今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
その部屋は二階の東側の一番奥にあった。安寿は航志朗と伊藤の後に続いて部屋に入った。バルコニーに面した窓から明るい陽ざしが降り注いで、金褐色に輝いた飴色の古い家具を美しく照らしている。安寿がモデルの衣装に着替える時に、何回か入ったことがあった部屋だった。
「十数年ぶりだな、この部屋に入るのは」と航志朗がつぶやいた。航志朗はブックシェルフの木肌をそっとなでた。安寿には航志朗の姿がなんだか寂しげに見えて、知らず知らず胸が締めつけられた。
そのブックシェルフには、十数冊の古びた本が並んでいた。それらは子ども向けの図鑑と絵本や児童書だった。
ひそかに安寿は思った。
(航志朗さんが子どもの頃に好きだった本なのかもしれない……)
航志朗は造り付けのクローゼットを開けた。その中には白いダンボールの蓋つき収納ボックスが一箱だけ入っていた。航志朗はそのボックスのふたを開けようとしたが、すぐにその手を止めてクローゼットを閉じた。安寿は航志朗のそぶりを後ろから黙って見ていた。
ドアの前に立って航志朗の様子をうかがっていた伊藤が尋ねた。
「安寿さま、この部屋は子ども室として設計されておりまして、屋敷内で一番日当たりがよいお部屋でございます。いかがでしょう、この部屋でよろしいでしょうか?」
身を縮めた安寿は申しわけなさそうに航志朗に向かって言った。
「あの、私なんかが使ってもよろしいのでしょうか?」
無言で航志朗はベッドに腰かけた。何も掛かっていないマットレスのスプリングがぎしぎし鳴った。乾いた口調で航志朗は伊藤に言った。
「伊藤さん、彼女と二人きりにさせてくれませんか」
伊藤は何か言いたげだったが、「かしこまりました」と言って部屋を出て行った。安寿と航志朗は二人きりになった。
「君も座ったら」と言われて、安寿は航志朗の隣に座った。しばらくふたりは沈黙した。
「俺の子どもの頃の部屋に君が住むなんて、なんだか不思議な感じがするな」と航志朗が言って軽く笑った。航志朗は笑顔を浮かべてはいるが、やはりどこか寂しげだった。
その姿に胸が痛んだ安寿は、航志朗に何か話さなくてはと思い詰めた。ふと安寿は思いついて早口で航志朗に言った。
「航志朗さん、あの、私、この部屋の家具が好きです。初めて見る色の家具です。どんな木材が使われているんですか?」
驚いた顔をして航志朗は安寿を見た。安寿は余計なことを言ってしまったのかもしれないと思って後悔した。
航志朗はうつむいてふっと笑ってから言った。
「チークだよ。この部屋の家具は、ミッドセンチュリーのデンマークの家具デザイナーがデザインしたものだ。祖父が俺のために買いそろえてくれたんだ」
「私、この家具のデザインが好きです! シンプルだけど温かみがあって、お父さんみたいに頼りがいがある家具って感じがします。……お父さんみたいって、あの、私の個人的なイメージですけど」
安寿は思わず出てしまった自分の幼稚な言葉に恥ずかしくなって下を向いた。
航志朗はしばらく呆然とした様子で安寿を見つめてから肩を震わせて笑い出し、自分の額を安寿の額にこつんとぶつけた。安寿は心底驚いて顔を上げた。
「安寿、本当に君は面白いひとだな」と航志朗はつぶやくように言った。そして、航志朗はいきなりドアに向かって大声で怒鳴った。
「伊藤さん、安寿はこの部屋の家具を喜んで使ってくれるそうですよ!」
ドアが少し開き、ばつの悪そうな顔をのぞかせて伊藤が言った。
「……かしこまりました」
部屋を出る際に、航志朗は伊藤に無表情で言った。
「僕の私物がまだ残っているようなので、すべて処分してください」
