今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
安寿と航志朗を乗せた車は中央自動車道を西に進み、とあるインターチェンジで降りた。
「航志朗さん、どこへ行くんですか?」と安寿が尋ねた。
「決めてない」
前を向いてにやっと笑いながら航志朗は答えた。
車は山道を登って行き、周囲はだんだん緑が濃くなってきた。天候は快晴で、時間が経つにつれて気温がぐんぐん上昇して、初夏のような陽気だ。窓を全開にして爽やかな風を受けながら、ふたりを乗せた車は進んで行った。安寿の肩まである黒髪が風になびく。安寿は助手席に深く座り、窓の外の通り過ぎていく樹々を眺めながら車の揺れに心地よく身をまかせた。航志朗はそんなリラックスした安寿の姿を横目で見て魅せられてしまったが、あわてて前を向いてハンドルを握り直した。
ゴールデンウィーク中だが、この道は穴場のようで空いていた。やがて視界が開け、展望台が見えてきた。航志朗は空いた駐車場の一番見晴らしのよい場所に車を停めた。安寿の足を気づかってのことである。
安寿と航志朗の目の前に色鮮やかな新緑の森が広がっている。ふたりはシートベルトを外して身体を伸ばした。航志朗は「暑いな」と言って、ロングスリーブのネイビーのリネンシャツを脱いで、ホワイトの半袖Tシャツ一枚になった。航志朗のしなやかな筋肉質の精悍な腕がむき出しになって、安寿は胸がどきっとしてしまった。
(昨日の夜は、あの腕の中にいたんだ……)と急に思い出して、安寿は身体じゅうが熱くなった。
「ん? 安寿、暑いのか。顔が赤いぞ」
航志朗に無遠慮に顔をのぞき込まれて、安寿はますます胸がどきどきした。
ふと航志朗は横を見ると、ソフトクリームを手に持った親子連れが目に入った。そして、駐車場のすみにある小さな売店に「牧場直送ソフトクリーム」と印刷してあるのぼり旗を見つけた。航志朗は売店を指さして、安寿に尋ねた。
「安寿、あのソフトクリームを食べるか?」
安寿は売店とそののぼり旗を見て言った。
「牧場直送っておいしそうですけれど、朝、メロンをたくさんいただいたので、私、まだお腹いっぱいです」
「そうか。じゃあ、一つだけ買って、一緒に食べようか」と言って、航志朗は車を降りて売店に向かった。
(えっ? ソフトクリームを一緒に食べようかって……)
安寿はその後のことを想像して、また胸がどきどきした。
やがて、航志朗はバニラのソフトクリームを一つだけ手に持って戻って来た。
「チョコレートにするか迷ったけど、やっぱりバニラにした」
「ミックスはなかったんですか?」と安寿が訊くと、「そうか、その手があったか!」と航志朗はまるで子どものように後悔した。安寿は可笑しくなってくすくす笑った。
「ほら、早く食べないと溶ける」
航志朗は安寿の口元にソフトクリームを傾けた。安寿は困惑した表情を浮かべた。
(やっぱりそう来るんだ。ちょっとこれって、間接キスっていうか、それ以上じゃないの……)
「じゃあ、俺が先に食べるよ」と言って、航志朗はソフトクリームをなめた。そして、安寿に「うん。なかなかおいしいよ」と言ってまた勧めてきた。安寿はもうやけになって航志朗が差し出したソフトクリームを受け取ってなめた。濃厚なミルクの味がしておいしいにはおいしいが、別の意味でも濃厚で、安寿はとても複雑な気持ちになった。
航志朗は安寿に顔を近づけて来て、安寿が手に持ったソフトクリームをなめた。安寿も航志朗が口をつけていないところを選んで少しなめた。やがて、ソフトクリームが溶けてきて、安寿の指にとろりとついた。「服にたれる」と言って、航志朗は安寿の手首を強引につかみ、安寿の指ごとそれをなめた。安寿は全身がぞくっとして、思わず身を引き頬を染めた。戸惑った安寿の目を航志朗はその琥珀色の瞳で艶っぽく見つめながら身を乗り出して来てソフトクリームをなめた。
安寿は航志朗の熱い視線を外すことができない。ふたりは至近距離でしばらく見つめ合った。安寿は航志朗のソフトクリームよりも甘い行為に抵抗する術もなく吐息をもらした。
航志朗は残りのソフトクリームを全部なめてから、ワッフルコーンを割ってそっと安寿の口に運び、自分もかりかりと音を立てて食べた。
