バイバイ、ベリヒル 眠り姫を起こしに来た御曹司と駆け落ちしちゃいました
最終章 ベリヒルの見える街で
 一年後の夏。

 私たちはほんの少しだけ広いアパートに引っ越して一緒に暮らしていた。

 徹也さんは、様々な事情を抱えた子供たちの生活を支援する実験的プロジェクトを始めていた。

 社会福祉でありながらも、営利企業としてのビジネスモデルを構築し、それを行政の支援なしに持続できるのかを実証しようとしていた。

 試行錯誤の連続だったし、経営は決して順調とは言えなかったけど、生き生きとした表情の徹也さんとの暮らしはとても充実していた。

 今日、私たちは新しい事業拠点の下見に来ている。

 ベッドタウンの駅前にある小さな店舗物件だ。

「窓が大きくて明るいし、いいじゃない」

「そうだな。あまり改装しなくても良さそうだな」

 内装のプランを話し合っていたら、開けたままの扉から声をかけられた。

「社長!」

 振り向くとそこには思いがけない人たちがいた。

 佐々木課長と山中先輩だ。

「先輩、どうしたんですか」

「お二人のお手伝いがしたくて。社長、また一緒に働かせてください」

「でも、ハピネスブライトは?」

 佐々木課長が肩をすくめながら両手を広げる。

「優秀な連中がいっぱいいるから心配ありませんよ。ちゃんと退職してきました」

「そんな無茶な」

「どんなに立派な経営ビジョンでも、数字の土台がなければ机上の空論ですよ、社長。優秀な会計担当者が必要じゃありませんか?」

「しかし……」

 二度も他人の人生を巻き込むわけにはいかないという徹也さんの迷いを推し量ったように、課長が一歩前に踏み込む。

「前回は会長の指示でしたが、今回は私自身の希望です。社長のお役に立ちたいんです。またイチからやらせてください」

 山中先輩も頭を下げる。

「私も、広報、営業、それに雑用でも何でもできます。お手伝いさせてください」

 課長が頭をかきながら朗らかに笑う。

「雇ってもらえないと、我々、無職になってしまいますよ」

 徹也さんが私に視線を送っている。

 私もうなずき返した。

「妻の許可も出たので」と、徹也さんも頭を下げた。「こちらこそ、またよろしくお願いします」

「え!?」と、先輩が驚く。「妻? いつから?」

「先週です」と、徹也さんが照れくさそうに答える。「ようやく先の見通しもできたので」

「それだけじゃないでしょ」と、私も薬指を見せた。「赤ちゃんができたんですよ」

 はあ、と二人が私のお腹を見る。

 安定期に入ったけど、まだ見た目にそれほど変化はない。

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