華道家元の甘すぎ溺愛レッスン

 朝の柔らかな光の中、呆然とする凡奈の前で眠っている、裸の真崎。
そして、自分に視線を移してみると、なんと自らもバスローブのみの姿だったのだ。
本当は叫んでしまいたかったが、少し冷静な自分もいて、何が起きたかを真崎に訊く必要があると思い、凡奈は静かに真崎を揺り起こした。
「あのう…真崎…さん…?」
やがて、うっすらと目を覚ました真崎が、あ、お目覚めになられましたか…、とぼんやりと呟いた。
凡奈は、やってしまった、と後悔していた。これは間違いなく間違いを犯したシチュエーションにしか見えない。知り合ったばかりの人と、酒に飲まれてこんな…。凡奈は真崎と話し合わなければと思っていたのだが、真崎からことの真実を告げられて、さらなる後悔に襲われることになる。
「すみません、勝手に脱がせてしまって。あの後、凡奈さんが…その…もどしてしまって。」
(……………え?)
「赤ワインのアレだったので、服を洗わなきゃと思いまして…。」
「え…えええ!?」
「一応洗ってはみたのですが、あまり落ちなくて…すみません。」
促されてバスルームを見てみると、凡奈と真崎の服が洗って干してあった。確かに、赤ワインのようなシミがついてしまっている。
凡奈は膝から崩れ落ちた。一夜の過ちなんてまだ可愛い方だった。こんなの…ひどすぎる…!!
「すみませんすみませんすみませんすみません!!!!!」
凡奈は平謝りに謝った。顔からは火が出ているし、消えてしまえるならそうしたいくらい恥ずかしい。
 「いえいえ、そんなに謝らなくても大丈夫ですよ。体調はいかがですか?」
 優しく身体を気遣ってくれる真崎の言葉が、今は痛い。あまりの恥ずかしさと情けなさに、涙が出てきてしまった。
 「わたし…知り合ったばかりの人にこんな…。」
 「凡奈さん…。」
 しくしくと泣き始めてしまった凡奈に、真崎はティッシュを渡し、なにやら電話をかけ始めた。凡奈は頭がパニックになってしまっていて電話の内容を聞いていなかったが、電話を終えた真崎は凡奈の元に戻り、不意に凡奈の頭を抱き寄せた。
 (え…っ。)
 恥ずかしくて泣いていた凡奈は、今度は突然の出来事に違う意味で頭が真っ白になった。
 「そんなに気に病まないで、凡奈さん。そんな思いをさせてしまってすみません。」
 あたたかな胸板と腕に包まれて、頭をぽんぽんと撫でられる。凡奈はこんな場面に遭遇したことがない。羞恥により赤くなっていた顔は、今度は胸のときめきに紅潮していた。
 「服は僕の方で何とかします。凡奈さんはシャワーを浴びていてください。」
 身体を離して優しく微笑みかける真崎。こんな醜態をさらした女に、なんて優しいのだろう。
 「ほんとうにすみません…、この借りは絶対にお返しいたしますから…!」

 シャワーから出た凡奈を迎えたのは、たくさんの服や靴を並べたスーツの女性2人と、スーツを着た真崎だった。
 「え…?この方たちは…?」
 「凡奈さんのお洋服をダメにしてしまったでしょう。新しいものをプレゼントしますよ。」
 風呂上がりでメイクもしていない凡奈は、真崎をはじめ知らない人に姿を見られるのが恥ずかしかったが、たしかに赤ワインのシミを付けた服で帰るわけにもいかないので、大人しく勧めに従って服を選んでもらうことにした。
 (それにしても、こういうところに服をたくさん持ってくるって、どういうことなんだろう…?)
 疑問は消えなかったが、スーツの女性たちがてきぱきと服を出し入れし、色味などを凡奈に合わせていく。上品なデザインの服ばかりで、生地もとてもいいものばかりだ。服にあまりお金をかけないタイプの人間である凡奈でも、上等な服だということがわかる。
 「それ、すごく似合うんじゃないですか?」
 真崎が指摘したのは、さわやかなラベンダー色のミモレ丈のワンピース。襟はボートネックで、袖が七分になっている、クラシカルなスタイルの服だ。
 「そ…そうですか…?自分ではあまりこういうのは選ばないので、少し新鮮です。」
 実際に袖を通してみると、なるほど、自分でも意外なほどよく似合っている。
 「やっぱり。少し冷えるのでこれにそのジャケットを合わせて、メイクもお願いしますね。」
 「はい。承知いたしました。」
 スーツの女性たちが、今度はおびただしい数のメイク道具を展開し、凡奈にヘアメイクを施し始めた。真崎は、メイクは見てはいけないと思ったのか、離れた場所で新聞を読んでいるようだった。
 出来上がった凡奈の姿は、自分でも見違えると思えるほどに上品できれいだった。鏡に映る自分を見て、凡奈は、馬子にも衣裳、などと思う。スーツの女性たちに呼ばれて凡奈の元にやってきた真崎は、わあ、ととても嬉しそうな声を上げた。
 「凡奈さん、とってもすてきです。」
 スーツ姿の真崎と並ぶと、とてもお似合いのカップルのようだった。思わず頬を染める凡奈。
 「今日は土曜ですが、お仕事はお休みですか?」
 「ええ。真崎さんは?」
 「僕もオフです。このまま帰られますか?それとも…」
 ずい、と身を乗り出して、顔を近づけてくる真崎。
 「デートとかしちゃいましょうか?」
 にこり、と笑った顔にいたずら心が見え隠れする。凡奈は戸惑ったが、せっかくだから、とこう申し出た。
 「それなら、私、先日初めてお会いした山科屋百貨店に行きたいです。もう一度あの大作を見たいですし、仕事の参考になるかもしれないので。それに、真崎さんが一緒だったらいろいろ教えてもらえそう。」
 真崎は少し驚いたような顔をしていたが、すぐにうなづいて
 「では、参りましょう。今山科屋百貨店では御堂河内流の展覧会もやっているので、併せてご覧になるといいと思います。」
 と了承した。

