今、君に想いを伝えて、ここで君を抱きしめる
 今日もシンガポールは常夏の島らしく晴れ渡っていた。まぶしすぎる陽ざしが高くそびえ立つビルディング群に熱く降り注ぐ。外気温は三十二度を超えている。

 航志朗はシェントン・ウェイにあるエアコンが強力に効いているオフィスの窓から南シナ海を見下ろしていた。その海原は決して青く美しく輝いているとは言えないが、さすがにアジア経済の中心地だ。タンカーや貨物船が頻繁に行きかっている。航志朗は空を見上げた。一機の飛行機がどこかへ飛んで行くのが見えた。

 航志朗は安寿への募る想いに打ちひしがれている。シンガポールに戻ってから、よく眠れない日々が続いていた。

 (彼女は、今頃どうしているんだろう。そうだ、今日は土曜日か。あのアトリエで父のモデルになっているのか)

 土曜日だというのに休日出勤した航志朗は、アン・リーと忙しくオフィスで働いていた。

 「コーシ、そろそろランチタイムだけど、今日はどこに行く? 僕、ボート・キーに新しく出店したイタリアンフードが食べたいんだけどな」

 「オーケー、アン。俺はピザが食べたいな。じゃあ、切りのいいところで行くか」

 航志朗はノートパソコンに打ち込んでいたデータをセーブした。

 航志朗とアンはシンガポール・リバー沿いにある色とりどりのショップハウスが立ち並ぶエリアにやって来た。市街の中心部にあるので、ローカルの人びとだけではなく世界中からの観光客もたくさんやって来ている。

 航志朗は盛んにおしゃべりをしている三人の若い女性グループの前を通りかかった。彼女たちはガイドブックを持って日本語で声高に話していた。

 「えーっと、マーライオン・パークって、どっちに行けばいいの?」

 「えー、わかんなーい」

 航志朗がその女たちに日本語で話しかけた。

 「あのクラシカルなホテルの向こう側ですよ」

 いっせいに三人の女たちは目を丸くして航志朗を見上げた。

 「ええー! 日本人なんですか?」

 「ええ、まあ。では、お気をつけて」と言って、航志朗はさっとその場から立ち去った。背後から女たちが騒めく声が聞こえた。

 「あのひと、ちょーかっこいいんだけど!」

 航志朗は思わず肩をすくめて苦笑いした。アンが不思議そうに尋ねた。

 「コーシ、『チョーカッコイイ』って言う日本語、どういう意味だ?」

 航志朗は素っ気なく答えた。

 「ああ、『とてもかっこいい』っていう意味だ」

 アンはやれやれと首を振ってつぶやいた。

 「おいおい、自分でよく言うよな。まあ、本当のことなんだけど」

 ニューオープンのイタリアンレストランは大変混み合っていた。ようやくシンガポール・リバーに面したテーブルに案内されて、航志朗とアンは特大サイズのマルゲリータとラザニアをシェアした。ふたりは食後にアイスコーヒーとティラミスを頼んだ。ペーパーストローから唇を離した航志朗がアンに尋ねた。

 「週末なのにヴィーを放っておいて大丈夫なのか? ランチに彼女も誘えばよかったな」

 「いや、大丈夫だ。今、ヴィーは学生時代の友だちとデンプシー・ヒルのカフェに行ってる。若い女の子たちに人気があるカフェだよ。アンジュがこっちに来たら、連れて行ってあげれば?」

 「……そうだな」

 航志朗は「アンジュ」という音に胸がうずいた。

 「コーシの方こそ、アンジュを放っておいて大丈夫なのか。彼女に毎日まめに連絡しているんだろうな?」

 「いや、していない」

 「なんでだよ? 彼女、トーキョーでおまえを待っているんだろ」

 航志朗は頬杖をついてうつむいてから、深いため息をついて言った。

 「無理だよ。アンジュのことを想うと、胸が苦しくてどうしようもなくなるんだ。アン、彼女の声を聞いたら、俺はすぐに空港に直行するぞ。何もかも投げ出して」

 「へえ、そうなんだ……」

 アンが意外だといった風情で航志朗をじっと見つめた。

 「ん? なんだよ、アン」

 急に航志朗はむっとした顔になった。

 「コーシ、おまえ、そんなにも愛しているんだな、アンジュのことを。初めて見たよ、おまえのそんな顔……」

 にやけながらアンはひそかに楽しすぎるプランを立てた。

 (家に帰ったら、さっそくヴィーに報告だ!)

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