バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
「子供のころからそうだったよ。友人もふさわしき家柄の者同士に限られたし、みんなが何か楽しそうなことをしていても、まわりの大人達の承諾なしに加わってはいけないから、いつも大人の顔色ばかりうかがって生きてきた」

「そうだったんですね」

「そういうことに対する反発心があったっていうのも、アメリカに逃げた理由の一つだろうね。俺のことを誰も知らないアメリカで今まで味わったことのない自由を楽しんで、普通の生活っていうのを経験したんだ」

 華々しい経歴の裏に、こんな話があったとは全然想像もつかなかった。

 急に社長が吹き出しながら笑みを見せた。

「それで、母さんに怒られちゃってね」

「池内佐和子奥様ですか?」

「ああ。大学を卒業してもそのままアメリカにいようと思っていたんだけど、母さんが突然やってきたんだよ。ちょうど映画の撮影中だったのに、一週間も穴を開けてさ。そのころはまだ死んだ母さんのことも気持ちの整理がついていたわけじゃなくて、新しい母さんのことも受け入れきれてなかったから、二人だけで話すのは初めてで気まずかったよ」

 夜景の広がる窓に社長のほころんだ顔が映っている。

「逃げるなって怒られてさ。人の目を気にして萎縮しているようでは、財閥の跡取りになんかなれないってね。他人に枠をはめられているようでいて、それは他人に自分の人生をゆだねているだけだって言われてしまってね。自分のことを決めるのは自分だから、他人の目に怯えることはないんだって。さすが、若い頃から国民の目にさらされてきた大女優だなって尊敬したよ。生き方の手本は母さんから教わったってわけさ」

「そんなことがあったんですか」

「それで日本に帰ってきて、会社を作って、ここまで大きくしてきた。それもすべて母さんへの恩返しのつもりなんだよ」

「素敵なお母様ですね」

「ああ、実の親じゃないけど、そんなこと関係なく今では本当の親子だと思ってるよ。今の俺があるのは間違いなく母さんのおかげだ」

 社長がはにかむように鼻の頭を指でこする。

「誤解は解けたかな?」

「はい」

「心配させてすまなかったね」

 目のふちから涙がこぼれ落ちる。

 でも、それは悲しみの涙ではなかった。

 寂しさの涙でもなかった。

 私は社長に自分の笑顔を見てもらいたかった。

 どんなにグシャグシャで崩れていても構わない。

 みっともない顔を見てほしかった。

 私が社長の本当の姿を知ったように。

 本当の私の気持ちを知ってもらいたかったから。

 私はあなたのことが、同じ一人の人として好きになりました。

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