バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
◇
五時だ。
窓の外はまだ明るい。
業務を終えて私は五十六階のラウンジへ向かった。
何も考えないで、ただ言われたとおりにラウンジで会って、カードを返したら帰ればいいのだ。
だから何も考えてはいけない。
ただ業務の延長のつもりでカードを届ければいいだけだ。
私は自分にそう言い聞かせながらエレベーターを呼び出した。
受付でカードをかざし、自動ドアに誘われるように一歩足を踏み入れる。
ラウンジの中は間接照明がメインで隠れ家みたいな雰囲気だった。
「新羅社長はもう来てますか?」
「いいえ、本日はまだお見えになっておりません」
社用のスマホが震える。
『来客対応で遅れる。先にラウンジで待っていてくれ』
仕方がない。
私は窓辺の席へ向かった。
西側の窓にはこの前と同じように、遠くに小さな富士山が見える。
足下を見ると、高さに目がくらんで思わず後ずさる。
そのままソファに座って、目の前のただ青いだけの空をしばらく眺めていた。
待っている間に、何か飲み物でももらおうかと思ったけど、ドリンクバーのような仕組みではないようだし、かといって、係員が聞きに来てくれるわけでもない。
こちらから呼び出すのだろうか。
なんだか居心地が悪い。
やはりここは私みたいな一般人がいる場所ではないんだろうな。
ふさわしき人にこそ、ふさわしき場所がある。
私はそうじゃない。
ただそれだけのことだ。
べつに悔しくもないし、残念でもない。
あれ?
膝の上の手の甲に滴がしたたり落ちた。
なんで私泣いてるんだろう。
一人だからかな。
今までも一人だったのにね。
今は二人だからかな……。
今が……二人じゃないからかな。