傷つき屋
マコトくんは私を岬と呼びました。晴花とは呼びません。一緒にいる時間が徐々に増えても、肌に触れてくることが増えても。
一緒に帰ろう、と誘ってくる日もあったけれど、ほとんどの日は放課後飛んで帰っていきました。
時々、アキオくんが追って走ったりもしていました。
まだあの、河川敷で子供と遊ぶボランティアを続けていたのでしょうか。
昼休みの図書室ではカチカチとスマホをいじりながら、何を話すわけでもなく私の隣に座っていました。
そして時々、私の読んでいる本を隠すように手で覆って、キスをしてきました。
「マコトくんと手を繋いだりキスしたりすると、ふっと力が抜けるみたいに心が楽になる」
一度だけ、図書室のカーテンの影で言いました。
家での死にかけの老人の姿とか、憔悴したまま台所に立つエプロン姿のお母さんとか、長い出張に出たまま顔を見ないお父さんとか、そういう胸のつっかえが全部一瞬なくなって、心が穏やかになるんです。
「これを幸せっていうのかな」
その薄くて柔らかい唇を見つめると、もっとキスしたい、そう心がぎゅっと鳴りました。
マコトくんは笑って、私のポニーテールをほどきました。
「それ平和っていうんだよ」
「平和?」
どういう意味かは説くことなく、ほどかれて風になびく髪に、骨っぽい指を通しました。
時々、質問に答えない人でした。
「マコトくんの言うことって、やっぱりちょっと変」
彼は微笑みます。けれどもうキスはしてくれません。
さっきとは違う胸の痛みが、ぎゅっと私の心を掴みます。
人を愛すると苦しいと私は初めて知りました。
この人は何を考えて、何を求めているのか、誰よりも理解したい。
この人に必要とされたい。
ずっとこの人と一緒にいたい。
でも私は知っていました。
こっちを見つめながら、マコトくんはいつも少し別のことを考えていて、
私のことなんて心から愛していないって。