【完】今日、あなたじゃない彼と結婚を決めました
その日の事はよく覚えていない。
こずはあれから奏の名前を一切出さなかった。 奏を抜きに懐かしい話を沢山してくれた。禿げ散らかしてちょっと変わっていた数学教師の話や、誰誰が結婚したのだとか、ぼろぼろだった小学校が立て直されて綺麗になったのだとか。そう言った話ばかり。
基本的な業務内容を教えながら、そんなこずの話に笑って頷いていた。
けれどもその日は雨音と共に、あの名前がずっと頭をめぐり続けた。
――カナデ、カナデ、カナデ。と。煩い位に頭をめぐって止まる事は無かった。
―――――
「ただいま。いやあ、参ったなぁ」
「おかえりなさい。雨に降られちゃった?」
「ちょうどお昼営業先に向かってる時に降ってきてさぁ。
慌ててコンビニで傘を買ったけれど、参った」
「先にお風呂に入っちゃう?沸いてるよ」
「お、気が利くなぁ。そうだな。先にお風呂に入っちゃうよ」
駿くんから鞄を受け取ると、彼はにこりと微笑んで私の頬へキスを落とした。
今日の彼からは少しだけ雨の匂いがした。 夜更け過ぎに雨は小降りになったけれど、不規則に雨のメロディーを刻み続けた。
お風呂に向かう前、鼻を少しだけ動かして「良い匂い」と駿くんが言った。