航志朗は安寿を見てにやにやと笑いながらまた顔を近づけて、からかうように言った。
「安寿、口元にコーンがついてる」
航志朗は安寿の口元についたコーンのかけらをつまんで自分の口に入れた。だんだん小腹が立ってきた安寿はポーチからティッシュを取り出して、「航志朗さんだって、口元にクリームがついていますよ!」と上目遣いでにらみながら叫ぶように言って、ごしごしと乱暴に航志朗の口元を拭いた。
「んん、……ありがとう、安寿」と航志朗はにっこり笑って安寿に礼を言った。安寿は「どういたしまして!」と声を荒らげて答えると、顔を赤くしながらそっぽを向いた。
航志朗は安寿のふるまいに胸がうずいて、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになった。
(ソフトクリーム一つで、こんなに遊べるなんてな)
航志朗になめられた指がわなわなしている安寿は、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。
(もうなんなの! 彼って何を考えているのか、さっぱりわからない)
そこへ安寿の携帯が鳴った。北海道に行っている叔母の恵からだった。恵はこれからの予定を安寿に伝えてから、最後に優しい声で言った。
『安寿、ゴールデンウィークを航志朗さんと仲良くゆっくり過ごしてね。だって、彼、すぐ海外に戻られるんでしょ。安寿も一緒について行きたいよね』
「……う、うん」
そう答えるしかない安寿だった。
電話を切ってから安寿は航志朗に伝えた。
「叔母は出版社を二週間後に退職して、その後すぐに北海道に行くそうです。五月から優仁さんが継いだ農業法人の田植えが始まって忙しくなるからって。それから、あさっての土曜日に戻って来ると言っていました」
「わかった。安寿、俺の方は来週の月曜日にオックスフォードに行く予定があるんだけど、行って来ても大丈夫か?」
(オックスフォード……)
安寿は内心驚いた。
「私は大丈夫です。あの、航志朗さん。私にお気遣いなく、お仕事に戻ってください」
航志朗は胸が激しく痛んだ。安寿とあさってにはまた離れてしまうことになる。
(安寿のそばにいて、ずっと彼女を抱きしめていたい)
航志朗は隣に座る安寿を見つめながら、自らの激情をなすすべもなく感じていた。
「航志朗さん、どこへ行くんですか?」と安寿が尋ねた。
「決めてない」
前を向いてにやっと笑いながら航志朗は答えた。
車は山道を登って行き、周囲はだんだん緑が濃くなってきた。天候は快晴で、時間が経つにつれて気温がぐんぐん上昇して、初夏のような陽気だ。窓を全開にして爽やかな風を受けながら、ふたりを乗せた車は進んで行った。安寿の肩まである黒髪が風になびく。安寿は助手席に深く座り、窓の外の通り過ぎていく樹々を眺めながら車の揺れに心地よく身をまかせた。航志朗はそんなリラックスした安寿の姿を横目で見て魅せられてしまったが、あわてて前を向いてハンドルを握り直した。
ゴールデンウィーク中だが、この道は穴場のようで空いていた。やがて視界が開け、展望台が見えてきた。航志朗は空いた駐車場の一番見晴らしのよい場所に車を停めた。安寿の足を気づかってのことである。
安寿と航志朗の目の前に色鮮やかな新緑の森が広がっている。ふたりはシートベルトを外して身体を伸ばした。航志朗は「暑いな」と言って、ロングスリーブのネイビーのリネンシャツを脱いで、ホワイトの半袖Tシャツ一枚になった。航志朗のしなやかな筋肉質の精悍な腕がむき出しになって、安寿は胸がどきっとしてしまった。
(昨日の夜は、あの腕の中にいたんだ……)と急に思い出して、安寿は身体じゅうが熱くなった。
「ん? 安寿、暑いのか。顔が赤いぞ」
航志朗に無遠慮に顔をのぞき込まれて、安寿はますます胸がどきどきした。
ふと航志朗は横を見ると、ソフトクリームを手に持った親子連れが目に入った。そして、駐車場のすみにある小さな売店に「牧場直送ソフトクリーム」と印刷してあるのぼり旗を見つけた。航志朗は売店を指さして、安寿に尋ねた。
「安寿、あのソフトクリームを食べるか?」
安寿は売店とそののぼり旗を見て言った。
「牧場直送っておいしそうですけれど、朝、メロンをたくさんいただいたので、私、まだお腹いっぱいです」
