私を甘やかして、そして、愛して!
「で?」

「はっ?」

「さっき見たんだろ?」

「えっ?」

「だからさっき吠えていたのは、見たからだろ?」

「吠えてって、ひどいじゃないですか。ずっと聞いていたんですか?」

「何を見たんだ?」

「何をって、あっちの岸にカップルが仲良く歩いていたから挨拶したんです。無視されましたけど。」

「カップル?」

「そうです。ゆっくりと歩いていました。」

先輩は湖の反対側をあちこち見渡した。

「なぜ俺には見えないんだ。」

「先輩、何変なことを言っているんですか?もうどこかへ行っちゃいましたよ。」

先輩はものすごく真面目な顔で私を見た。

「ホントに見たんだな?」

「だから何度も言ってますけど。」

「どんな感じだった?」

「だから、肩を寄せ合って仲良く歩いて。」

私にはどういうことか全くわからなかった。

「そうか。」

トーンが落ちた声だった。

先輩から何とも言えない悲しい雰囲気が漂った。

静かに湖面を見たままだ。

「あの、聞いてもいいですか?」

隣に立つ私をちらりと見たが無言だった。

「どうして気になるんですか?さっきのカップルのことですけど。」

「知らなくていいことだよ。俺は何も話さない。」

「そうですか。ならいいです。」

そんなことよりも

こんな山の中で先輩に会うなんて信じられなかった。

一体どういう理由でこの湖に来たのだろうか。

私はまだ先の秘湯へ行きたかったが

先輩のことが気になって

以前は心底好きだったから

このままここで別れることにためらいを感じた。

私としてはもっと話をしたり

もしできたら一緒に山頂へ登りたかったが

何も言い出せない雰囲気と間があった。

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