月は笑う
結局、遅刻ぎりぎりに席に滑り込んだ歩美に、隣の席から同僚が声をかけてきた。


「今日の髪形、いいねぇ」


PCを起動させながら、歩美はため息をついた。


――山本に誉められてもなあ。


そんな歩美の気持ちにはもちろん気づくことなく、メールソフトを立ち上げるのと同時に、山本から能天気なメールが入る。


『今日のランチ一緒にどう?』


ランチなどと洒落て言ってみても、どうせ社員食堂なのだ。
山本からのメールは無視して、歩美は仕事に取り掛かった。

山本が髪形を誉めてきたり、ランチに誘ってきたり、今日は妙だ。


――これも魔術の効力?


まさかね、と打ち消してみても。
朝からこれだけ続くと、だんだん信じてみたいような気になってくる。

仕事の合間にこっそり綾子にメールをしてみると、興奮気味に返信があった。


『朝から五人にナンパされちゃったよ!しかも超かっこいい人ばかり!!やっぱり魔法がきいたんだね!』


また、ため息のネタが増えた。
ナンパされた――あれらをナンパと言えるかは別として――こちらはどれも微妙な相手だ。

綾子から、追加でメールが入る。


『魔法の効力は、満月の夜が終わったら消えちゃうから!モノにするならその間に頑張ってね!』


満月まで、約二週間。
あまり時間はない。

少しだけ、綾子の言葉を信じてみようと思った。



翌日も、歩美は早起きをしてカフェで朝食を食べた。
昨日とは違う店を選んだのは、昨日の店員に会いたくなかった、というわけではない。

どうせなら、いろいろな店を新規開拓してみようと思っただけだった。

会社から少し離れた、公園に面したカフェを今日は選択した。外の席は、気持ち良い。

脚を組み直して、運ばれてきた朝食に取り掛かろうとすると、


「ここ、よろしいですか?」


他に空席があるのに、相席をもとめられた。


「それはちょっと」


と言いかけて、歩美は言葉を飲み込んだ。

立っていたのは、テレビでよく見かける若手俳優だった。
尾上武史。人気、実力ともにここ数カ月めきめきと頭角をあらわしているのは、歩美も知っていた。

< 3 / 10 >

この作品をシェア

pagetop