麗しの彼は、妻に恋をする
真に受けて、のこのこ会いに行ったら今度こそ本気で笑われてしまうだろう。

この貧相な体に愛人としての価値があるわけもないし、脱いだところでがっかりされるのが関の山。

『君が来なければ、この話は忘れるから』
彼はそう言った。

その後ろには"冗談だから"という続きの言葉があったに違いない。

だから会いに行かなければいいのだが、問題は愛人の話ではない。

散々お世話になったのに、このままお礼にも行かないというのは、あまりにも義理に欠く。それに、今後もあの素敵なカフェで器を使ってもらうためにも、この貴重な縁を手放してはいけない。

失礼の数々とご馳走になったオムライスは、キス二回分でチャラというわけにもいかないだろう。

せめて菓子折りのひとつも持って、お世話になりましたと挨拶だけはいかなければ。

――うん。そうしよう。

益子に帰る前に、冬木陶苑にはお礼だけをするために行くこと! 忘れるな。

ということで、祖母の家に着いた頃には、一応の結論をつけた。


「ただいまー」
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