今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
次の朝が来た。恵は出版社を退職することを社長に申し入れると言って、家を出て行った。安寿はパジャマのままで学校に電話して、けがのために欠席することを担任教諭に伝えた。
その日は快晴だった。安寿はソファに寄り掛かり、南向きの窓から柔らかく入って来る春の陽光を浴びて日向ぼっこをしていた。安寿は左足を陽だまりに当てた。なんとなくそうしたかったのだ。平日の昼間はときおり幼い子どもがはしゃいだり泣いたりする声が聞こえてくるくらいで静まり返っている。
安寿は自分が世の中の時間の流れから外れているように感じた。ぼんやりと安寿は思った。
(もうすぐこの窓からの眺めともお別れだ。私はいったいどこへ行こうとしているんだろう……)
安寿は目を閉じてそのまま眠ってしまった。
航志朗がその日起きたのは、午前十時を回ってからだった。昨日帰宅してから、ずっとたまっていた仕事を片づけていて、ベッドに入ったのは翌日の午前二時すぎになってしまった。
航志朗はなかなか寝つけなかった。一人で長い夜を過ごすことは当たり前のはずだったというのに、航志朗はどうしても安寿の温もりを思い出してしまって、身も心も落ち着かなかった。
今、安寿が自分の隣にいないことが、こんなにも苦しいのかと思い知らされた夜だった。
航志朗は近所のカフェに行き、オープンテラスで遅い朝食をとった。そして、シンガポールのアンに電話をかけた。
『やあ、コーシ!』
いつもマイペースなアンらしいあいさつだった。
「アン、戻れなくて本当にすまなかったな。昨夜メールした今日の午後のプレゼンテーションの資料には目を通したか?」
『ああ、その件だけど、二週間後に延期になったよ。アイスランドのミスター・グヴズルンソンから連絡があってね。おととい初孫が生まれたから、こっちに来れなくなったってさ。バンコクまで来ていたんだけど、急遽帰国したって』
「そうか、それはグッドタイミングだったな」
『それよりも新妻を連れてこっちへ戻って来るんだろ? 二人で住む家どうするんだ? あのコンドミニアムじゃ狭いだろ? ヴィーが大騒ぎしているぞ』
「彼女は行かない」
『はあ? なんでだよ』
「彼女はまだ学生だからな」
『へえ、そうなんだ。彼女、大学生か? それとも大学院生とか?』
「いや、……高校生だ」
『はあああ!?』
約五千キロメートルの彼方から飛んできた大音声に、航志朗は思わずスマートフォンを耳から離した。
『コーシ! おまえ、いつから女子高生好きになったんだよ!』
頭を抱えてため息をついてから、航志朗はコーヒーをひと口飲んだ。そしてまたスマートフォンを繰ると、航志朗は最悪の事態に気づいて愕然とした。
(俺は、安寿の連絡先を訊いていなかった……)
航志朗はがっくりとうなだれた自分の顔をコーヒーの真っ黒な水面に映した。
その日は快晴だった。安寿はソファに寄り掛かり、南向きの窓から柔らかく入って来る春の陽光を浴びて日向ぼっこをしていた。安寿は左足を陽だまりに当てた。なんとなくそうしたかったのだ。平日の昼間はときおり幼い子どもがはしゃいだり泣いたりする声が聞こえてくるくらいで静まり返っている。
安寿は自分が世の中の時間の流れから外れているように感じた。ぼんやりと安寿は思った。
(もうすぐこの窓からの眺めともお別れだ。私はいったいどこへ行こうとしているんだろう……)
安寿は目を閉じてそのまま眠ってしまった。
航志朗がその日起きたのは、午前十時を回ってからだった。昨日帰宅してから、ずっとたまっていた仕事を片づけていて、ベッドに入ったのは翌日の午前二時すぎになってしまった。
航志朗はなかなか寝つけなかった。一人で長い夜を過ごすことは当たり前のはずだったというのに、航志朗はどうしても安寿の温もりを思い出してしまって、身も心も落ち着かなかった。
今、安寿が自分の隣にいないことが、こんなにも苦しいのかと思い知らされた夜だった。
航志朗は近所のカフェに行き、オープンテラスで遅い朝食をとった。そして、シンガポールのアンに電話をかけた。
『やあ、コーシ!』
いつもマイペースなアンらしいあいさつだった。
「アン、戻れなくて本当にすまなかったな。昨夜メールした今日の午後のプレゼンテーションの資料には目を通したか?」
『ああ、その件だけど、二週間後に延期になったよ。アイスランドのミスター・グヴズルンソンから連絡があってね。おととい初孫が生まれたから、こっちに来れなくなったってさ。バンコクまで来ていたんだけど、急遽帰国したって』
「そうか、それはグッドタイミングだったな」
『それよりも新妻を連れてこっちへ戻って来るんだろ? 二人で住む家どうするんだ? あのコンドミニアムじゃ狭いだろ? ヴィーが大騒ぎしているぞ』
「彼女は行かない」
『はあ? なんでだよ』
「彼女はまだ学生だからな」
『へえ、そうなんだ。彼女、大学生か? それとも大学院生とか?』
「いや、……高校生だ」
『はあああ!?』
約五千キロメートルの彼方から飛んできた大音声に、航志朗は思わずスマートフォンを耳から離した。
『コーシ! おまえ、いつから女子高生好きになったんだよ!』
頭を抱えてため息をついてから、航志朗はコーヒーをひと口飲んだ。そしてまたスマートフォンを繰ると、航志朗は最悪の事態に気づいて愕然とした。
(俺は、安寿の連絡先を訊いていなかった……)
航志朗はがっくりとうなだれた自分の顔をコーヒーの真っ黒な水面に映した。