【完】今日、あなたじゃない彼と結婚を決めました
奏…かなで…カナデ…あの頃何度も呼んだ名前。そしていつしか口に出す事さえなくなった名前。
足元がぐらぐらと揺れるような感じ。まるで床に吸い付くように動きを止めた、足元。忘れようとしていた過去にはこうやって容易く引き戻される。
記憶の中、もう顔も声すらもぼやけて思い出せない。けれど決して忘れないものだってあるんだ。
目の前にいるこずの姿が目の前でぐらぐらと揺れる。笑ったまま、揺れて歪んで真っ黒にかき消されていく。
「笑真ちゃんと奏すっごく仲良かったよね」
「奏とはもうずっと会ってないの」
彼女の言葉に被せるように言うと、笑顔が少しずつ曇って行く。彼女の言わんとすべきことは分かった。その顔を見れば十分な程に。
けれど笑顔を崩さないまま言った。
「じゃあ、また後で」
そう言って逃げるように更衣室から出て来た。
めまいが止まらなかった。どこを歩いているのか、きちんと地に足をつけて歩いているのかさえ
ドキドキと忙しなく動く心臓にあの名前が頭から浮かんで消えなかった。 カナデ…カナデ…カナデ。バックルームの窓から空を見上げると、先ほどより雨足は強くなる一方だった。
窓を打つ横殴りの雨が、ガラス窓に映る景色を歪ませて行く。