今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
その時、突然、「コーシ!」と大声で呼びかけられて、航志朗はいきなり横から巨漢の大男に抱きつかれた。安寿があぜんとしていると、航志朗は英語で親しみ深くその男に話しかけてから、男の後ろに立っている細身で長身の美しい女に会釈した。航志朗が立ち上がって男と握手したので、あわてて安寿も立ち上がったがよろけてしまった。航志朗はさっと安寿の肩に手を回して支えてから言った。
「安寿、彼は俺の大学時代の友人で、イタリア人画商のブルーノ・デ・アンジェリスだ。彼女はブルーノの妻のマユさん」
安寿は英語でのあいさつの言葉が思い浮かばなくて、とにかくふたりに丁寧にお辞儀をした。
航志朗は「彼女はアンジュ。最近結婚した俺の妻だ」とアンジェリス夫妻に安寿のことを紹介した。
すると突然、「アンジュー!」と大声をあげたブルーノは栗色のつぶらな瞳で安寿の顔を嬉しそうにまじまじと見つめた。
ブルーノは安寿の腰を大きな両手でつかんで引き寄せ、航志朗の目の前でその両頬に「ブチュー、ブチュー」と派手な音を立ててキスした。安寿は目を白黒させて固まった。マユが両肩を上げて苦笑いしながら言った。
「もうっ、ブルーノったら! 安寿さん、本当にごめんなさいね」
それは、大人の女性の雰囲気が漂う外見からはまったく想像ができない可愛らしい日本語だった。
思わずしかめっ面になって、胸の内で航志朗は怒鳴った。
(なんてことをするんだ! 俺の安寿に思いっきりキスしやがって!)
なんとか表面上は仕切り直して、航志朗はブルーノと互いのビジネスの近況を報告しあった。
これから秋田のマユの実家に向かうと言って別れを告げたブルーノとマユがラウンジを出て行った後、すぐさま航志朗はおしぼりで安寿の両頬を徹底的に拭いた。ものすごく不機嫌そうな表情で、航志朗が低い声で言った。
「安寿、大丈夫か?」
「……はい」
(ああ、びっくりした……)と安寿は思いながら、ラウンジスタッフに注いでもらった紅茶を飲んだ。それはベルガモットのよい香りがした。航志朗はやけになったようにケーキスタンドの上に並べられたスイーツや焼き菓子を次々に口にしている。安寿はそんな航志朗の姿が小さな男の子のように可愛らしくて微笑んだ。
航志朗は安寿の視線に気がつくと「俺ばっかり食べて、ごめん」と言って、手にしていたカヌレを安寿に差し出した。安寿はそれを受け取り半分に割って航志朗に渡してから口に入れた。洋酒の風味が口の中にふわっと広がって大人の味がした。
突然のハプニングがあったものの、ふたりはしばらくラウンジに滞在してティータイムを過ごした。
アップテンポな『子犬のワルツ』のピアノ生演奏が始まった時、航志朗がふと思い出したかのように言った。
「そうだ、安寿。三枝さんの大奥さまにお礼って、どうするんだ?」
「私はお花を贈るのがいいかなって思います」
「俺も賛成だな。このホテルの近くに花屋があるから、これから行こう」
安寿と航志朗はホテルに隣接した大きな公園に面した花屋に徒歩で向かった。その花屋は細長い長方形の空間で、さまざまな種類の生花がまるで一面の花畑のように色鮮やかに並んでいた。すぐに安寿は魅了されて気持ちが高揚してしまった。
「航志朗さん、とってもきれいですね。あんな色のお花があるんですね。初めて見る色のお花ばかり!」
安寿に左腕をぎゅっとつかまれて、胸をどきどきさせながら航志朗は思った。
(君が一番きれいだけど……)
生花を楽しそうに見回している安寿に向かって、航志朗が言った。
「君のセンスで選んだら? 値段は気にしなくていいから」
「はい!」
目を輝かせた安寿は店内を見渡して、嬉しそうに花を選び出した。
(三枝さんの大奥さまはいつも赤やピンク系統の色の洋服を着ていらっしゃった。それから、大奥さまのスマートフォンはカラフルなビーズで飾られてキラキラしていた……)
安寿は迷わずピンク系統のバラを選び、濃いピンク色と淡いピンク色の数種類のバラをあっという間に美しくまとめあげた。それから、店長らしい男のフローリストに勧められて、グリーンもバラの花束の周囲にあしらった。そのフローリストは安寿の手際のよさに明らかに驚いていた。後ろで腕を組んで見守っていた航志朗は、安寿にまた感心してしまった。
(……安寿はやっぱり天才だな)
ホテルの地下駐車場に向かう道すがら、キラキラしたシルバーのペーパーでラッピングしてもらった美しいバラの花束を持った安寿は、急にあることを思い出して悲しくなった。うつむいて車に乗り込んだ安寿に気づいた航志朗は怪訝に思って尋ねた。
「安寿、どうした?」
「……枯れちゃったかも」
安寿はどんよりと落ち込んで暗い顔をした。
「ん? 何が枯れたんだ」
航志朗はわけがわからない。
「お墓参りの時に航志朗さんに買ってもらったお花、ずっとお水あげてないから枯れてしまったかもしれないです」
安寿はつらそうに肩を落とした。
「安寿……」
一瞬で無限大の歓喜に包まれた航志朗は、安寿が愛おしくてたまらなくなった。すぐに大声で航志朗は叫んだ。
「安寿、俺が君に花屋ごと花を買ってやるから元気出せ!」
安寿はあわてて両手を振って言った。
「そ、それは結構です!」
「安寿、彼は俺の大学時代の友人で、イタリア人画商のブルーノ・デ・アンジェリスだ。彼女はブルーノの妻のマユさん」
安寿は英語でのあいさつの言葉が思い浮かばなくて、とにかくふたりに丁寧にお辞儀をした。
航志朗は「彼女はアンジュ。最近結婚した俺の妻だ」とアンジェリス夫妻に安寿のことを紹介した。
すると突然、「アンジュー!」と大声をあげたブルーノは栗色のつぶらな瞳で安寿の顔を嬉しそうにまじまじと見つめた。
ブルーノは安寿の腰を大きな両手でつかんで引き寄せ、航志朗の目の前でその両頬に「ブチュー、ブチュー」と派手な音を立ててキスした。安寿は目を白黒させて固まった。マユが両肩を上げて苦笑いしながら言った。
「もうっ、ブルーノったら! 安寿さん、本当にごめんなさいね」
それは、大人の女性の雰囲気が漂う外見からはまったく想像ができない可愛らしい日本語だった。
思わずしかめっ面になって、胸の内で航志朗は怒鳴った。
(なんてことをするんだ! 俺の安寿に思いっきりキスしやがって!)
