今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
三枝洋服店の駐車場に航志朗は車を停めた。ふたりは煉瓦で造られた外壁のビルの一階の店舗に入って、奥の工房でイタリア製高級ウール生地を鮮やかな手つきで裁断していた三枝社長にあいさつした。社長は事情を航志朗から聞いて柔らかく微笑みながら、最上階にある自宅にふたりを招いた。
社長の母の三枝雪乃はリビングルームのソファに座って、スマートフォンの動画サイトのピアノ演奏を聴きながら編み物をしていた。安寿は深々とお辞儀をして雪乃に礼を言った。安寿の隣で航志朗も頭を下げた。
「大奥さま、先日は大変お世話になりまして、ありがとうございました。お礼にこちらをご用意させていただきました。どうかお受け取りください」とバラの花束を差し出して安寿が言った。
「あらあら、安寿お嬢さま。当然のことをさせていただいただけなのに、お礼なんて。それにしても、まあなんて美しい花束だこと。とても嬉しいわ。では、ありがたく受け取らせていただきますね」
雪乃は頬を紅潮させて花束を受け取った。そして、花束に顔を近づけてうっとりとした様子でバラの香りをかいだ。
「あらまあ、いい香りね。五十歳くらい若返りそうだわ」と雪乃は可愛らしくつぶやいた。
航志朗と安寿はすぐに帰るつもりだったが、三枝社長の妻がお茶を運んできたのでソファに並んで座った。雪乃はふたりを温かい目で交互に見つめてから、独特の甲高い声で言った。
「あの大変失礼ですけれど、お尋ねしてもよろしいかしら。おふたりはご婚約されていらっしゃるの? だって、とてもお似合いなんですもの」
安寿は思わず隣の航志朗の顔色をうかがった。航志朗は安寿ににこっと微笑んでから、雪乃にきっぱりと宣言した。
「はい。実は先日、私たちは結婚しました」
安寿はその航志朗の言葉に両肩を上げて驚いた。
(ここでも、それを言ってしまってもいいの!)
まったく雪乃は驚かずに、しばらく安寿を懐かしそうなまなざしで見つめた。
「航志朗お坊ちゃん、安寿お嬢さま、ご結婚おめでとうございます。やっぱり、そうなんですね。あの、安寿お嬢さまは、なんとなく、……恵真さまに似ていらっしゃるのよね」
「えまさま?」と安寿が航志朗に向かって訊くと、「俺の父方の祖母の岸恵真だ」と航志朗が答えた。
「大奥さま、安寿のどんなところが祖母と似ているのか、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」と航志朗が尋ねた。
雪乃は安寿を見つめてしばらくそれに見合う言葉を探していたが、あきらめたように首を振って言った。
「ごめんなさい、航志朗お坊っちゃん。言葉では言い表せないわ。でも、安寿お嬢さまを見ると、どうしても恵真さまを思い出してしまうのよね……」
「そうですか」と航志朗は安寿を見て言った。
ふと雪乃は思いついて航志朗に提案した。
「そうだわ。九彩堂の千里さんにお会いしたらどうかしら。安寿お嬢さま、九彩堂さんには行かれたことがありますか?」
「いいえ、ありません。きゅうさいどうさんって?」
「銀座にある江戸時代に創業された日本画の画材の専門店だ。生前、俺の祖母は日本画を趣味で描いていて、その店で岩絵具を買い求めていたんだ」と航志朗が説明した。
店の駐車場まで雪乃はふたりを見送りに来て、別れ際に航志朗に物申した。
「航志朗お坊っちゃん、英国製のスーツも素敵ですけれど、たまには私どもの店でスーツをお仕立てくださいませね」
雪乃はしっかり店の営業も忘れなかった。
社長の母の三枝雪乃はリビングルームのソファに座って、スマートフォンの動画サイトのピアノ演奏を聴きながら編み物をしていた。安寿は深々とお辞儀をして雪乃に礼を言った。安寿の隣で航志朗も頭を下げた。
「大奥さま、先日は大変お世話になりまして、ありがとうございました。お礼にこちらをご用意させていただきました。どうかお受け取りください」とバラの花束を差し出して安寿が言った。
「あらあら、安寿お嬢さま。当然のことをさせていただいただけなのに、お礼なんて。それにしても、まあなんて美しい花束だこと。とても嬉しいわ。では、ありがたく受け取らせていただきますね」
雪乃は頬を紅潮させて花束を受け取った。そして、花束に顔を近づけてうっとりとした様子でバラの香りをかいだ。
「あらまあ、いい香りね。五十歳くらい若返りそうだわ」と雪乃は可愛らしくつぶやいた。
航志朗と安寿はすぐに帰るつもりだったが、三枝社長の妻がお茶を運んできたのでソファに並んで座った。雪乃はふたりを温かい目で交互に見つめてから、独特の甲高い声で言った。
「あの大変失礼ですけれど、お尋ねしてもよろしいかしら。おふたりはご婚約されていらっしゃるの? だって、とてもお似合いなんですもの」
安寿は思わず隣の航志朗の顔色をうかがった。航志朗は安寿ににこっと微笑んでから、雪乃にきっぱりと宣言した。
「はい。実は先日、私たちは結婚しました」
安寿はその航志朗の言葉に両肩を上げて驚いた。
(ここでも、それを言ってしまってもいいの!)
まったく雪乃は驚かずに、しばらく安寿を懐かしそうなまなざしで見つめた。
「航志朗お坊ちゃん、安寿お嬢さま、ご結婚おめでとうございます。やっぱり、そうなんですね。あの、安寿お嬢さまは、なんとなく、……恵真さまに似ていらっしゃるのよね」
「えまさま?」と安寿が航志朗に向かって訊くと、「俺の父方の祖母の岸恵真だ」と航志朗が答えた。
「大奥さま、安寿のどんなところが祖母と似ているのか、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」と航志朗が尋ねた。
雪乃は安寿を見つめてしばらくそれに見合う言葉を探していたが、あきらめたように首を振って言った。
「ごめんなさい、航志朗お坊っちゃん。言葉では言い表せないわ。でも、安寿お嬢さまを見ると、どうしても恵真さまを思い出してしまうのよね……」
「そうですか」と航志朗は安寿を見て言った。
ふと雪乃は思いついて航志朗に提案した。
「そうだわ。九彩堂の千里さんにお会いしたらどうかしら。安寿お嬢さま、九彩堂さんには行かれたことがありますか?」
「いいえ、ありません。きゅうさいどうさんって?」
「銀座にある江戸時代に創業された日本画の画材の専門店だ。生前、俺の祖母は日本画を趣味で描いていて、その店で岩絵具を買い求めていたんだ」と航志朗が説明した。
店の駐車場まで雪乃はふたりを見送りに来て、別れ際に航志朗に物申した。
「航志朗お坊っちゃん、英国製のスーツも素敵ですけれど、たまには私どもの店でスーツをお仕立てくださいませね」
雪乃はしっかり店の営業も忘れなかった。