 開店したばかりの山科屋百貨店は、週末ということもあり買い物客でにぎわっていて、展覧会をやっているという最上階まで向かうエレベーターも満員の連続で、なかなか乗れずにいたため、エスカレーターでゆっくり向かうことにした。
 最上階に辿り着き、展覧会の入り口についたところで、真崎は凡奈に招待券を渡した。
 「ごゆっくりご覧くださいね。」

 中へ入ると、まるで異世界のように植物の立体作品がたくさん並んでいた。凡奈が思っていたような楚々とした作品など一つもない。みな個性的で、前衛的で、まるで近代美術のような様相であった。
 作品の前にいる作者と思しきリボンを付けた人々は、みな真崎に気付くと深々と礼をした。真崎はそれに笑顔で応える。やっぱり有名な人なんだ、と凡奈は思った。
 「そうだ、真崎さんの作品はないんですか?」
 凡奈は、こんなにこの流派で有名な人物なら、きっとこの展覧会にも出展しているに違いないと思い、尋ねた。真崎は、3つ目くらいの大作ばかりがいけられている部屋で、指をさして、
 「あれが僕の作品です。」
 と言う。
 近づいてみる前に、とても大きな作品だったので、少し離れたところから一旦全体を眺めることになった。紅葉と大きな流木と柏、それに黒く塗られた鉄のオブジェ。雄々しくダイナミックで、とても見事な作品だ。一部屋の壁から一帯使われていて、この展覧会の中で一番大きな作品なのではないだろうかと思われた。
 「わあ…すごいです…!なんていっていいのかわからないんですけど…とても素晴らしいですね…!」
 凡奈は近くで見てみたり遠くから眺めてみたりして、作品を楽しんだ。
そして、ふと作品の前に置いてあった看板に気付いた。それは、エントランスに置いてあった看板と、同じものである。
御堂河内流(みどうごうちりゅう)家元 御堂河内柾(みどうごうちまさき)
 御堂河内流家元?御堂河内柾…まさき?だんだん、凡奈は青ざめてきた。確認するのが怖かったが、訊かないことには仕方がないので恐るおそる真崎の方を振り返り、こう投げかけてみる。
 「あの…まさきさん、って、御堂河内柾さん…なんですか…?」
 すると、訊かれた方は、いたずらっぽく笑って、
 「はい、そうです。御堂河内柾っていいます。よろしくお願いしますね。」
 と答えた。
 こんなに失敗ばかり、それもあり得ないような最低な失敗を何度もするようなことがあるだろうか。凡奈は穴があったら入りたくなった。そもそも、華道の家元がお年寄りに違いないという思い込みがそもそもの間違いだった。真崎は、いや、柾は御堂河内流の家元だったのだ。
 「あの…わざとですか…?」
 恥ずかしさに顔を真っ赤にし、ふるふると震えている凡奈に、柾は少し面白がっている風に
 「いえ?僕はなにも。」
 と意地悪な笑みを浮かべてしらばっくれるのであった。