「そうか。じゃあ、一つだけ買って、一緒に食べようか」と言って、航志朗は車を降りて売店に向かった。
(えっ? ソフトクリームを一緒に食べようかって……)
安寿はその後のことを想像して、また胸がどきどきした。
やがて、航志朗はバニラのソフトクリームを一つだけ手に持って戻って来た。
「チョコレートにするか迷ったけど、やっぱりバニラにした」
「ミックスはなかったんですか?」と安寿が訊くと、「そうか、その手があったか!」と航志朗はまるで子どものように後悔した。安寿は可笑しくなってくすくす笑った。
「ほら、早く食べないと溶ける」
航志朗は安寿の口元にソフトクリームを傾けた。安寿は困惑した表情を浮かべた。
(やっぱりそう来るんだ。ちょっとこれって、間接キスっていうか、それ以上じゃないの……)
「じゃあ、俺が先に食べるよ」と言って、航志朗はソフトクリームをなめた。そして、安寿に「うん。なかなかおいしいよ」と言ってまた勧めてきた。安寿はもうやけになって航志朗が差し出したソフトクリームを受け取ってなめた。濃厚なミルクの味がしておいしいにはおいしいが、別の意味でも濃厚で、安寿はとても複雑な気持ちになった。
航志朗は安寿に顔を近づけて来て、安寿が手に持ったソフトクリームをなめた。安寿も航志朗が口をつけていないところを選んで少しなめた。やがて、ソフトクリームが溶けてきて、安寿の指にとろりとついた。「服にたれる」と言って、航志朗は安寿の手首を強引につかみ、安寿の指ごとそれをなめた。安寿は全身がぞくっとして、思わず身を引き頬を染めた。戸惑った安寿の目を航志朗はその琥珀色の瞳で艶っぽく見つめながら身を乗り出して来てソフトクリームをなめた。
安寿は航志朗の熱い視線を外すことができない。ふたりは至近距離でしばらく見つめ合った。安寿は航志朗のソフトクリームよりも甘い行為に抵抗する術もなく吐息をもらした。
航志朗は残りのソフトクリームを全部なめてから、ワッフルコーンを割ってそっと安寿の口に運び、自分もかりかりと音を立てて食べた。
航志朗は安寿を見てにやにやと笑いながらまた顔を近づけて、からかうように言った。
「安寿、口元にコーンがついてる」
航志朗は安寿の口元についたコーンのかけらをつまんで自分の口に入れた。だんだん小腹が立ってきた安寿はポーチからティッシュを取り出して、「航志朗さんだって、口元にクリームがついていますよ!」と上目遣いでにらみながら叫ぶように言って、ごしごしと乱暴に航志朗の口元を拭いた。
「んん、……ありがとう、安寿」と航志朗はにっこり笑って安寿に礼を言った。安寿は「どういたしまして!」と声を荒らげて答えると、顔を赤くしながらそっぽを向いた。
航志朗は安寿のふるまいに胸がうずいて、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになった。
(ソフトクリーム一つで、こんなに遊べるなんてな)
航志朗になめられた指がわなわなしている安寿は、いたたまれない気持ちでいっぱいになった。
(もうなんなの! 彼って何を考えているのか、さっぱりわからない)
そこへ安寿の携帯が鳴った。北海道に行っている叔母の恵からだった。恵はこれからの予定を安寿に伝えてから、最後に優しい声で言った。
『安寿、ゴールデンウィークを航志朗さんと仲良くゆっくり過ごしてね。だって、彼、すぐ海外に戻られるんでしょ。安寿も一緒について行きたいよね』
「……う、うん」
そう答えるしかない安寿だった。
電話を切ってから安寿は航志朗に伝えた。
「叔母は出版社を二週間後に退職して、その後すぐに北海道に行くそうです。五月から優仁さんが継いだ農業法人の田植えが始まって忙しくなるからって。それから、あさっての土曜日に戻って来ると言っていました」
「わかった。安寿、俺の方は来週の月曜日にオックスフォードに行く予定があるんだけど、行って来ても大丈夫か?」
(オックスフォード……)
安寿は内心驚いた。
「私は大丈夫です。あの、航志朗さん。私にお気遣いなく、お仕事に戻ってください」
航志朗は胸が激しく痛んだ。安寿とあさってにはまた離れてしまうことになる。
(安寿のそばにいて、ずっと彼女を抱きしめていたい)
航志朗は隣に座る安寿を見つめながら、自らの激情をなすすべもなく感じていた。