バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
 社長がスーツのポケットからハンカチを取り出す。

「泣いていたのか?」

 あれ?

 私、泣いてたのかな。

 肌がぴりっとして、頬に乾いた涙の痕がついているのが分かる。

 私は自分の指で目のふちにたまった滴をぬぐった。

「一人にさせてすまなかったね。君と一緒に夕暮れ時の眺めを楽しみたかったんだが」

 そっか。

 見せたかったものって、それだったのか。

 でもね……。

「違います」

 そうじゃないんです。

 私はもう一度言葉を重ねた。

「違うんです」

 社長が目を細めながら私を見つめる。

「違うって、何が?」

「今日はこの後の約束はないんですか」

 鼻声でみっともない。

「君と食事をする約束だけだが」

「でも、おつきあいをなさってる方がいるんですから、たとえ社員相手でも、誤解を受けるようなことはやめておいた方が良いのではありませんか」

「おつきあい? 何の話だ?」

 困惑ぎみに社長が膝に腕を立てて頬杖をつく。

 私は自分のスマホを取り出してニュース画面を出した。

「ああ、こんなのが出ていたのか。よくあることだ。気にしないでくれ」

 気にしますよ。

 私は口をとがらせながら社長を睨んでしまった。

「ある一面を切り取って、あることないこと話をでっち上げるのが写真誌の仕事だからね」

 そう言うと社長が私の手からスマホを取り上げた。

「いいか」と、カメラアプリに切り替える。「この角度で撮るだろ」

 ソファに並んだ状態でシャッターボタンを押す。

 社長が示す画面には、頬を寄せ合う私たちの写真が表示されていた。

「どうだ、この写真。ものすごく親密に見えるだろ」

 奥行きの距離は離れた二人なのに、顔だけはすぐそばに並んでいるように写っている。

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