交錯白黒
塵1つないような病院の外を歩き回る。
さっきは流石に焦った。
寝ていて、起きたらあいつが窓から飛び出していたんだから。
いつもの言葉のキレや冷たさからは考えられないくらい、取り乱していたし、熱くなっていたから相当ショックだったんだろう。
ポケットから小さなメモ用紙を取り出す。
「ありがとう」
ただ一言、ボールペンでそう書かれていた。
これは、あいつが俺に返してきた教科書に挟まっていたのだ。
実はあのあと、担任から俺とあいつの荷物を預かり、そのときに見つけた。
あいつに、俺は外道の行いをした。
当然、あいつは俺に恐怖を抱く。
様々な出来事の節々から、それは感じとれた。
なのに、あいつは。
恐怖の対象にお礼を渡すなんて、どれだけお人好しなのか。
少し、あいつを見直した。
「琥珀兄ー」
遥斗のからりとした声。
「さっきはごめんな、で、ありがとう」
別に、と言おうとしたが、それではあんなに頑張っていた遥斗が傷つくかと思い、何も言わなかった。
「あ、そうそう琥珀兄にも遺言があって」
それを言う遥斗の声が揺らいだ。
彼女が死んだんだから、すぐには立ち直れないのは当然だろう。
「俺に?」
俺はあの少女と一度か二度くらいしか言葉を交わしたことがない、言い残すことなどあるだろうか。
「琥珀兄のはビデオじゃなくて、メールだからそのまま送信するね」
しばらくして、バイブが手に伝わりメールを開いた。
「あの緑色のカード、病院の裏の三番目の植木鉢の下にあるよ。拾ったけど、直接渡せなくてごめんね」
俺は、携帯を握る手に力がこもるのをおさえられなかった。
「ん、サンキュ、遥斗。じゃな」
「うん、バイバイ」
遥斗の背中が小さくなり、やがて見えなくなった頃、俺は病院の裏へ走り出した。
なぜだ、なぜ、あの大して接点のない少女が、あのカードを持っている。
俺は、自分の名前を書いて、それから……失くしたんだ。
その失くした、というのがあの少女の前で落とした、と言い換えれば納得できる。
だがなぜあの少女はすぐに俺に返さなかったのだ。
如月に渡せば問題なかっただろうに。
そんなことを考えつつ走っていると、三番目の植木鉢の前に立っていた。
何も植えておらず、入っているのは茶色い土だけ。
この病院には生まれてからずっと通っているが、裏にきたのは初めてだった。
棟の壁の塗装は剥がれ落ち、そこら中に活き活きと雑草が生えている。
使われていない植木鉢がきれいに整列しているところが、また不気味だ。
下を覗けば、虫がウジャウジャ出てきそうな雰囲気。
あの少女の言った三番目の植木鉢をひっくり返しすと、虫はおらず、そこにはジップロックに入れられたあのカードがあった。
ほっとしてそれを開く。
だが、ほっとしたのも束の間、目はこれでもか、というほど開き、全身の血液の温度が急上昇した。
その鮮やかな緑のカードの裏の、俺の名前の下には、「橘恋藍」との表記があった。
そして、その筆跡は。
カードのほうが些かいびつであるが。
メモ用紙の「ありがとう」と酷似していた――。