【完】今日、あなたじゃない彼と結婚を決めました
居酒屋を出ると、雨が降っていた。ほの暗い空から線のような細かな雨が降り注ぐ。
天気予報は見事に当たったのだ。
華やぐ繁華街はまだまだこれから盛り上がりを見せるだろう。
様々な色の傘を広げる人々の歩く姿を前に、奏は手を空にかざした。そして小首を傾げてこちらへ笑みを向ける。
「傘、持ってる?」
「私が傘を持ってると思う?」
「持ってないと思う。俺も勿論持ってない。タクシーまで走ろう!」
そう言うと手を取って、自分の着ていたジャケットを私の頭へ被せる。
雨の匂いと一緒にふわりと奏の香水の匂いが香る。海の匂いのする少しだけ男っぽい。あの頃と同じ香水だ。
香りはいつだって記憶を蘇らせる。冷たい手のひら――これ以上一緒に居ては駄目になってしまう。
思いっきり奏の手を振りほどくと、足を止めてこちらへ振り返る。振り払われた手は行き場を失くしたまま、ゆっくりと降ろされた。
「ひとりで…帰れる…」
それは予感だ。警告の鐘が頭の中で鳴っている。これ以上一緒に居ては駄目だ、と。
見上げた奏の頭の先から雨の雫が滴り落ちる。くしゃっと前髪をかき上げたら、真っ黒に塗りつぶされた空を見上げて乾いた笑みを作った。