メレンゲが焼きマシュマロになるまで。
暖人(はるひと)!?」

反射的に名前を呼ぶと店長も暖人の方を見た。腕が緩んだので体を離すと、店長が無言でこちらを見ることもなく指を絡めて手を繋いできた。ザラザラして冷たかった暖人の手とは違う、すべすべして温かい手。大きさも厚みもずいぶん違う。驚いて店長を見上げると彼は暖人のことを見据えていて、その暖人の視線は私達の繋いだ手に注がれていた。

「・・・悪い、邪魔して。」

目を伏せてそう言って(きびす)を返して歩き出した彼を『暖人。』と呼び止めた。彼の名前を呼ぶのはこれが本当に最後になるのかもしれない。大好きな人の大好きな名前。

「お誕生日おめでとう。」

言うことが出来ないと思っていた言葉を伝えることが出来た。最初で最後のお祝いの言葉を私は笑顔で言えていただろうか。

「・・・おお。」

そのなんてことない二文字を両手で大切に受け止めて抱きしめる。今日会えて良かった。きっと神様からのプレゼントだ。


「ごめん。彼の前で手繋いだりして。つい・・・。」

暖人のちょっと猫背気味の背中が見えなくなるまで見送り呆然としていた私は店長に話しかけられて我に返った。

「いえ・・・。」

「行ってきたら?きっと彼まだすぐそこに・・・。」

「いいんです。」

店長の言葉を遮るように言った私を彼は後ろから抱きしめた。

「そんなこと言われたら行かせないよ。俺、杏花ちゃんのこと支えたいと思うけど、恋の応援は出来ない。」

下を向くと店長の腕が見えた。デジタルの腕時計をしている。暖人はアナログの時計しか作らない。『アナログの方が秒針が動くところを見られたり、動く音がするから、時の歩みを感じられて好きなんだ。』と言っていた。彼から発せられた言葉の一つ一つは私の心の本棚に大切にしまわれていた。

これで暖人とは本当にサヨナラ。自分で決めたことだ。店長の腕を振り払う気力もなく私はしばらくそこに立ち尽くしていた。
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