バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
 広報部はワンフロア上にある。

 エレベーターを待っていると、下り方向のが先に来て扉が開く。

「あ、七海、こっち!」

 スーツ姿の山中先輩が中で呼んでいる。

 私はあわてて駆け寄った。

 閉まりかけた扉にはさまれそうになりながらなんとか滑り込む。

「どうしたんですか、先輩」

「もう大変よ。さっきのニュース見た?」

 昼寝してたからなんのことだかさっぱり分からない。

「まさか!? 倒産ですか!?」

 私みたいな使えない社員にお昼寝なんかさせてくれる会社だもん、うまくいくはずなかったか。

「ばかね」と先輩が一瞬吹き出してから真顔に戻る。「倒産した会社がセレブを呼んでパーティーやってる場合じゃないでしょ」

 ああ、それはそうか。

 じゃあ、なんだろう?

 先輩が階数表示のデジタル数字が減っていくのをにらみつけている間に、私はスマホを出してニュースアプリを開いた。

 国会の混乱、アメリカの貿易交渉、アイドルグループの卒業。

 特にうちの会社に関係のありそうな話題はない。

 エレベーターが止まり、扉が開く。

 吹き抜けのエントランスホールには、海外からの訪問客を出迎えるように巨大な和凧が吊り下げられている。

 ホールに靴音を響かせながら先輩が歩き出す。

 私は小走りでないと追いつけない。

 たくさんの人が行き交っていて、すぐに背中を見失ってしまいそうになる。

 横切る人をかわしながら急いでいたら、先輩が立ち止まって横を向いていた。

 私のことを待っているのかと思ったら、そうではなかった。

 視線の先にあるのはエントランスホールに設置された巨大モニターだった。

 先輩はそこに映されたニュース映像をにらみつけているのだった。

 画面の中では、空港のゲートから出てきた誰かを大勢の人が出迎えている。

 チカチカするフラッシュの光で酔いそうだ。

 海外の芸能人だろうか。

「さっきからこの映像、何十回やれば気がすむのよ」

 どうやら先輩が言っていたニュースというのはこのことらしい。

 群衆の中の一点にカメラがズームする。

 日焼けした男の人だ。

 テロップには、『羽田空港に到着した大里健介選手』と出ている。

 運動音痴の私でも名前くらいは知ってるサッカー選手だ。

 たしか、ヨーロッパで活躍しているんじゃなかったっけ。

 テレビレポーターの音声が興奮気味だ。

「今、大里選手が現れました。大勢のファンの出迎えに対して、手を振ってこたえています」

「大里選手」と女性レポーターのインタビュー画面に切り替わる。「このたびの報道について一言お願いします」

「今はまだ私から言えることはありません」

「現役引退についての報道がありましたが」

 外国人女性スタッフが割って入って、インタビューをさえぎった。

「ですから、今はまだ発表できることは何もありません」

 なかなか流ちょうな日本語をしゃべるスタッフだ。

 大里選手が頭を下げながら出迎えの車に乗り込んだところで映像が終わる。

< 3 / 87 >

この作品をシェア

pagetop