なんとか表面上は仕切り直して、航志朗はブルーノと互いのビジネスの近況を報告しあった。
これから秋田のマユの実家に向かうと言って別れを告げたブルーノとマユがラウンジを出て行った後、すぐさま航志朗はおしぼりで安寿の両頬を徹底的に拭いた。ものすごく不機嫌そうな表情で、航志朗が低い声で言った。
「安寿、大丈夫か?」
「……はい」
(ああ、びっくりした……)と安寿は思いながら、ラウンジスタッフに注いでもらった紅茶を飲んだ。それはベルガモットのよい香りがした。航志朗はやけになったようにケーキスタンドの上に並べられたスイーツや焼き菓子を次々に口にしている。安寿はそんな航志朗の姿が小さな男の子のように可愛らしくて微笑んだ。
航志朗は安寿の視線に気がつくと「俺ばっかり食べて、ごめん」と言って、手にしていたカヌレを安寿に差し出した。安寿はそれを受け取り半分に割って航志朗に渡してから口に入れた。洋酒の風味が口の中にふわっと広がって大人の味がした。
突然のハプニングがあったものの、ふたりはしばらくラウンジに滞在してティータイムを過ごした。
アップテンポな『子犬のワルツ』のピアノ生演奏が始まった時、航志朗がふと思い出したかのように言った。
「そうだ、安寿。三枝さんの大奥さまにお礼って、どうするんだ?」
「私はお花を贈るのがいいかなって思います」
「俺も賛成だな。このホテルの近くに花屋があるから、これから行こう」
安寿と航志朗はホテルに隣接した大きな公園に面した花屋に徒歩で向かった。その花屋は細長い長方形の空間で、さまざまな種類の生花がまるで一面の花畑のように色鮮やかに並んでいた。すぐに安寿は魅了されて気持ちが高揚してしまった。
「航志朗さん、とってもきれいですね。あんな色のお花があるんですね。初めて見る色のお花ばかり!」
安寿に左腕をぎゅっとつかまれて、胸をどきどきさせながら航志朗は思った。
(君が一番きれいだけど……)
生花を楽しそうに見回している安寿に向かって、航志朗が言った。
「君のセンスで選んだら? 値段は気にしなくていいから」
「はい!」
目を輝かせた安寿は店内を見渡して、嬉しそうに花を選び出した。
(三枝さんの大奥さまはいつも赤やピンク系統の色の洋服を着ていらっしゃった。それから、大奥さまのスマートフォンはカラフルなビーズで飾られてキラキラしていた……)
安寿は迷わずピンク系統のバラを選び、濃いピンク色と淡いピンク色の数種類のバラをあっという間に美しくまとめあげた。それから、店長らしい男のフローリストに勧められて、グリーンもバラの花束の周囲にあしらった。そのフローリストは安寿の手際のよさに明らかに驚いていた。後ろで腕を組んで見守っていた航志朗は、安寿にまた感心してしまった。
(……安寿はやっぱり天才だな)
ホテルの地下駐車場に向かう道すがら、キラキラしたシルバーのペーパーでラッピングしてもらった美しいバラの花束を持った安寿は、急にあることを思い出して悲しくなった。うつむいて車に乗り込んだ安寿に気づいた航志朗は怪訝に思って尋ねた。
「安寿、どうした?」
「……枯れちゃったかも」
安寿はどんよりと落ち込んで暗い顔をした。
「ん? 何が枯れたんだ」
航志朗はわけがわからない。
「お墓参りの時に航志朗さんに買ってもらったお花、ずっとお水あげてないから枯れてしまったかもしれないです」
安寿はつらそうに肩を落とした。
「安寿……」
一瞬で無限大の歓喜に包まれた航志朗は、安寿が愛おしくてたまらなくなった。すぐに大声で航志朗は叫んだ。
「安寿、俺が君に花屋ごと花を買ってやるから元気出せ!」
安寿はあわてて両手を振って言った。
「そ、それは結構です!」