまあかな……」
その直後、なんの前触れもなく、安寿からあの男と結婚式を挙げるからウエディングドレスを作ってほしいと頼まれた。スマートフォンの向こうの安寿は本当に幸せそうだった。それに、安寿のすぐ隣にいるあの男の気配を感じた。
蒼は安寿の隣にいる新郎の姿を自分に置き換えて、それから一か月の間、安寿のウエディングドレスの製作に没頭した。蒼がドレスをデザインして、ミシンが得意なアンヌが縫いあげた。
誰かのために服を作ったのはそれが初めてだった。完成したウエディングドレスを蒼は安寿の姿を頭のなかに思い描きながら胸に抱きしめた。悔しくて仕方がなかった。パリにやって来てから三年間、必死になって努力を重ねてきた。もちろん安寿を手に入れるためだ。だが、完全に安寿はあの男のものになってしまった。
ウエディングドレスを東京の安寿のもとに送り出してから、目的をなくして蒼の心はさまよっていた。アンヌと一緒に暮らしはじめてから二年になる。そして、今年の初夏にはファッションスクールを卒業する日が控えている。
(俺は、いったいどうしたらいいんだ……。本当にあのひとの言う通りだ。俺はアンヌの好意に甘えて、彼女を冒涜している)
二月にアンヌの養父が亡くなった。蒼もニースでしめやかに営まれた葬儀にアンヌと共に出席した。パリに帰って来た後もずっとアンヌは泣いていて、アパルトマンの自分の部屋に閉じこもりがちだった。アンヌは養父を失った悲しみをいっときでも忘れるために安寿のウエディングドレスを懸命になって縫っていた。そのアンヌが、突然、蒼を誘ったのだ。「アオイ、私、あの白い翼の絵を見てみたいの。あなたと一緒に」と言って。久しぶりにアンヌとスクール以外の場所に外出した。デートではないだろう、アンヌの弟と一緒だから。
列に並んでいる人びとの頭上には、満開の桜の花が咲きほこっている。蒼がパリに来て驚いたことのひとつが、意外にもパリ市内にはたくさんの桜の木が植えられているということだ。
アンヌは桜の花を目を細めて見上げている。蒼はアンヌの頬が柔らかい薄桃色に染まっていることに気づいてわずかにたじろいだが、腕組みをしてアンヌに文句を言った。
「ものすごい行列だな。その絵にたどり着くのに、いったい何時間かかるんだよ」
蒼はいら立った様子でため息をついた。蒼の左腕に手をからめたアンヌが甘えたようにゆっくりと言った。
「お願いだから、もうちょっと待って、アオイ。私、あなたと一緒に、その絵を見てみたいの」
すかさずロマンが振り返って言った。
「その絵の前に立って写真を撮ると、誰でも天使になれるんだって! 僕のスクールでものすごく話題になっているよ」
「私たちのスクールでも、話題になっているわ。そうよね、アオイ?」
「女子の間でだろ」
延々と続く大行列を見て、また蒼は深いため息をついて思った。
(安寿は、今頃、結婚式を挙げているのか。……あのひとと)
三月の初めに、突然、安寿から電話がかかってきた。正確には、あの男のスマートフォンを使って安寿は電話をしてきた。安寿の声を聞くのは、高校の卒業式以来だった。
『蒼くん?』
胸がどうしようもなく高鳴ったが、わざと蒼は素っ気なく言った。
「安寿、久しぶり。元気か?」
『うん、ありがとう。元気にしているよ。蒼くん、パリでの生活はどう?』
「まあまあかな……」
その直後、なんの前触れもなく、安寿からあの男と結婚式を挙げるからウエディングドレスを作ってほしいと頼まれた。スマートフォンの向こうの安寿は本当に幸せそうだった。それに、安寿のすぐ隣にいるあの男の気配を感じた。
蒼は安寿の隣にいる新郎の姿を自分に置き換えて、それから一か月の間、安寿のウエディングドレスの製作に没頭した。蒼がドレスをデザインして、ミシンが得意なアンヌが縫いあげた。
誰かのために服を作ったのはそれが初めてだった。完成したウエディングドレスを蒼は安寿の姿を頭のなかに思い描きながら胸に抱きしめた。悔しくて仕方がなかった。パリにやって来てから三年間、必死になって努力を重ねてきた。もちろん安寿を手に入れるためだ。だが、完全に安寿はあの男のものになってしまった。
ウエディングドレスを東京の安寿のもとに送り出してから、目的をなくして蒼の心はさまよっていた。アンヌと一緒に暮らしはじめてから二年になる。そして、今年の初夏にはファッションスクールを卒業する日が控えている。
(俺は、いったいどうしたらいいんだ……。本当にあのひとの言う通りだ。俺はアンヌの好意に甘えて、彼女を冒涜している)
二月にアンヌの養父が亡くなった。蒼もニースでしめやかに営まれた葬儀にアンヌと共に出席した。パリに帰って来た後もずっとアンヌは泣いていて、アパルトマンの自分の部屋に閉じこもりがちだった。アンヌは養父を失った悲しみをいっときでも忘れるために安寿のウエディングドレスを懸命になって縫っていた。そのアンヌが、突然、蒼を誘ったのだ。「アオイ、私、あの白い翼の絵を見てみたいの。あなたと一緒に」と言って。久しぶりにアンヌとスクール以外の場所に外出した。デートではないだろう、アンヌの弟と一緒だから。