その言葉を聞いた安寿は思わず航志朗の顔を見た。
その後、三人はサロンに戻った。咲が焼いたチョコチップ入りのクッキーを食べながら、安寿の岸家での新生活について打ち合わせをした。
「十数年ぶりだな、この部屋に入るのは」と航志朗がつぶやいた。航志朗はブックシェルフの木肌をそっとなでた。安寿には航志朗の姿がなんだか寂しげに見えて、知らず知らず胸が締めつけられた。
そのブックシェルフには、十数冊の古びた本が並んでいた。それらは子ども向けの図鑑と絵本や児童書だった。
ひそかに安寿は思った。
(航志朗さんが子どもの頃に好きだった本なのかもしれない……)
航志朗は造り付けのクローゼットを開けた。その中には白いダンボールの蓋つき収納ボックスが一箱だけ入っていた。航志朗はそのボックスのふたを開けようとしたが、すぐにその手を止めてクローゼットを閉じた。安寿は航志朗のそぶりを後ろから黙って見ていた。
ドアの前に立って航志朗の様子をうかがっていた伊藤が尋ねた。
「安寿さま、この部屋は子ども室として設計されておりまして、屋敷内で一番日当たりがよいお部屋でございます。いかがでしょう、この部屋でよろしいでしょうか?」
身を縮めた安寿は申しわけなさそうに航志朗に向かって言った。
「あの、私なんかが使ってもよろしいのでしょうか?」
無言で航志朗はベッドに腰かけた。何も掛かっていないマットレスのスプリングがぎしぎし鳴った。乾いた口調で航志朗は伊藤に言った。
「伊藤さん、彼女と二人きりにさせてくれませんか」
伊藤は何か言いたげだったが、「かしこまりました」と言って部屋を出て行った。安寿と航志朗は二人きりになった。
「君も座ったら」と言われて、安寿は航志朗の隣に座った。しばらくふたりは沈黙した。
「俺の子どもの頃の部屋に君が住むなんて、なんだか不思議な感じがするな」と航志朗が言って軽く笑った。航志朗は笑顔を浮かべてはいるが、やはりどこか寂しげだった。
その姿に胸が痛んだ安寿は、航志朗に何か話さなくてはと思い詰めた。ふと安寿は思いついて早口で航志朗に言った。
「航志朗さん、あの、私、この部屋の家具が好きです。初めて見る色の家具です。どんな木材が使われているんですか?」
驚いた顔をして航志朗は安寿を見た。安寿は余計なことを言ってしまったのかもしれないと思って後悔した。
航志朗はうつむいてふっと笑ってから言った。
「チークだよ。この部屋の家具は、ミッドセンチュリーのデンマークの家具デザイナーがデザインしたものだ。祖父が俺のために買いそろえてくれたんだ」
「私、この家具のデザインが好きです! シンプルだけど温かみがあって、お父さんみたいに頼りがいがある家具って感じがします。……お父さんみたいって、あの、私の個人的なイメージですけど」
安寿は思わず出てしまった自分の幼稚な言葉に恥ずかしくなって下を向いた。
航志朗はしばらく呆然とした様子で安寿を見つめてから肩を震わせて笑い出し、自分の額を安寿の額にこつんとぶつけた。安寿は心底驚いて顔を上げた。
「安寿、本当に君は面白いひとだな」と航志朗はつぶやくように言った。そして、航志朗はいきなりドアに向かって大声で怒鳴った。
「伊藤さん、安寿はこの部屋の家具を喜んで使ってくれるそうですよ!」
ドアが少し開き、ばつの悪そうな顔をのぞかせて伊藤が言った。
「……かしこまりました」
部屋を出る際に、航志朗は伊藤に無表情で言った。
「僕の私物がまだ残っているようなので、すべて処分してください」
その言葉を聞いた安寿は思わず航志朗の顔を見た。
その後、三人はサロンに戻った。咲が焼いたチョコチップ入りのクッキーを食べながら、安寿の岸家での新生活について打ち合わせをした。