 人混みが激しくなってきたため、会場を離れ、凡奈と柾は百貨店の近くにある喫茶店へ移動した。
 「ほんとうに…本当にすみませんでした…。」
 「なにがです?」
 「いえ、私いろいろやらかしましたけど、柾さんが家元だって気付かずに、失礼なことばっかり…。」
 「失礼なことなんて、何も。本当は知らないままでいてほしかったんですけどね。」
 ニコッと笑う柾の笑顔が、面白がっているのか本心からの笑顔なのかが判断がつかない。
 「昨日の夜のこととか、お洋服のこともそうですけど、この借りは絶対に返させていただきますので…。」
 「あ、それじゃあ…。」
 ごくり、と凡奈は息をのんだ。無理難題を言われたらどうしよう、と一瞬頭によぎる。しかし、柾の申し出は、とても意外なものだった。
 「これから、いけばなを続けてください。僕のアトリエにご招待いたします。凡奈さん、僕のレッスンを受けてください。」
 え?と凡奈は思わず素っ頓狂な声を出した。
 「そんなことでいいんですか?」
 「そんなこと、じゃないですよ。僕にとってはとても大事なことです。」
 見ると、柾はとても真剣な表情だ。からかっているわけでもなさそうだ。
 「わかりました、それでは、柾さんにいけばなを教えていただきたいです。」
 凡奈が真崎の目を見て、大きくお辞儀をしながらそう答えると、
 「それはよかったです。じゃあ、金曜の夜、毎週お迎えに上がりますよ。」
 と柾はとても嬉しそうな顔で言った。

 その夜。自宅へ帰りついた凡奈は、専門学校時代からの親友の三倉里香(みくらりか)に電話をかけた。
 「リカ、おつかれさま。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど。」
 『どうしたのハナ?久しぶりだね。』
 「うん、久しぶり。じつはね…」
 凡奈は昨日と今日起こったことを里香に話した。うんうんと聞いていた里香であったが、開口一番
 『ていうか、御堂河内柾ってめっちゃ有名人じゃない。気づかなかったの?』
 と言い、凡奈を面食らわせた。
 「え…そんなに有名な人なの…?」
 『うん、テレビとかでよく特集されてるよ。若き天才華道家!イケメンすぎる家元!!って。』
 「そ、そうなんだ…。私テレビ全然見ないからなぁ。」
 『テレビだけじゃなくて雑誌にもよく載ってるよ。あんたデザイナーなんだからもっと世間のことに敏感になった方がいいんじゃない?』
 ぐさっと来るようなことを言われ、凡奈は一瞬ぐっと息を詰まらせた。
 『それにしても…その御堂河内柾に個人レッスンに来いって言われるなんて、すごいラッキーだねー。』
 「うん、私もそれはそう思う。」
 しかし、凡奈の悩みは別のところにあった。柾の意図が全くつかめないのだ。どういうつもりで凡奈に優しくしているのか、誰にでも優しい人なのか、からかっているのか、遊んでいるのか、凡奈には皆目見当つかなかった。
 「ていうかさ、あんなにイケメンで優しいのに結婚してなければ恋人もいないなんて、なんか問題ある人なのかなーって。」
 『あー、でもハナがそんな心配しても仕方なくない?レッスンに来いって誘われただけなんでしょ?』
 それは、そうだ。と、そこで初めて、凡奈は自分が柾のことをとても意識していたことに気付いた。そして、それに気づくと、この相談をしていることがとても恥ずかしくなってきた。
 「ごめん、やっぱなんでもない!私の考えすぎかも。」
 『そう?ならいいけど。』
 それからしばらく他愛のない話や近況報告、学生時代の思い出話などに花を咲かせていたが、ふと里香がこういう話を持ち出してきた。
 『そういえばさ、ハナってすっごい男子苦手だったよね。』
 ぎくり、とする凡奈。
 『ハナって女友達めっちゃ多いのに、なぜか男子とあんまり仲良くなかったよね。あれ直ったの?』
 凡奈は、明るく分け隔てない性格で、気が強いというほどでもないが感情の豊かな性質だ。高校まではそれでよかったのだが、専門学校に進学した後、その学校にいた男子たちとあまり相性がよくなく、うまくコミュニケーションがとれなかったのだ。あまり身なりに気を遣うのが得意でなかったことも、輪をかけて男子に敬遠される理由になった。片思いをしていた男子もいたことはいたのだが、自分のいないところで望月はありえない、あんな女ごめんだわ、と言われているのを聞いてしまい、それ以来なんとなく男性と話すのが億劫になってしまっていた。
 「社会人になってから付き合った人もいたけど…あんまり長続きしなかったんだ。」
 誰にも話していないのだが、実はその付き合っていた人も、浮気をされて、というか、自分が二番手三番手だったと知り、破局してしまったのだ。付き合っている間も苦しかった。自分を偽って、相手の好みに合わせて生活していて、息が詰まるようだった。
 正直、かなり長い間(男なんて!!)と思いながら過ごしてきた。そこへ現れた王子様のような柾。意識してしまうのも仕方のないことなのかな、と凡奈なりに一人納得していた。
 『まあ、御堂河内柾がいくら魅力的でも、あんたとは住む世界が違うんだから、あんまりのめり込みすぎちゃダメだよ。あたしたちも現実見なきゃなんだしさ。』
 そう言って、里香は電話を切った。
 正論だ。正論ではあるが、凡奈は胸が苦しくなった。まだ、柾のことを好きというわけではないと思う。しかし、あのまぶしい笑顔を、別世界の人と思って見ないふりをするのは、できそうになかった。
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