今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 あと十数人で蒼たちの順番が回ってくる。歓声をあげて興奮ぎみに撮影をしている人びとの姿を蒼はあきれた表情で見やった。

 アンヌが蒼に身を寄せてささやいた。

 「アオイ、天使さまがたくさんいる……」
 
 やっと蒼は目の前の絵が話題になっている理由を理解した。

 (なるほどな。白い翼の絵の前に立って写真を取れば、皆がみな天使になれるっていうわけか)

 「……あれ?」

 蒼の背筋に軽い静電気のようなものが走った。目をこらして白い翼が描かれた絵を蒼は食い入るように見つめた。

 (あの絵って、安寿が描いた絵みたいだな……)

 だんだん白い翼の絵が蒼の視界に大きくなってくる。思わず勢いよく蒼はアンヌに尋ねた。

 「アンヌ、あの絵って、誰が描いた作品なんだ?」

 楽しそうに笑ってアンヌが答えた。
 
 「それがね、とってもユニークなのよ。誰が描いたのか、わからないんだって!」

 「いったい、どういうことなんだ? 作者未詳ってことか、現代アートなのに」

 「さあ、よっぽど世間に名前を知られたくないんじゃない? あの絵のアーティストって」

 その時、ふと蒼は思い出した。

 (確かあのひとって、この美術館で仕事をしていたんだよな……)

 白い翼の絵を蒼はじっと見つめた。

 突然、アンヌが歓声をあげた。

 「アオイ! もうすぐ順番が来るわよ!」

 蒼たちの順番が来た。アンヌは蒼に自分のスマートフォンを手渡すと気持ちを高ぶらせながら珍しく大声で言った。

 「まず、私だけを撮って! それから、一緒に撮りましょうよ、アオイ!」

 いつになくアンヌは子どものように大はしゃぎしている。仕方なく蒼は白い翼の絵の前に立ったアンヌに向かってスマートフォンを構えた。

 蒼の隣でロマンが感心したようにつぶやいた。

 「本当に、アンヌが天使になった……」 

 スマートフォンの画面の中のアンヌを凝視した蒼の身体に清らかな風が吹いて来た。

 (……なんだ?)

 その瞬間、蒼は白い光に包まれた。

 スマートフォンの画面から蒼は顔を離した。目の前のアンヌの背中に翼が生えて羽ばたいている。白い光のなかでアンヌが蒼に向かって愛おしそうに微笑みかけた。

 「アンヌ……」

 蒼はファッションスクールで初めてアンヌと言葉を交わした時のことを思い出した。そして、課題が思うようにできなかった自分をアンヌが助けてくれたことも。安寿のウエディングドレスだって、アンヌがいなかったら完成できなかった。

 心の奥底から蒼は思い知った。

 (俺はパリに来て一人きりでずっとがんばってきたって思っていたけれど、本当は一人じゃなかった。俺の隣には彼女がいた、……アンヌが)

 すぐに蒼はアンヌに近寄って、アンヌの両手を力強く握って叫んだ。

 「アンヌ、俺は君のことを愛している。結婚しよう!」

 目を大きく見開いてから大粒の涙を流したアンヌは蒼に抱きついて言った。

 「私の答えは、もちろん『はい(ウィ)』よ、アオイ!」

 白い翼の絵の前で、ふたりはきつく抱き合ってキスした。

 行列に並んでいた人びとから大きな拍手と歓声がわき起こった。目を潤ませたロマンが駆け寄って来てふたりに抱きついて言った。

 「おめでとう、アンヌとアオイ!」

 蒼とアンヌの周りでは、世界中からやって来たたくさんの人びとがスマートフォンを構えて、若い恋人たちの感動的なプロポーズの瞬間を動画に撮っていた。

 またたく間にその動画は世界じゅうに拡散された。そして、図らずもこの美術館はパリでのプロポーズの名所になった。

 その翌日、京都にいる莉子と大翔が一緒に蒼とアンヌの動画を見て目を丸くした。

 縁側で柔らかな陽の光に照らされたふたりは顔を見合わせて微笑んだ。

 「蒼くん、本当によかったね。それにしても、大翔くん、あの白い翼の絵って、絶対に安寿ちゃんが描いた絵だよね」

 「うん。僕もそう思うよ、莉子」

 昨日、莉子と大翔は両方の家族に一年前に既に入籍していたことを正直に伝えた。大翔の母以外はたいへん驚いたが、すぐに結婚式と結婚披露宴の日取りを決める電話が両家の間で行き交った。どうやら莉子は東京と京都で二回も花嫁衣裳をまとうことになりそうだ。

 莉子は涙を浮かべて両手を大翔の頬に置いて伝えた。

 「私ね、大翔くんが大好き……」

 大翔は莉子の両手に自分の両手を重ねて伝えた。

 「僕も莉子が大好きだ。これからもずっと一緒にいよう、莉子」

 京都の穏やかな春の陽ざしの下でふたりはきつく抱き合った。

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